266-010_須波岐部神社

比定社:須波岐部神社

式内社コード:266-010
神名帳社名 :須波伎部神社、スハキヘノ
社    格:小
所 在 地 :623-0362 京都府綾部市物部町中谷16
Plus Code  :86VG+WR 綾部市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「すはきべじんじゃ」と読む、地名の物部町中谷は「ものべちょうなかだに」と読む。
物部の集落の南の端の山裾に鎮座。
周囲は森と田畑と住宅が少しという場所、神社入り口に灯籠があり分かりやすい。
一の鳥居からは少し登るが土の斜面に枕木を入れただけの階段なので雨の日はぬかるみそう。
社域には拝殿(覆屋)と本殿、相殿があり、集会所のような建物もある。
由緒書によると神宮寺があったとある。
クルマは神社前にスペースが有る。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

一の鳥居より神社に登る際の緑の参道。
少々傷んでいるが、凝った彫り物を持つ檜皮葺の本殿。

写真

神社へのアプローチは灯籠が立っているのですぐに分かる。正面に見えているのが須波伎山。
神社へのアプローチは灯籠が立っているのですぐに分かる。正面に見えているのが須波伎山。
社標には式内郷社と書いてあるようだ。
社標には式内郷社と書いてあるようだ。
神社入り口の鳥居、緑のトンネルがきれい、この前にクルマを止めれるスペースがある。
神社入り口の鳥居、緑のトンネルがきれい、この前にクルマを止めれるスペースがある。
鳥居をくぐると木でこしらえた階段、土なので雨降りの時は大変そう。緑がきれいだ。
鳥居をくぐると木でこしらえた階段、土なので雨降りの時は大変そう。緑がきれいだ。
階段を登ると左手に集会所、正面に拝殿が見えてくる。
階段を登ると左手に集会所、正面に拝殿が見えてくる。
1段目の広場は右手が沢に崩れているので要注意、ブルーシートが掛けられているということは手入れがされているということだ。
1段目の広場は右手が沢に崩れているので要注意、ブルーシートが掛けられているということは手入れがされているということだ。
拝殿と本殿を正面から望む、狛犬も灯籠も苔むしていている。
拝殿と本殿を正面から望む、狛犬も灯籠も苔むしていている。
拝殿はかなり風雪を感じさせる、式内の扁額がかかる。
拝殿はかなり風雪を感じさせる、式内の扁額がかかる。
綾部市観光協会・綾部の文化財を守る会謹製の由緒書、大同2年(807年)の創建とある。物部氏と関連がありそうだともある。
綾部市観光協会・綾部の文化財を守る会謹製の由緒書、大同2年(807年)の創建とある。物部氏と関連がありそうだともある。
本殿が入る拝殿 兼 覆屋を見る、古い形式の作りのようだ。
本殿が入る拝殿 兼 覆屋を見る、古い形式の作りのようだ。
覆屋の隙間から本殿を見る、檜皮葺、彫り物・組物が施され、特に彫り物が素晴らしい。
覆屋の隙間から本殿を見る、檜皮葺、彫り物・組物が施され、特に彫り物が素晴らしい。
本殿の左には相殿のような社殿があるが残念ながら詳細は分からない。大きさや配置を見ると本殿同様に大切にされている様子。
本殿の左には相殿のような社殿があるが残念ながら詳細は分からない。大きさや配置を見ると本殿同様に大切にされている様子。
拝殿、本殿を違う角度から望む。本殿は下の広場よりも一段上にあり立派な石垣が組んである。
拝殿、本殿を違う角度から望む。本殿は下の広場よりも一段上にあり立派な石垣が組んである。
薬師堂?集会所?参集殿?、ハッキリしないが階段登った左手にある建物。半鐘がぶら下がっているので地域の公民館のような役割を果たしていたのかもしれない。
薬師堂?集会所?参集殿?、ハッキリしないが階段登った左手にある建物。半鐘がぶら下がっているので地域の公民館のような役割を果たしていたのかもしれない。

感想

綾部市観光協会・綾部の文化財を守る会謹製の由緒書によると

式内社 須波伎部神社(すわぎべじんじゃ)
祭神 大日霊貴命(おおひるめむち)
 平城天皇の大同二年(八〇七)須波伎山に建立されたと伝えられている。三代実録貞観十一年(八六九)十二月八日の條にて「授丹波国正六位上物部簀掃(すはぎ)神従五位下」とあり、位階を有する丹波における古大社である。恐らく古代須波伎物部氏の氏神であろう。境内の薬師堂は神宮寺であった中谷山天慈院のもので、堂内には室町時代中期を下らないと思われる薬師如来坐像が安置してある。
綾部市観光協会
綾部の文化財を守る会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大日霊貴命。
大同2年(807年)須波伎山に創祀。
貞観11年(869年)従五位下(三代実録)(修正)。
元和9年(1623年)再建。
元文4年(1739年)改築。
江戸時代までは「簀掃(スハキ)明神」「日光大明神」と呼ばれていた。
須波岐山(標高228.3M)の北麓、鬱蒼と茂る森の中に須波岐の集落を見守るように北面して鎮座している。
須波伎部神社を奉祀してゐた氏子達は、古代の有力豪族物部氏の部民で、須波伎物部氏であらう。
簀掃(スハキ)といふのは、古代には別名掃部(カモン)と稱され、宮内省管轄の掃部寮に隷属した農民である。
物部須波伎部の部民は、恐らく物部氏との関係から都に出て掃部寮の御用を司り、清掃具や設営具等を貢納した者たちでないかと推察される。「式内社調査報告」

とある。

当地は、古代より中世にかけて物部郷(丹波国何鹿郡16郷の1つ)であった。
建久年間(1190~1199年)に地頭上原氏が信濃国から入部し物部城を居城とした、その際に諏訪神社を勧請したという。
文明(1469~1487年)、明応(1492~1501年)の頃には上原賢家・元秀父子が丹波守護代となり勢い盛んであった。
物部城の南北に上市・下市の町がこのあたりの商業中心地となった。
永禄11年(1568年)上原右衛門少輔は織田信長より当地および丹後有路郷の所領安堵状を受けたが、元亀2年(1571年)黒井城主赤井直正に攻められて落城した。

由緒書には、物部氏との関係が示唆され、大同二年(807年)須波伎山(当社の背後の山のこと)に建立されたとある。
現在地に遷座された時期はハッキリしない、かつては神宮寺を持ち大きな規模だったと思われる。

訪ねたのは、新緑の季節だったので、神社へ登る階段は緑の階段となっていて大変気持ちが良い。
階段は土のままだが、手入れされて枕木で踏み段を作ってあるが雨の日はぬかるみそう。
階段を登ると、社域は2段の広場になっている、下の広場は右側が沢へ崩れているので近づかないのがよさそう。

社殿は、立派な石垣の上にあり、覆屋に入った本殿のみの構成でシンプル。
覆屋に入った本殿は、元文4年(1739年)改築とある。
風雪で色褪せてしまい、ところどころ傷んでいて、それそろ修復が必要な時期かもしれない。
右側の社殿には「式内 須波岐部神社」の扁額がかかっている、相殿のような左側の社殿には何も表示が無いので不明だ。

また「境内の薬師堂は、中谷山天慈院のもので、堂内には室町時代中期を下らないと思われる薬師如来坐像が安置してある。」とあるがどの建物のことか分からない。
だが、もし室町時代の薬師如来坐像があるのならぜひとも保存してほしいと思う。

いずれにしても、古い歴史を持つ神社として整備されて長く残してほしいと思う。

注意点

雨の日はぬかるむので注意。
階段を登った広場右側は崩れているので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/4/28
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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式内社一覧表はこちらから

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