267-030_彌加宜神社(大森神社)

比定社:彌加宜神社(大森神社)

式内社コード:267-030
神名帳社名 :弥加宜神社、イヤカキ/ミカゲノ
社    格:小
所 在 地 :625-0062 京都府舞鶴市字森872
Plus Code  :F97V+CJ 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

みかげじんじゃと読む(通称は大森神社)。
JR東舞鶴駅の南600メートルほどの街中の平地に鎮座。
京都府道28号小倉西舞鶴線(白鳥街道)に現在の神社南側入口がある。
ここに現在の一の鳥居があり参道が230メートルほど北へ続いている。
参道脇に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境1】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通1】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索1】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

雰囲気のある参道。
霊水の湧き出る本殿。

写真

彌加宜神社(大森神社)の一の鳥居、ここから230メートルの参道が真っ直ぐに伸びている。
彌加宜神社(大森神社)の一の鳥居、ここから230メートルの参道が真っ直ぐに伸びている。
右側(東)を望む、京都府道28号小倉西舞鶴線。
右側(東)を望む、京都府道28号小倉西舞鶴線。
左側(西)を望む、京都府道28号小倉西舞鶴線。
左側(西)を望む、京都府道28号小倉西舞鶴線。
一の鳥居は両部鳥居になっている。細川忠興が寄進したとある。参道内には一般の人家がありクルマが往来する。
一の鳥居は両部鳥居になっている。細川忠興が寄進したとある。参道内には一般の人家がありクルマが往来する。
一の鳥居脇にある社標、郷社とある。
一の鳥居脇にある社標、郷社とある。
一の鳥居をくぐると230メートルの参道が真っ直ぐに伸びる。巨木・古木が多く濃い社叢が気持ち良い。古くからここに鎮座していることがよく分かる。
一の鳥居をくぐると230メートルの参道が真っ直ぐに伸びる。巨木・古木が多く濃い社叢が気持ち良い。古くからここに鎮座していることがよく分かる。
参道脇の鳥居前に駐車可能。
参道脇の鳥居前に駐車可能。
二ノ鳥居前、左は社務所、境内摂社末社が参道脇にある。
二ノ鳥居前、左は社務所、境内摂社末社が参道脇にある。
神社謹製の由緒書、式内社であること、ご祭神が鍛冶と関係の深い天之御影命であること、参道が南へ伸びていたこと、霊水が湧き出ていること、なかなかに貴重な内容となっている。
神社謹製の由緒書、式内社であること、ご祭神が鍛冶と関係の深い天之御影命であること、参道が南へ伸びていたこと、霊水が湧き出ていること、なかなかに貴重な内容となっている。
手水舎。
手水舎。
二の鳥居をくぐって拝殿を望む。左右の黒い燈籠には日立造船とあり鉄製となっている!、地域の産業からの尊崇が厚いことが伺える。
二の鳥居をくぐって拝殿を望む。左右の黒い燈籠には日立造船とあり鉄製となっている!、地域の産業からの尊崇が厚いことが伺える。
二の鳥居をくぐって拝殿を左より望む。本殿下には霊泉があり、本殿の後ろには神泉池がある。
二の鳥居をくぐって拝殿を左より望む。本殿下には霊泉があり、本殿の後ろには神泉池がある。
拝殿を右から望む。社域は非常にきれいに保たれている。
拝殿を右から望む。社域は非常にきれいに保たれている。
拝殿内部を望む。たくさんの奉納の品々が並び地域の尊崇が厚いことが伺える。
拝殿内部を望む。たくさんの奉納の品々が並び地域の尊崇が厚いことが伺える。
本殿を右から望む。近くへ行けないのが残念だが立派な本殿、彫り物がたくさん施してある。
本殿を右から望む。近くへ行けないのが残念だが立派な本殿、彫り物がたくさん施してある。
本殿裏手の神泉池。2箇所あり、かなり大きい。
本殿裏手の神泉池。2箇所あり、かなり大きい。
本殿の左側には「延齢泉」と呼ばれる霊泉が湧き出している。自由に使うことができる。
本殿の左側には「延齢泉」と呼ばれる霊泉が湧き出している。自由に使うことができる。
参集殿のような建物、寄進が掲示されている、右端の大きいものが日立造船の寄進のもの。社域には鉄に関係するものはあまり無い。
参集殿のような建物、寄進が掲示されている、右端の大きいものが日立造船の寄進のもの。社域には鉄に関係するものはあまり無い。
一の鳥居より南を望む、本殿より1.1kmほど南にある堂田神社まで参道がかつては伸びていたそうだ。
一の鳥居より南を望む、本殿より1.1kmほど南にある堂田神社まで参道がかつては伸びていたそうだ。

感想

神社謹製の由緒書によると

彌加宜神社(大森神社)
御祭神
 主祭神 天之御影命(あめのみかげのみこと)
 相 殿 誉田別命(ほんだわけのみこと)
由 緒
 当神社は平安時代中期に編纂された「延喜式神名帳」に載る式内社です。正一位大森大明神、正八幡宮とも称し、一般には「大森さん」と呼ばれ親しまれています。
  社伝によれば、鉄の書道具を作り始められた金工鍛冶の祖、手工業、産業の祖とも云える天之御影命を御祭神とし、古く十代崇神天皇十一年、青葉山に棲む玖賀耳之御笠を討ち、丹波を平定した丹波道主命により当地に祀られたと伝えられます。
  御祭神天之御影命は丹波道主命の母(息長水依比売)方の祖父にあたります。
  境内には二か所の神泉池があり、みかげの森の「杜清水」と呼ばれています。
  神殿(延享年間大修理)の床下には霊水が湧出しており長寿を授かる「延齢泉」と云われます。
  参道は白鳥街道から本殿まで二百三十米有り、古くは細川忠興寄進と云われる一の鳥居(赤い鳥居)の所から両側に並木のある幅八間の馬場参道が延びていて、在地武力集団の訓練に流鏑馬などが行われていたようです。
  例祭(七月十四日)には大正時代までの若衆による太刀振り、相撲、人形浄瑠璃等が奉納されていたのとの記録があります。尚、地元の森、行永宮衆による「猩々」の伝承太鼓は今なお継承され奉納されています。
  平安時代末期、鳥羽天皇第二皇女の女官、小宰相の局(当代一の美女)が平通盛卿(平清盛の甥、越前三位)と結婚後も長く子がなく憂いておられたところ、通盛卿、幼少時ゆかりの丹後之国森村のご当社ご神威を思い起こされ丹誠こめて祈願された。御祭神の新しいものを生み出す力、ご神徳の高さを今に伝えています。
境内社と御祭神
 八代神社(例祭 九月十三日)     須佐之男命と天照大御神の五男三女
 鹿島・香取神社            武甕槌大神、経津主大神
 三安神社(例祭 十月の日曜日)    天照大御神
 出雲神社               大国主命
 森光稲荷神社             大宮能売大神
 若宮稲荷神社             保食大神
 麒麟稲荷神社 (例祭 十一月十一日) 宇迦之御魂神
 水神社                罔象女神
 須佐神社               須佐之男命

とある。

神社謹製の由緒書によると(「延齢泉」のところ)

由緒
当社の御霊水は丹後風土記に『弥加宜社(みかげやしろ)は往昔、丹波道主命の祭り給う所にして社中に霊水有り世に杜清水(もりしみず)と号す』と記載されて居り一般に稱せられて居ります杜清水の中心であります。
往昔より延齢泉とも稱し(延享四年本社再建記に記載)長命を授かる御霊水として尊ばれて居ります。尚、崇神天皇の御代(今から二千有餘年前)に四道将軍の一将丹波道主命が当社御祭神天之御影大神(あめのみかげのおおかみ)をこの霊水の上に鎮斎された当社由来については、木造建築である我国神社建築様式としては水神以外には殆んどその例無く神社としては異例中の異例であり格別の由来がある事と思いますが遺憾ながら詳細不明であります。

とある。

じゃきりいわの会謹製の民話蛇切岩伝説によると
 昔、倉梯村多門院の黒部に、「おまつ」「おしも」という美しい姉妹がいた。ある日、姉の「おまつ」は、草刈りに出かけた与保呂の奥山にある池のほとりで、美しい若者に出逢った。
 互いにひかれた二人は末のちぎりを交わした。それとは知らぬ親から、縁談を迫られる「おまつ」。やがて二人の間を妹の「おしも」に知られてしまい、行く末をはかなんだ「おまつ」は、池の中に身を投げ、大蛇に姿を変えた。
 何日かたつと、池の主の大蛇が、村人達に危害を加えることが多くなった。そこで村を守るため大蛇を退治する相談をした。
この時、ひとりの男が大蛇退治に名乗りを上げモグサで大きな牛の形を作り、火をつけて池の中に投げ込んだ。
 これをひと飲みにした大蛇は、おなかの中で燃え広がるモグサに苦しみ、のたうちまわった。大蛇は、にわかに降り出した大雨で、洪水となった池の水に流された。そして、下流にあった大きな岩に激突し、たちまちからだが三つに切れてしまった。
 祟り(たたり)をおそれた村人は、三つに切れた「おまつ」の化身である大蛇の頭を与保呂の「日尾池姫神社」、胴を行永の「どうたの宮」、尻尾をここ「大森神社(弥加宜神社)」に祀った。
 そして、大蛇が三つに切れた岩を「蛇切岩」と名付けた。
古来より語り伝えられてきた川に対する
畏敬と五穀豊穣を祈る器量な民話である。
平成二十三年三月二十九日
じゃきりいわの会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、天御影大神・誉田別大神。
崇神天皇11年(BC97~30年、諸説あり)丹波道主命が創祀。
天正期(1573~1592年)には社領百石を有した。
慶長5年(1600年)兵火で社殿焼失。
元禄13年(1700年)造営。
延享4年(1747年)造営。
大正11年(1922年)郷社。
昭和19年(1944年)府社。
江戸時代までは「大森大明神」と呼ばれていた。
創祀の頃は、現社域南の旧行永村小字みかげ谷にあったと伝えられるが、その旧社域や遷座の年代は不詳である。
邏座は8世紀以前と考えられる。
水をまつる社とし、本殿は井戸の上に建ち、境内から杜(もり)清水と呼ばれる霊水が涌き出る。
古代倉梯郷を本拠とした製鉄集団・息長氏の神まつりの場が「森」であり「行永」は息長に由来すると考えられてきている。

とある。

ご祭神は、天之御影命(あめのみかげのみこと)、またの名は天目一箇神(あめのまひとつのかみ)とも言う。
天目一箇神という名の通り、一つ目(片目)で製鉄神だ。
ご存知の通り、たたら製鉄の際に温度を見極めるために炎を見つめることで目を痛めることからこの名が付いている。
製鉄神や鉄に関係する神としては、他に金屋子神(かなやごかみ、金山彦・金山媛とも)も有名だ。

彌加宜神社の旧社地や遷座時期は明らかではないが、
南へ約2kmの場所にある藤森神社ではないかというお話しもある。
藤森神社のあたりは、行永弥加宜という地名が残っている。
この地は、現代の感覚とは大いに異なり意外と便利な場所で、西舞鶴の南や綾部とも繋がる。

考えてみれば、製鉄神であれば鉄が採れる場所近くに鎮座するというのが自然だろうと思う。
とすれば、鎮座地は山際や山中となるのが自然だ。
たたら製鉄を行うのであれば、鉄穴流し(かんなながし)を行うために川が流れている必要もある。
さらに、たたら製鉄を行う際に大量の木炭を使用するために、やはり山が近くなくてはならない。
最初は山際や山中で鉄を採り、製鉄したり金工鍛冶を行っていたが、次第に資源が細るということもあるだろう。
産鉄民は鉄が採れる場所を探して移動する。

こうして製鉄との関係を考えていくと、藤森神社あたりの土地が本来の場所だったのだろう。
ひょっとすると、参道が南の堂田神社まで延びていたというのは逆だったのではないだろうか。
藤森神社へ行くための参道が現在の彌加宜神社の場所(白鳥街道あたり)より始まっていたということはないだろうか(個人的見解です)。
いずれにしても、藤森神社までは直線で2kmほど、比較的狭い範囲でのお話なので可能性としてはあると思う。

現在の社域は、京都府道28号小倉西舞鶴線(白鳥街道)沿いに一の鳥居(両部鳥居)がある。
よく見れば、鳥居の外側にも境外社(枯木堂)がある。

一の鳥居をくぐると気持ちの良い参道が続く、左右には巨木・古木が林立し濃い社叢を形作っている。
素晴らしい参道だ。
街中なので参道のすぐ脇は人家になっており、ところどころ参道を横切る道もある。
しばらく行くと左に社務所、正面に二の鳥居があり社殿が見える。

拝殿前には黒い鉄灯籠(さすが鉄の神さまだ)と珍しい配置の狛犬がある。
由緒書にもあるように「杜清水」と呼ばれる湧水が有名で、本殿の下から湧き出ていたり神泉池がある。

本殿は垣に囲まれており残念ながらよく見えないのだが端正な建築で美しいシルエットを見せている。
なかなか豪華な彫り物と組物も施されている。
延享4年(1747年)の建築のようだが状態は非常に良いようだ。
本殿は京都府指定登録文化財となっている、ちなみに社域全体は弥加宜神社文化財環境保全地区に指定されている。

社域は巨木・古木が多く素晴らしい社叢、社殿も素晴らしい状態で一見の価値がある。
地域の尊崇厚く奉納されたものも多い。
さらに日頃の手入れがよく行き届き気持ちよく参拝できる。

産鉄神を祀る地域に愛されている神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2020/5/30
交通手段:クルマで訪問
カメラ :EOS80D + TAMRON 10-24mm F/3.5-4.5 Di II VC HLD B023

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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