262-020_薮田神社

比定社:薮田神社

式内社コード:262-020
神名帳社名 :志多非神社、シタヒ
社    格:小
所 在 地 :622-0059 京都府南丹市園部町南大谷宮ノ後
Plus Code  :3F47+6F 南丹市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

京都府道452号長谷八木線の西、本梅川の西岸の平地に鎮座。
周辺は田畑でこんもりと茂った社叢があるのでわかりやすい。
丹波国府のある亀岡から篠山へ抜ける街道筋にある。
社殿は舞殿と覆屋に入った本殿が2つあり手前が月読命、左奥が猿田彦命が祀られているとある。
社域はいかにも古社という雰囲気があるが良く手入れされている。
駐車場はないが神社前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

2柱のご祭神とその社殿の配置。

写真

薮田神社を正面から望む。社域は小さいが大きな木もありおおいに古社を感じさせる。クルマは神社前にスペースが有り駐車可能。
薮田神社を正面から望む。社域は小さいが大きな木もありおおいに古社を感じさせる。クルマは神社前にスペースが有り駐車可能。
本梅探友会謹製の由緒書。他には何も表示がないのでありがたい。
本梅探友会謹製の由緒書。他には何も表示がないのでありがたい。
鳥居の左手には社務所があるが現在は使われていないようだ。
鳥居の左手には社務所があるが現在は使われていないようだ。
鳥居をくぐると正面に舞殿がある。意外と立派な作り。
鳥居をくぐると正面に舞殿がある。意外と立派な作り。
舞殿の奥に覆屋に入った本殿がある。こちらは月読命を祀ったものとある。
舞殿の奥に覆屋に入った本殿がある。こちらは月読命を祀ったものとある。
正面の覆屋の中の本殿を望む。かなりシンプルな造りで状態は良い。
正面の覆屋の中の本殿を望む。かなりシンプルな造りで状態は良い。
左奥にある社殿。こちらは猿田彦命を祀っているとある。周辺はきれいに草が刈られている。
左奥にある社殿。こちらは猿田彦命を祀っているとある。周辺はきれいに草が刈られている。
左奥の覆屋の中の本殿を望む。こちらは猿田彦命を祀ってあるらしい。こちらも状態は良い。
左奥の覆屋の中の本殿を望む。こちらは猿田彦命を祀ってあるらしい。こちらも状態は良い。
本殿より舞殿を望む。
本殿より舞殿を望む。

感想

本梅探友会謹製の由緒書によると

「薮田神社」
薮田神社は、和銅四年(西暦七一一年)に建立されたが数度火災に遭って現在に至っている。
今二社が祀られていて、正面の社は月読命又左奥には猿田彦命が祀られ、丹波四社の一つに数えられる有名な神社である。古文書によると現在の二社の他に三十七社も小宮があって広く亀岡・園部・篠山方面の三十九ヶ村が持ち帰って祀っている。昔この地を薮田の庄と云い字(あざ)を志多樋(したひ)と云っていたので志多樋神社(したひじんじゃ)と呼んでいたが薮田の庄の総本社であったため後に薮田神社と呼ぶようになり現在に至っている。
平成二十二年四月建立 本梅探友会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、月読命・伊邪那岐命・須佐之男命。
猿田彦命であつたと伝えられている。
後年月読命、伊邪那岐命、須佐之男命が主神となり、本来の猿田彦命は境内末社に祀られている。
神亀元年(724年)勧請(修正)。
寛治元年(1087年)全焼。
嘉保2年(1095年)造営。
明治41年(1908年)神饌幣帛供進神社指定。
江戸時代までは「籔田大明神」と呼ばれていた。

式内社の表示は全く無い。
現在の社域は狭いが社務所(使われているかどうかは不明)もあり、巨木もあり古社の雰囲気がある。
社域はよく手入れされていて、草も刈ってあるが少々怖いような印象。

舞殿の正面の社殿が月読命で、左奥の社殿が猿田彦命とのことだが扁額等が無いので分からない。
元々のご祭神の猿田彦命が横へ追いやられてしまっている。
その経緯を知りたいものだ。
摂社末社も多数あるが、詳細はよく分からない。
謎の多い神社。

訪問ノート

訪問日:2018/3/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ:DMC-TZ60