267-020_伊智布西神社(伊知布西神社)

比定社:伊智布西神社(伊知布西神社)

式内社コード:267-020
神名帳社名 :伊知布西神社、イチフセノ
社    格:小
所 在 地 :624-0124 京都府舞鶴市桑飼下216
Plus Code  :C6GH+77 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いちふせじんじゃ」と読む、地名の桑飼下は「くわがいしも」と読む。
桑飼下集落の西の端の山裾に鎮座。
京都府道55号舞鶴福知山線沿いにあるので見つけるのは簡単。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

シンプルな構成の社域と本殿の方向。

写真

伊智布西神社を正面から望む。
伊智布西神社を正面から望む。
社標には式内・伊智布西神社とある。ちなみに延喜式神名帳は「伊知布西神社」となっている。
社標には式内・伊智布西神社とある。ちなみに延喜式神名帳は「伊知布西神社」となっている。
右側(西)の福知山方向を望む、前の道は京都府道55号舞鶴福知山線。駐車場無いので道路脇に駐車するしかない。
右側(西)の福知山方向を望む、前の道は京都府道55号舞鶴福知山線。駐車場無いので道路脇に駐車するしかない。
左側(東)の舞鶴方向を望む。前の道は京都府道55号舞鶴福知山線、周辺は田畑で人家は見えない。
左側(東)の舞鶴方向を望む。前の道は京都府道55号舞鶴福知山線、周辺は田畑で人家は見えない。
桑飼下というのが地名で縄文時代の遺跡の碑。このあたりは古くから開けていたようで、由良川沿いに縄文遺跡が繋がっている地域。
桑飼下というのが地名で縄文時代の遺跡の碑。このあたりは古くから開けていたようで、由良川沿いに縄文遺跡が繋がっている地域。
一の鳥居をくぐると階段があり、その上に社殿がある。
一の鳥居をくぐると階段があり、その上に社殿がある。
手水舎。
手水舎。
大きくはないが立派な千木鰹木が付いた覆屋、左右に摂社が数多くある。
大きくはないが立派な千木鰹木が付いた覆屋、左右に摂社が数多くある。
本殿を左側から望む、本殿前の広場は狭く反対側に倉庫のような建物があるのみ。
本殿を左側から望む、本殿前の広場は狭く反対側に倉庫のような建物があるのみ。
本殿を右側から望む。風雪にさらされて、かなり色褪せてしまっている。
本殿を右側から望む。風雪にさらされて、かなり色褪せてしまっている。
覆屋には内削ぎの千木、5本の鰹木が設置されている。ご祭神は諸説あるようだが女神なので内削ぎなのだろう。
覆屋には内削ぎの千木、5本の鰹木が設置されている。ご祭神は諸説あるようだが女神なので内削ぎなのだろう。
本殿の反対側にある建物、倉庫のようにも見えるし舞台のようにも見えるが詳細不明。
本殿の反対側にある建物、倉庫のようにも見えるし舞台のようにも見えるが詳細不明。
本殿より鳥居方向を望む。鳥居は北向き、本殿は東向きの配置。
本殿より鳥居方向を望む。鳥居は北向き、本殿は東向きの配置。
本殿前の広場より鳥居を望む、この方向は北を向いているビニールハウスの向こうは由良川。
本殿前の広場より鳥居を望む、この方向は北を向いている、ビニールハウスの向こうは由良川。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、伊弉册尊。
 以下のような説もある。
 『丹後旧事記』道振命
 『丹後加佐郡旧語集』市布施明神
延喜5年(905年)造営。
延長5年(927年)勅使下向。
明和3年(1766年)本殿再建。
嘉永5年(1852年)拝殿再建。
明治40年(1907年)洪水。
桑飼下の集落は、もと当神社の前の自然堤防上にあつたが、明治40年の大洪水により、全家屋が山麓の高地に移転した。
この自然堤防から、昭和48年、河川改修の際、縄文・彌生時代から奈良・平安時代にかけての遺物住居跡が発見された「桑飼下縄文遺跡」、この居住地の古さが証明された。

とある。

当地は古くから開けていたようで、由良川のすぐ横に「桑飼下縄文遺跡」がある(神社前に石碑がある)。
現代では周辺に人家もほとんど無いが、往古より福知山と舞鶴をむすぶ重要な街道筋だった。

ご祭神がハッキリせず創建時や中世の記録があまり残っていないのは少々残念だ。

当社の当初鎮座地は、すぐ前の由良川の自然堤防上にあったということだ。
明治40年の由良川の大洪水で民家20戸が流出、21戸が倒壊の被害を受けたことで山際へ移転した記録が残っている。
当社もその時に民家とともに現在の鎮座地に移転したようだ。

社標や鳥居の扁額には「伊智布西神社」とある。
鳥居は北向き、本殿は東向きの配置、京都府道55号舞鶴福知山線からは階段を20段ほど上がる。

覆屋に入った本殿のみのシンプルな構成となっている。
本殿を覗いてみると、古くて小さいながらも彫り物が施され立派なもの。
覆屋には千木鰹木も設置されている。
記録には、明和3年(1766年)本殿再建、嘉永5年(1852年)拝殿再建とある。
たぶん明治40年の由良川の大洪水で本殿のみを現在の鎮座地に遷座したのではないだろうか(個人的見解です)。
ちなみに本殿は京都府暫定登録文化財に指定されている。

全体的に社殿の状態は風雪にさらされて色褪せている。
そろそろ補修が必要な時期のように思える。
また、最近手入れが追いついていないところが気になる。

明治40年の由良川大洪水で住民と共に移転した神社。

注意点

駐車場は無いので神社前の道路脇に停めるしか無い。

訪問ノート

訪問日 :2018/10/28
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100