比定社:笶原神社
式内社コード:267-090
神名帳社名 :笶原神社、ヤハラノ
社 格:小
所 在 地 :624-0936 京都府舞鶴市紺屋29
Plus Code :C8XF+69 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「やはらじんじゃ」と読む、地名の紺屋は「こんや」と読む。
舞鶴市街地の愛宕山の東山麓に鎮座。
国道27号線の大手本町交差点のひとつ南側の交差点を西に入る。
西舞鶴郵便局の前をそのまま直進して突き当たりにある。
国道27号線からは400メートルほど。
駐車場は無いので注意。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通1】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
背後の愛宕山、周辺の寺社との位置関係。
元伊勢の候補のひとつとしての視点。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
笶原神社
社格 無各社
祭神 天照大神 豊受大神 月夜見神
由緒
當社は延喜式神名帳所載の神社であって其の創立年月は明らかではないけれども歴朝の御崇敬深く靈驗顕著なること慶長年間領主細川家御再建棟札標文に詳である
寛文年間領主牧野家入國以前は地方民の崇敬深く大社の古跡であったが漸く世の變遷につれて頽廃衰微し僅かに小社を存するばかりなりとなった然し古來の餘風を残して朝代神社と同様其の祭典には各字總代等祭場に参列して神饌料を供へ神事終了後直會の儀式を行うのを例としてたけれども明治維新に際し両社共其の祭事中絶したのである其の今に存續しているのは例祭の當夜各町各字から境内に神燈を奉りて尊崇の誠意を表し稱往昔の遺風を傳えて居る
とある。
城下町倶楽部謹製の説明書によると
笶原神社
天平勝宝元年頃に創設されたと伝えられる古社。
祭神は、天照皇大神、豊受姫神、月夜見神。
合殿に清和天皇、宇多天皇が祀ってあり、かつては魚居社(まないのやしろ)とも呼ばれ、古代海部(あまべ)や、凡海連(おおあまのむらじ)に関わりをもつ。
城下町倶楽部
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、豊受大神 月夜見神。
天平勝宝元年(749年)頃創設。
慶長5年(1600年)造営、細川忠興再建棟札あり(修正)。
寛文年間(1661~1673年)以降は全く衰微。
明治36年(1903年)本殿造営(追加)。
江戸時代までは「神明宮」と呼ばれていた。
笶は笑ではない。
古く高い由緒を有し、戦国期細川氏の信奉を受け、城下の崇敬を受けた大社であつたものが、牧野氏が入国した寛文期以降は全く衰微したと伝えられる。
また当社は元伊勢とされ、伊勢神宮の故地とされている。
とある。
元伊勢のひとつとなっている神社。
元伊勢とは、現在の神宮(伊勢神宮の内宮・外宮)の神様が元々鎮座されていたとされる場所のこと。
元伊勢と言っても、天照大御神(現在の神宮内宮)と豊受大御神(現在の神宮外宮)のふたつがある。
それぞれ遷宮した時代が異なり、天照大御神は第10代崇神天皇の時代、豊受大御神は第21代雄略天皇の時代となる。
さらに遷幸、つまり移動を続けたので、それぞれの地に留まったということもある。
笶原神社は元伊勢(内宮)の候補のひとつとされている。
豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の巡歴した吉佐宮の次の4つの候補地のひとつ。
・真名井神社(京都府宮津市江尻、籠神社摂社)
・皇大神社(京都府福知山市大江町)
・笶原神社(京都府舞鶴市紺屋)
・竹野神社(京都府京丹後市丹後町)
慶長5年(1600年)の細川忠興が再建した際の棟札には次のようにあり、元伊勢の認識だったようだ。
”丹後州神座郡田辺城外之西嶺有笑原神宮焉豊受太神神幸之古跡而所謂為真名井原與佐宮二處之一而此嶺別有天香或藤岡之名焉崇神天皇即位三十九壬戌歳使豊鋤入姫命遷天照大神草薙剱月夜見神于此地以奉…(略)”
国道27号線の大手本町交差点のひとつ南側の信号のない交差点を西に入る。
街中を進むと左手に西舞鶴郵便局を見ながら進むと400メートルほどで突き当りにある。
場所は分かりやすいが、駐車場がないので探す必要がある。
周辺は、愛宕山の東麓(東向き)にあたり、由緒書にも出てくる朝代神社を始め寺社の集中している地域。
愛宕山の頂上付近には愛宕権現も鎮座する。
古くは、矢原山・天香山・藤岡と呼ばれていたようだ。
交通の要衝でもあり舞鶴と宮津・若狭・京都への街道筋でもあった。
鳥居の扁額には「総社笶原神社匏宮」(やはらまないよさのみや)とあり、清仁親王(花山天皇の第1皇子)書と伝わる。
現在は小さな社域で民家に囲まれている。
神明鳥居をくぐると正面に社殿(拝殿と本殿を兼ねる)があり非常にシンプル。
笶原神社の裏手に山に登る小径があり、登った先には祠の跡が残っている。
元は、ここに本殿があり、現在の社殿は拝殿だったようだ。
個人的な印象としては、関連資料の分析が進んでいないような感じ。
もっと深く掘り下げると新たな事実が発見されるのかもしれない。
個人的には、元伊勢(内宮)の候補地の神社として、式内社として、もっと盛り上がると良いと思う。
こんなところにある元伊勢(内宮)吉佐宮の候補地である神社。
注意点
駐車場はないので注意。
訪問ノート
訪問日 :2018/10/28
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。