261-130_走田神社(亀岡市余部町)

比定社:走田神社(亀岡市余部町)

式内社コード:261-130
神名帳社名 :走田神社、ハシリタノ
社    格:小
所 在 地 :621-0806 京都府亀岡市余部町走田1
Plus Code  :2H54+FR 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

曽我谷川の西岸の平地に鎮座。
本殿は東を向いているが神社入口は北にある。
周辺はほぼ田畑で広々とした場所、式内社が数多くある曽我谷川のすぐ横にある。
社域は台風被害で倒木が多数あったようで社域は木々の片付けを行っているところだった。
広くて長い参道が続き突き当りに右へ折れ本殿へと続いている。
社殿は拝殿と本殿のみのシンプルなものだが渋い。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

広くて長い参道とシンプルな本殿。
本殿に施された精緻な彫り物。

写真

走田神社を正面から望む。周辺はほぼ田畑で社叢が目立つので場所はすぐに分かる。
走田神社を正面から望む。周辺はほぼ田畑で社叢が目立つので場所はすぐに分かる。
右側(南)を望む。周辺は田んぼが広がり金色だ。
右側(南)を望む。周辺は田んぼが広がり金色だ。
正面(西)を望む。神社前に広い駐車場がある。
正面(西)を望む。神社前に広い駐車場がある。
左側(北)を望む。古代より曽我谷川の流域重要な農作物の生産地だったのだろう。
左側(北)を望む。古代より曽我谷川の流域重要な農作物の生産地だったのだろう。
鳥居を望む。鳥居には享保年間とある。
鳥居を望む。鳥居には享保年間とある。
鳥居脇にある社標。
鳥居脇にある社標。
神社謹製の由緒書。和銅四年(七一一)に創祀、「延喜式」の「神名帳」に記載、ご祭神は彦火火出見尊、豊玉姫尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊とある
神社謹製の由緒書。和銅四年(七一一)に創祀、「延喜式」の「神名帳」に記載、ご祭神は彦火火出見尊、豊玉姫尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊とある
手水舎。使われていないようだ。
手水舎。使われていないようだ。
鳥居をくぐると未舗装の素朴な参道が長く続いている。雨の日は大変かも。
鳥居をくぐると未舗装の素朴な参道が長く続いている。雨の日は大変かも。
右手は木々が伐採され広く空いている。台風被害でこれだけの木々がだめになったのだろうか。
右手は木々が伐採され広く空いている。台風被害でこれだけの木々がだめになったのだろうか。
参道を進むと右手に拝殿と本殿が見えてくる。本殿は東向き。
参道を進むと右手に拝殿と本殿が見えてくる。本殿は東向き。
本殿前には右に経津主、左に大国主が祀られている。
本殿前には右に経津主神、左に大国主神が祀られている。
本殿は1段高い場所にあり垣というより塀で囲まれている。
本殿は1段高い場所にあり垣というより塀で囲まれている。
拝殿を正面よりに望む。装飾はそれほど多くはないが彫り物が少し施されている。
拝殿を正面よりに望む。装飾はそれほど多くはないが彫り物が少し施されている。
拝殿と本殿を右から望む。大きくはないが渋く、良い状態を保っている。
拝殿と本殿を右から望む。大きくはないが渋く、良い状態を保っている。
本殿を左側から望む。屋根のカーブがきれい。
本殿を左側から望む。屋根のカーブがきれい。
拝殿の上部に彫り物がある。豪華ではないが精緻。
拝殿の上部に彫り物がある。豪華ではないが精緻。
拝殿の扁額には走田神社とある。
拝殿の扁額には走田神社とある。
拝殿より本殿を右から望む。
拝殿より本殿を右から望む。
本殿を正面より望む。本殿は非常にシンプルな作り。装飾もほとんどない。
本殿を正面より望む。本殿は非常にシンプルな作り。装飾もほとんどない。
本殿の後ろ側にはなにか箱が備え付けられている。初めて見た。
本殿の後ろ側にはなにか箱が備え付けられている。初めて見た。
拝殿より正面を望む。正面は突き当りになっていて左が参道の方向。
拝殿より正面を望む。正面は突き当りになっていて左が参道の方向。
神饌所のような建物の横にはかなり大きな木がある。
神饌所のような建物の横にはかなり大きな木がある。
本殿の隣は木々が伐採されて何もない状態。
本殿の隣は木々が伐採されて何もない状態。
参道より鳥居を望む。
参道より鳥居を望む。
神社の北側にある社務所。茅葺で渋い建物、蔵もある。
神社の北側にある社務所。茅葺で渋い建物、蔵もある。

感想

由緒書によると

走田神社は社伝等によると和銅四年(七一一)に創祀されたといわれます。また、平安時代の書物である「延喜式」の「神名帳」に記載されている丹波国桑田郡十九座の内の一社です。祭神は彦火火出見尊、豊玉姫尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の三柱をお祀りしています。この彦火火出見尊は神話「海幸彦・ 山幸彦」に登場する山幸彦にあたります。豊玉姫尊は、山幸彦が海幸彦の釣針を探しに行かれた龍宮に住む海神の娘で、彦火火出見尊の妃となった方です。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、この二神の御子です。
社伝等によると、昔、社殿に掛けられていた絵馬から馬が毎夜抜け出て草を食べ歩き、やがてその蹄の跡が窪地となり川となったといわれます。この川は増水の時でも川音を立てないことから「不鳴川」とも呼ばれます。この川は、干ばつの時でも枯れることがなく、近隣の田畑を潤しました。また、この川の改修や浚渫(泥さらえ)等をするときは、故事にしたがってその日には馬の好物である青豆を供え祈願する風習が今も続いています。また、境内の中に、「垂乳味池」と呼ばれる清水があり、次のような話が伝わっています。豊玉姫尊が葺不合尊を出産した後、御子を波瀲に残し龍宮に帰ってしまいました。そこで、残された葺不合尊は豊玉姫尊の妹である玉依姫により養育されることになりました。玉依姫は、この清水の水で粥を作り乳の変わりとしました。これより「垂乳味池」と呼ばれるようになりました。後に、この清水は、乳の出の悪い婦人がこの清水で作った粥を食べると、乳がたくさん出るようになったといわれています。

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
和銅4年(711年)に創建。
元禄15年(1702年)造営。
明治6年(1873年)郷社。

鳥居をくぐると長い参道が続いているが未舗装となっており石畳ではないのが珍しい。
本殿の前には経津主神、大国主神が祀られている。

周辺はほぼ田畑で広々とした場所、式内社が数多くある曽我谷川のすぐ横にある。
古代よりこの流域は農業が盛んな地域として重要な地域だったのだろうと考えている。

社域は社殿の配置に余裕があり使っていない場所も多い。
参道や社叢の向きと本殿の向きが異なるのがちょっと気になる。

神社横にある社務所が茅葺で大いに趣がある。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2021/9/12
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから