264-050_知乃神社

比定社:知乃神社

式内社コード:264-050
神名帳社名 :知乃神社、チノノ
社    格:小、鍬
所 在 地 :669-4314 兵庫県丹波市市島町南592
Plus Code  :54XW+8G 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

ちのじんじゃと読む。
南集落の中の平地に鎮座。
集落の中を通る兵庫県道138号追入市島線沿いにあるので分かりやすい。
周囲は田畑と神社の地域。
少し南に南自治会館がありスペースが空いておれば駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

未舗装で雰囲気の良い参道。

写真

知乃神社を正面より望む。石垣が組んでありカチッとした印象の社域。両部鳥居の扁額には知乃社とある。
知乃神社を正面より望む。石垣が組んでありカチッとした印象の社域。両部鳥居の扁額には知乃社とある。
右側(東)を望む。この道は兵庫県道138号追入市島線、この方向は三和方面。
右側(東)を望む。この道は兵庫県道138号追入市島線、この方向は三和方面。
正面(南)を望む。周囲は人家・田畑となっている。
正面(南)を望む。周囲は人家・田畑となっている。
左側(西)を望む。兵庫県道138号追入市島線の春日方面。この先に南自治会館があり、空いていたら駐車可能。
左側(西)を望む。兵庫県道138号追入市島線の春日方面。この先に南自治会館があり、空いていたら駐車可能。
鳥居脇の社標には式内とある。
鳥居脇の社標には式内とある。
両部鳥居をくぐると土の素朴な参道。江戸時代にタイムスリップしたかのような印象。
両部鳥居をくぐると土の素朴な参道。江戸時代にタイムスリップしたかのような印象。
しばらく行くと左に社務所、右に手水舎、正面に拝殿が見えてくる。
しばらく行くと左に社務所、右に手水舎、正面に拝殿が見えてくる。
石灯籠には寛保二年(1742年)と見える。
社務所は使われていないようだ。
社務所は使われていないようだ。
手水舎。
手水舎。
拝殿の前には広場がある。
拝殿の前には広場がある。
拝殿を正面より望む。拝殿前には立砂。
拝殿を正面より望む。拝殿前には立砂。
拝殿の賽銭箱の上には玉串。拝殿は土間で腰板付き。
拝殿の賽銭箱の上には玉串。拝殿は土間で腰板付き。
本殿を書面より望む。本殿は新しいようだ。
本殿を書面より望む。本殿は新しいようだ。
拝殿と本殿を右側より望む。
拝殿と本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。神明造のような形式だが細部の作りが異なる。
本殿を右側より望む。神明造のような形式だが細部の作りが異なる。
本殿左奥より拝殿を望む。
本殿左奥より拝殿を望む。
拝殿と本殿を左側より望む。
拝殿と本殿を左側より望む。
拜殿より参道を望む。参道は渋くて良い感じ。
拜殿より参道を望む。参道は渋くて良い感じ。
参道より両部鳥居を通して正面を望む。
参道より両部鳥居を通して正面を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、知奴王命。
白鳳13年(684年)春大錦下羽田失岡創立(修正、白鳳は私年号、諸説あり)。
天武天皇12年(683年)敏達天皇第二皇子知奴王を祀って創立(修正、諸説あり)。
康安元年(1361年)兵火焼失。
応永6年(1399年)將軍足利義持造営。
慶長18年(1613年)後水尾天皇勅額を下し賜う。
明治6年(1873年)村社。
昭和5年(1930年)神饌幣帛料供進神社指定。
南方約5Kmの妙高山山頂に神池寺がある。
その境内に「澄まずの池」と稱する周囲10mほどの池が現存し、寺伝によると手傷を負つた大蛇が暴れ廻つた伝わる。
その大蛇が当村に逃れ來て社地の池で血を洗つた、と伝承される。
この「血の池」から社名が起ったとする。
とある。

知乃神社の創建に関して白鳳13年(684年)と天武天皇12年(683年)があるようでハッキリしない。
天武天皇12年(683年)には、敏達天皇第二皇子知奴王とあるが、見当たらない。
敏達天皇の子の押坂彦人大兄皇子の子に茅渟王がいる。
つまり敏達天皇の孫だ(茅渟皇子・智奴王と表示されることもある)。
そして、宝女王(第35代皇極天皇と第37代斉明天皇、重祚)と軽王(第36代孝徳天皇)の父に当たる。
ご祭神は、茅渟王なのではなかろうか(個人的見解です)。

社域はわずかな傾斜地に石垣を組んであるのでカチッとした印象を受ける。
知乃社の扁額がある両部鳥居をくぐると素朴な土の参道があり良い感じ。

かなり古ぼけた社務所があり、正面が拝殿となる。
応永6年(1399年)造営の記録が残るが、拝殿と本殿は最近建築されたようで新しい。
こうした新しすぎて記録に残っていないパターンもあるようだ、
特に戦後建築されたような場合は記録として上がっていないことが多々ある。

拝殿は土間打ちの腰板がついている形式。
本殿は覆屋には入ってない、神明造のような形式だが少々違和感がある建物となっている。

社域は古木も多く良い感じ、江戸時代はこんな感じだったんだろうかという雰囲気。
きれいに保たれていて気持ちよく参拝できる。
社殿前に盛られた立砂が印象的な神社。

注意点

駐車場はないので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/4/14、2022/1/9
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM