268-170_木積神社

比定社:木積神社

式内社コード:268-170
神名帳社名 :木積神社、コツミノ
社    格:小
所 在 地 :629-2263 京都府与謝郡与謝野町弓木408
Plus Code  :H44M+5V 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「こづみじんじゃ」と読む、地名の弓木は「ゆみき」と読む。
弓木集落の南西の端の山裾に鎮座。
京都府道615号弓ノ木岩滝線より西に入るが目印がないので分かりにくい。
集落の中は道が狭いので注意が必要。
250メートルほど西の石田民館前に社標がある。
神社前に駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

拝殿の中井権次橘貞胤による見事な彫り物。
京都府登録文化財指定の本殿。

写真

石田民館前より木積神社のある方向(西)を望む。木積神社はこの先250メートルにある。
石田民館前より木積神社のある方向(西)を望む。木積神社はこの先250メートルにある。
石田民館前より右側(北)を望む。このあたりは与謝野町弓木の石田という集落。
石田民館前より右側(北)を望む。このあたりは与謝野町弓木の石田という集落。
石田民館前より正面(東)を望む。京都府道615号弓ノ木岩滝線からはこの道を通って入ってくる。周囲の道路は狭いので注意。石田公民館前に駐車させていただいた、神社前にも駐車場がある。
石田民館前より正面(東)を望む。京都府道615号弓ノ木岩滝線からはこの道を通って入ってくる。周囲の道路は狭いので注意。石田公民館前に駐車させていただいた、神社前にも駐車場がある。
石田民館前より左(南)を望む。かつてはこの道が街道筋だったのだろう。
石田民館前より左(南)を望む。かつてはこの道が街道筋だったのだろう。
石田民館前の文化財案内書き。木積神社の本殿は京都府登録文化財とある。
石田民館前の文化財案内書き。木積神社の本殿は京都府登録文化財とある。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
社標を通り過ぎ歩いていくと民家の間から木積神社が見えてくる。
社標を通り過ぎ歩いていくと民家の間から木積神社が見えてくる。
木積神社を正面より望む。この手前右手に駐車場がある。
木積神社を正面より望む。この手前右手に駐車場がある。
鳥居の扁額には木積大神、三輪太神とある。
鳥居の扁額には木積大神、三輪太神とある。
鳥居をくぐると小さな橋、その先は3段上に拝殿が見える。
鳥居をくぐると小さな橋、その先は3段上に拝殿が見える。
弓木区、石田区謹製の由緒書。創建は不詳だが、古くは「木積山王宮」と呼ばれており、明治期に三輪神社と合祀されたとある。祭礼は与謝野町春の例祭の岩滝祭が有名。
弓木区、石田区謹製の由緒書。創建は不詳だが、古くは「木積山王宮」と呼ばれており、明治期に三輪神社と合祀されたとある。祭礼は与謝野町春の例祭の岩滝祭が有名。
手水舎。
手水舎。
拝殿を正面より望む。端正で格好良い拝殿。天明6年(1786年)に再建、昭和15年(1940年)に改築とある。
拝殿を正面より望む。端正で格好良い拝殿。天明6年(1786年)に再建、昭和15年(1940年)に改築とある。
拝殿を右側より望む。上部に見事な彫り物が施してある、中井権次橘貞胤の作。
拝殿を右側より望む。上部に見事な彫り物が施してある、中井権次橘貞胤の作。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿内部を望む。大変綺麗に保たれている。
拝殿内部を望む。大変綺麗に保たれている。
拝殿内部より本殿を望む。本殿にも彫り物が施されているが暗くてよく見えないのが残念。本殿は京都府登録文化財指定となっている。覆屋は非常に立派なもの。
拝殿内部より本殿を望む。本殿にも彫り物が施されているが暗くてよく見えないのが残念。本殿は京都府登録文化財指定となっている。覆屋は非常に立派なもの。
本殿の覆屋は大変珍しい形式できちんとした建物のような作り。
本殿の覆屋は大変珍しい形式できちんとした建物のような作り。
覆屋の上部は吹き抜けている。
覆屋の上部は吹き抜けている。
拝殿より鳥居を望む。
拝殿より鳥居を望む。
鳥居より正面を望む。参道は右に少し曲がっている。
鳥居より正面を望む。参道は右に少し曲がっている。

感想

弓木区・石田区謹製の由緒書によると

延喜式内社 木積神社(こづみ、旧郷社)
(鎮座地) 与謝郡岩滝町字弓木小字石田宮ヶ谷
(祭神)  五十猛神(いたけるのかみ、天照大神の弟、素盞鳴尊の子)
      大物主神(おおものぬしのかみ、素盞鳴尊の子、大国主神の別名)
(由緒、沿革)
 当社は「木積山王宮」とも云われる。創立は平安時代醍醐天皇の御代、延喜二年(九〇二年)の勅により全国各地における崇敬篤き神社を選び「延喜式内社神名帳」が作られ当神社はその中で官幣小社として載せられており、よってその創立はそれ以前と考えられる。しかしその後の罹災等により建築物社記、古文書等を消失したため、その沿革等を詳しく知ることはできないが、現存する古文書「丹後国式内社取調書」「山王宮社再建寄進帳」によると、天明六年丙午八月(一七八六年)に再建され、その後昭和一五年社殿改築がなされ現在の神域となっている。
 また「三輪神社・祭神大物主神」については、創立年代は不詳なれど、慶応四年四月の記録に「山王大神・祭神大物主神」とあり、明治二年六月一七日「三輪神社・祭神大物主神」と改号され「木積神社」に配祀されている。
「木積神社」「三輪神社」共に、樹木、木材家屋、医薬治療、延命息災、国土経営、家運隆昌の祖神として、古くから氏子はもとより、歴代藩主を始め広く世人に崇敬されている。
(社宝)
 中務郷有栖川宮殿下御筆「木積山王大神」の神号
 狛犬(石造) 二体
 石灯寵 二基
 宝筐印塔 二基
(例祭)
 四月三〇日 神幸祭
 五月一日 還幸祭
 神事として「神楽」「太刀振り」「ささばやし」を奉納する。
  平成十三年四月吉日 弓木区 石田区

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、五十猛神、(配祀)大物主神。
延喜2年(902年)創立(??)。
天明年間(1781~1789年)に火災によって古記録を焼失。
天明6年(1786年)に再建。
明治2年(1869年)三輪神社・祭神大物主神を配祀(追加)。
明治6年(1873年)村社。
大正9年(1920年)神饌幣帛料供進指定。
昭和15年(1940年)社殿改築。
昭和20年(1945年)郷社。

江戸時代までは「木積山王社」と呼ばれていた。

玉垣に囲まれた広い境内に、石灯籠が各所に立ち並び拝殿までの参道の両側は木々が繁り、厳かな中にも近代的な神社である。
『丹寄府志』は延喜式内阿知江神社を当社に比定している。

とある。

当地が含まれる弓木地区というのは、阿蘇海の西の最深部にあたる場所で丹後国分寺のすぐ西の地域となる。
かつては、国分寺地区に次ぐ重要な場所であったと思われ、弓木や岩滝地区がこのあたりの中心だったのかもしれない。
阿蘇海に面して海運もあり、加悦谷・宮津・大宮とも街道筋で繋がっている。

創建は不明だが、江戸時代までは「木積山王宮」と呼ばれていたとある。
東に5kmほどの宮津市宮町に「山王宮日吉神社」があるが関係があるのだろうか、両社を区別するために「木積山王宮」と称していたのだろうと想像できる。
また、明治期に三輪神社と合祀されたとあるが、三輪神社自体よく分からないし合祀された経緯も分からない。
ご祭神の五十猛神についても、山王宮との関係が不明だ。
配祀である大物主神については三輪神社との関係と想像できる。
なんだか時代を経るごとに内容が混乱しているような印象を受ける(個人的見解です)。

木積神社へのアプローチは、
京都府道615号弓ノ木岩滝線より西に入るが目印がないので分かりにくいが、石田公民館を目指していけば大丈夫だ。
石田公民館前に社標があり西へ250メートルほどで到着する。
ありがたいことに神社前に駐車場がある。

木積神社の鳥居をくぐると社域が4段階に構成されている様子が分かる、丁寧な石積みが印象的。
1段目は広場になっている、2段目は手水舎、3段目は石燈籠と倉庫があり、さらに一番上の段に社殿がある。
社域には古木・巨木が多く古くよりここに鎮座していることが分かる。

社殿は拝殿・幣殿・覆屋に入った本殿で構成されているのだが一体となって繋がっている。
拝殿正面上部には中井権次橘貞胤による見事な彫り物が施されていて一見の価値がある。
社殿は、天明6年(1786年)に再建され、その後の昭和15年(1940年)に改築されたものだ。
長年の風雪により色褪せてしまっていはいるが、比較的状態は良いように見える。

与謝野町春の例祭として加悦谷祭「岩滝祭」が開催されている。
加悦谷全体を巻き込んでの祭りの行事で、多数の神社が参加している、素晴らしいことだ。
岩滝区・男山区・石田区・弓木区では、板列八幡神社・板列稲荷神社・水無月神社・木積神社が参加している。
祭りの説明書きには次のようにある。
”水無月神輿と木積神輿は1年毎に交互に渡御。弓木区氏子が神楽舞を担当し、石田区氏子が太刀振りと笹囃子を担当する分担体制が特徴で、「木積神社の神楽、太刀振、笹囃子」として京都府登録無形民俗文化財となっています。”

物理的な社域・社殿もそうだが、こうした無形の文化面の継承も長く続けてほしいと思う。

立派な拝殿・幣殿・覆屋付きの本殿を持つ神社。

注意点

集落の中の道路は狭いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/9/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3