266-140_福太神社

比定社:福太神社

式内社コード:266-140
神名帳社名 :福太神社、フクタノ
社    格:小
所 在 地 :623-0112 京都府綾部市上八田町寺垣24
Plus Code  :974H+8R 綾部市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「ふくたじんじゃ」と読む、地名の上八田は「かみやた」と読む。
上八田町の集落の北の端の山裾に鎮座。
京都府道485号物部梅迫停車場線から北を見ると神社の間に鳥居が見えるが分かりにくい。
集落の中の道は狭小なので注意が必要。
神社前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

一の鳥居から続く林の中を続く参道が良い感じ。

写真

福太神社の一の鳥居を望む。
福太神社の一の鳥居を望む。
右側(東)を望む、周辺は山林と田畑と人家。
右側(東)を望む、周辺は山林と田畑と人家。
左側(西)を望む、神社前にスペースが有り駐車可能。山が張り出した形状の場所にあるのが分かる。
左側(西)を望む、神社前にスペースが有り駐車可能。山が張り出した形状の場所にあるのが分かる。
社標には式内村社とある。
社標には式内村社とある。
一の鳥居をくぐると林の中の参道、良い雰囲気だ。回りの木々は若い。
一の鳥居をくぐると林の中の参道、良い雰囲気だ。回りの木々は若い。
階段を登りきると拝殿前の広場に到着。
階段を登りきると拝殿前の広場に到着。
手水舎。
手水舎。
二の鳥居は銅製だろうか、神明鳥居の形状をしている。
二の鳥居は銅製だろうか、神明鳥居の形状をしている。
拝殿と覆屋が合体した形式。かなり大きなものだ。左右に摂社末社がある。
拝殿と覆屋が合体した形式。かなり大きなものだ。左右に摂社末社がある。
拝殿より二の鳥居を望む、集会所のような建物がある。
拝殿より二の鳥居を望む、集会所のような建物がある。
拝殿前の広場より一の鳥居を望む。よい雰囲気の参道。
拝殿前の広場より一の鳥居を望む。よい雰囲気の参道。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、須佐之男命。
 別の説として以下のものがある。
 『神名帳考証』保食神
 もとは八田郷の先祖の氏神を祭つてゐたのが、奈良時代の律令制神祗政策により、出雲系の素盞鳴尊に改神したのでないかと推定される。「式内社調査報告」
創立の由緒不詳。
元禄12年(1699年)造営。
寛政2年(1790年)改修。
明治10年(1877年)延喜式々内社指定。
大正9年(1920年)神饌幣帛料供進神社指定。
もとは同じ町内の福田の薬師堂(毘沙門堂)にあった、その後現在の地に。
江戸時代までは「福田大明神」と呼ばれていた。
もとは同じ町内の福田の薬師堂(毘沙門堂)がある所に一緒に祭られていたと思われ、それが恐らく古い時代かまたは明治初年の神仏分離期に今の場所に遷されたものであろう。

とある。

地図上で当地を眺めていると交通の要衝であることが分かる。
東に京丹波、西に大江、南に綾部、北に舞鶴、と街道が続いている。
北には丹波と丹後の国境もすぐの場所にあたる。

個人的には、神社名の福太・福田と地名の八田とは転訛では無いかと思う(個人的見解です)。
どちらが先なのかは不明だが…。

鎮座地については”もとは同じ町内の福田の薬師堂(毘沙門堂)にあった”とある。
確かに薬師前という小字が残り、八重坂峠を越え篠田町へ抜ける街道があったようだ。
また、現在の鎮座地の小字は八田前となっており、なかなかに興味深い。

京都府道485号物部梅迫停車場線より1本北、集落の中の狭い道を行くとカーブになった山が突出した形状の場所に鳥居がある。
一の鳥居をくぐると、ゆるい傾斜の参道が続き雰囲気が非常に良い。
参道の石段を登ると拝殿前の広場となる。
広場には右に参集殿のような建物、左に手水舎がある。
広場より1段上、石垣と垣に囲まれた立派な社殿がある。
社域の木々は多いが若く巨木・古木は無い。

社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成されており、拝殿と覆屋は一体化している。
寛政2年(1790年)改修とあるので、此の時の社殿だろうと思われる。
残念ながら本殿を外部から見ることはできない。
拝殿より本殿を望むと、小ぶりだが状態の良い本殿が見える。
本殿には精緻な彫り物が施されているのが分かる(作者不明)。

よく手入れされており気持ちよく参拝できる。

いつ頃遷座したのか気になる神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/10/28
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100