266-050_御手槻神社

比定社:御手槻神社

式内社コード:266-050
神名帳社名 :御手槻神社、ミテツキノ
社    格:小
所 在 地 :623-0221 京都府綾部市位田町岩井107
Plus Code  :8774+83 綾部市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「みてつきじんじゃ」と読む、地名の位田町は「いでんちょう」と読む。
位田町の集落の西の端の小高い丘に鎮座。
綾部市街の北の由良川北岸で周辺は住宅と町工場が半々な地域。
比較的分かりやすい場所なので迷うことは無いだろう。
神社の西側に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

拝殿と本殿の立派な彫り物と組物。

写真

拝殿本殿は前の道路よりも高い場所にある、後ろは小高い丘になっている。
拝殿本殿は前の道路よりも高い場所にある、後ろは小高い丘になっている。
右側(東)を望む、周辺は住宅と町工場がポツポツある。
右側(東)を望む、周辺は住宅と町工場がポツポツある。
左側(西)を望む、神社の駐車スペースがあり2台くらいは駐車可能。
左側(西)を望む、神社の駐車スペースがあり2台くらいは駐車可能。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
階段を登ると鳥居があり広場がある、左手の建物は社務所だが無人のようだ。
階段を登ると鳥居があり広場がある、左手の建物は社務所だが無人のようだ。
階段を登った広場にある手水舎、井戸併設タイプ。
階段を登った広場にある手水舎、井戸併設タイプ。
階段を登った広場にある社務所、地域の集会所のようになっているのだろうか。
階段を登った広場にある社務所、地域の集会所のようになっているのだろうか。
訪問は年末だったため拝殿はきれいに正月飾りされている。
訪問は年末だったため拝殿はきれいに正月飾りされている。
拝殿を右側から望む、彫り物がなかなか豪華。
拝殿を右側から望む、彫り物がなかなか豪華。
拝殿を左側から望む、よく手入れされているのがよく分かる。
拝殿を左側から望む、よく手入れされているのがよく分かる。
拝殿の後ろの本殿を望む、なかなか厳重に囲われていている。
拝殿の後ろの本殿を望む、なかなか厳重に囲われていている。
隙間から本殿をパチリ、覆屋と本殿が合体したような形状になっている、組物がなかなか立派。
隙間から本殿をパチリ、覆屋と本殿が合体したような形状になっている、組物がなかなか立派。
同じく本殿の後ろ側を隙間からパチリ。
同じく本殿の後ろ側を隙間からパチリ。
拝殿の屋根に見えるご神紋は左が三日月、右が満月のように見える、珍しい。
拝殿の屋根に見えるご神紋は左が三日月、右が満月のように見える、珍しい。
拝殿から鳥居を望む、向こうの気が茂っている先は由良川。
拝殿から鳥居を望む、向こうの気が茂っている先は由良川。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神、伊弉諾尊、以下諸説あり。
 『神名帳考証』豐宇氣姫命
 『神社要録』不詳
 『特選神名牒』伊邪那岐命
 昭和15年(1940年)京都府許可御手槻神
由緒不詳
明治10年(1877年)式内社選定。
中世以来吉美郷内の高倉神社(祭神以仁王、吉美村大字高倉)に勢力を奪われて衰微していたが、明治初年に吉美村より以久田村位田に所管を讓渡されたと伝えられている。

とある。

綾部市史によると

所在 綾部市位田町岩井
祭神 伊邪那岐命、「渡会氏神名帳考証」では豊宇気姫命としている。
由緒 創立年代は不詳、祭神については従来諸説があったが、昭和11年祭神決定を申請し、「特選神名牒」および伴信友の説をとって決定された。
俗に御手槻大明神・満月大明神などといい、日月を以て神紋としている。
当社はもと吉見の里の氏神であったが、のちに位田に譲ったとの伝承がある。
地理的位置からみて吉見郷に属していたと考えても無理はなく、現に里町は氏子になっている。

とある。

当社とは直接関係は無いが、明治期には政府が明治7年(1874年)に各都道府県に神社の調査を命じた。
京都府は明治8年(1875年)より調査を行い、それを編纂した資料が「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と言うそうだ。

当社の創建時のお話は全く伝わっていない。
かつて、吉美郷の氏神だったが、中世に吉美郷の氏神は高倉神社となったために衰退していたようだ。
明治期に上記の京都府による調査もあり、式内社の選定を受け再興されたようだ。

興味深いのは、綾部市史に”昭和11年祭神決定を申請し…”とあることだ。
当時は、ご祭神は申請をしていたようだ(今もそうなのかどうか不明)。
戦前までは、政府により神社がきっちりと管理されていたということなのだろう。
こうした当時の調査が無いと、今よりもさらに資料が残っていなかったのかもしれない。

当社の社域は、道路からは少し高くなっていて拝殿がある、さらにもう一段高い場所に本殿がある。
石垣がカッチリ組んであるのが印象的だ。

社殿は新しく立派で状態も非常に良い(明治期の建築か)。
拝殿の彫り物がなかなか印象的、本殿は組物が素晴らしい造形を見せている。

社殿に付いているご神紋は2種あり、三日月と満月となっているのが非常に珍しい。
社名には「月(つき)」は付かないが、御手槻神社の「みてつき」は月なのだろう。
かつて満月大明神とも呼ばれていたことを考えると、月とは大いに関係が深そうだ。
こうした由緒が残っていると、様々な謎を解き明かす糸口になるのではないだろうか。

非常にきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/12/29
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3