278-060_須賀神社(新温泉町宮脇)

比定社:須賀神社(新温泉町宮脇)

式内社コード:278-060
神名帳社名 :須加神社、スカノ
社    格:小
所 在 地 :669-6944 兵庫県美方郡新温泉町宮脇193
Plus Code  :GCFV+98 新温泉町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「すかのじんじゃ」と読む、地名の宮脇は「みやわき」と読む。
宮脇集落の南端の山の中腹に鎮座。
国道9号線の千谷大橋より兵庫県道262号岸田諸寄線に入り南下する。
400メートルほどで浅い角度で東へ入り岸田川にかかる橋を渡り突き当りを右(南)へ入り行き止まりまで行くと神社前に出る。
クルマは宮脇公民館の周囲の邪魔にならない場所に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

谷筋を見下ろす立地。

写真

宮脇集落の一番奥(南)まで進むと公民館の向こうに鳥居と社殿が見えてくる。この場所で行き止まりとなる。
宮脇集落の一番奥(南)まで進むと公民館の向こうに鳥居と社殿が見えてくる。この場所で行き止まりとなる。
須賀神社を正面より望む。現在の社域は広くない西向きの鳥居と社殿で構成される。
須賀神社を正面より望む。現在の社域は広くない西向きの鳥居と社殿で構成される。
右側(南)を望む。集落の中を進んでくると鳥居の前で行き止まりとなる。少々見えづらいが水路だろうか石積みが続いている。
右側(南)を望む。集落の中を進んでくると鳥居の前で行き止まりとなる。少々見えづらいが水路だろうか石積みが続いている。
正面(西)を望む。正面には岸田川の川筋、河岸段丘になっているのが分かる。現在の兵庫県道262号岸田諸寄線は川の向こう側を通っているが、かつての街道筋はこの道だったのではないだろうか。
正面(西)を望む。正面には岸田川の川筋、河岸段丘になっているのが分かる。現在の兵庫県道262号岸田諸寄線は川の向こう側を通っているが、かつての街道筋はこの道だったのではないだろうか。
左側(北)を望む。宮脇集落が見えている、集落の中の道は狭いので注意が必要。
左側(北)を望む。宮脇集落が見えている、集落の中の道は狭いので注意が必要。
鳥居は上部が木製、鉢巻の下が石で作られている。扁額には須賀神社とある、大ヒノキの説明書きによると「すかのじんじゃ」と読むらしい。
鳥居は上部が木製、鉢巻の下が石で作られている。扁額には須賀神社とある、大ヒノキの説明書きによると「すかのじんじゃ」と読むらしい。
鳥居をくぐると素朴な丸石の参道、正面に拝殿、その奥に覆屋に入った本殿。後方は治山工事により擁壁がある。
鳥居をくぐると素朴な丸石の参道、正面に拝殿、その奥に覆屋に入った本殿。後方は治山工事により擁壁がある。
右側には何もないが、かつての社域はもっと広かったのではないだろうか。
右側には何もないが、かつての社域はもっと広かったのではないだろうか。
左側を望む。左奥に摂社末社。さらに左に公民館。
左側を望む。左奥に摂社末社。さらに左に公民館。
宮脇公民館は新しくて立派な建物。このあたりに駐車可能。
宮脇公民館は新しくて立派な建物。このあたりに駐車可能。
拝殿はシンプルなもの。残念ながら内部は見ることができない。
拝殿はシンプルなもの。残念ながら内部は見ることができない。
覆屋に入った本殿を正面より望む。右側の巨木が「須賀神社の大ヒノキ」。
覆屋に入った本殿を正面より望む。右側の巨木が「須賀神社の大ヒノキ」。
覆屋に入った本殿を右側より望む。
覆屋に入った本殿を右側より望む。
覆屋に入った本殿を左側より望む。「須賀神社の大ヒノキ」は兵庫県下で3位の巨木だそうだ。
覆屋に入った本殿を左側より望む。「須賀神社の大ヒノキ」は兵庫県下で3位の巨木だそうだ。
覆屋内の本殿を望む。元禄3年(1690年)の」建築だと思われるが状態は良くない。
覆屋内の本殿を望む。元禄3年(1690年)の」建築だと思われるが状態は良くない。
覆屋に入った本殿は大きく優美な建物。全体的に補修が必要な印象。
覆屋に入った本殿は大きく優美な建物。全体的に補修が必要な印象。
残念なことに破損箇所があるので早急な補修がなされることを望みたい。
残念なことに破損箇所があるので早急な補修がなされることを望みたい。
覆屋に入った本殿と「須賀神社の大ヒノキ」を望む。この巨木は樹齢何年くらいなのだろうか。
覆屋に入った本殿と「須賀神社の大ヒノキ」を望む。この巨木は樹齢何年くらいなのだろうか。
兵庫県謹製の「須賀神社の大ヒノキ」説明書。これによると(すかのじんじゃ)と読むようだ。兵庫県下第3位の巨木とある。
兵庫県謹製の「須賀神社の大ヒノキ」説明書。これによると(すかのじんじゃ)と読むようだ。兵庫県下第3位の巨木とある。
本殿前より拝殿を望む。
本殿前より拝殿を望む。
拝殿左奥より鳥居を望む。
拝殿左奥より鳥居を望む。
本殿左側にある摂社末社。詳細は不明。
本殿左側にある摂社末社。詳細は不明。
左側より拝殿と覆屋に入った本殿を望む。
左側より拝殿と覆屋に入った本殿を望む。
拝殿より鳥居を望む。
拝殿より鳥居を望む。
鳥居の前を奥に進むと水路だろうか石積みがあって、かつては社域がさらに奥に続いていたのではないだろうか。
鳥居の前を奥に進むと水路だろうか石積みがあって、かつては社域がさらに奥に続いていたのではないだろうか。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、道中貴命。

創立年代を詳らかにすることはできない。
大化3年(647)創建(追加、『新温泉町』)
貞観10年(868年)従五位下(追記)。
永久2年(1114年)造営。
保元3年(1158)石清水八幡宮の末社となる(追加、『新温泉町』)。
鎌倉時代(1190~1329年)神田六町二八○歩。
元禄3年(1690年)造営。
明治6年(1873年)村社。

江戸時代までは「菅大明神」・「菅神社」と呼ばれていた。

岸田川上流域は和名抄の但馬国二方郡八太(波多)郷に比定され、その郷域のほぼ中間地点である河谷の段丘面上に宮脇集落が立地している。当社は集落の上に所在している。創建以来現在の鎮座地を移つた記録はない。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:道中貴神(ミチナカノムチノカミ)

由緒:
 創立年月不詳。
 延喜式の制小社に列し鎌倉時代神田6町280歩を有したり。元禄3年(1690)社殿を再建し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。

とある。


兵庫県謹製の須賀神社(すかのじんじゃ)の大ヒノキの説明書によると

郷土記念物 須賀神社の大ヒノキ
指 定 対象 ヒノキ 1本
指定年月日 平成7年3月31日
 地域の人々の暮らしを永年見守ってきたこのヒノキ
は、地域のシンボルとして親しまれている。
 ヒノキとしては県内第3位の巨木である。
兵庫県

とある。


新温泉町歴史文化遺産活用計画 平成26年3月 新温泉町 によると

宮脇の須賀神社の創建は、大化3年(647)とも伝えられており、「延喜式神名帳」(延長5年・927)にも記されている八田地域の一宮として崇拝されている古い神社です。保元3年(1158)石清水八幡宮の末社となり、二方郡の八幡信仰の中心となつていました。

とある。


須賀神社(新温泉町宮脇)のある当地は、波太・八太として記録が残る地域。
奈良時代では温泉・波太、平安時代では温泉・八太・熊野・刀岐・陽口・久斗・二方・田公・大庭の郷名が残る。
すぐ北側に古代「山陰道」が通り、南の扇ノ山へ続く谷筋の北側出口にあたる場所。
南へ諸鹿峠を経由して若桜へ通じ、谷筋の南端あたりから東へ行くと香美町小代区へも通じる。
現代的感覚では行き止まりの谷筋の北側出口といった感じだが、かつては街道筋だったと想像できる。
周囲には、宮脇遺跡・二尾山縄文遺跡・二尾山寺院跡等があり古くより開けた場所だったようだ(兵庫県考古博物館資料による)。
南の扇ノ山あたりで採取された鉱物等々の集積地だったのだろうか?(個人的見解です)。

須賀神社(新温泉町宮脇)のご祭神は、道中貴命。
道中貴命(みちなかむちのみこと)は「272-110_足鹿神社」でも祀られる神さま、平安時代初期に天皇の命により都から派遣せられ、当地において政務に当たるなど功績のあった人ということだ。
272-110_足鹿神社は兵庫県朝来市八代に鎮座しており、当地とはかなり離れた場所になる。
須賀神社(新温泉町宮脇)と「272-110_足鹿神社」の関係も不明。

創建は永久2年(1114年)というお話があるが、それでは延喜式神名帳と合わない。
新温泉町の資料によると大化3年(647)に創建、保元3年(1158)石清水八幡宮の末社になり二方郡の八幡信仰の中心となったとある(出典は不明)。
いずれにしても創建に関する資料が乏しく詳細は不明。

須賀神社(新温泉町宮脇)へのアプローチはそれほど難しくない。
国道9号線の千谷大橋より兵庫県道262号岸田諸寄線に入り南下する。
400メートルほどで浅い角度で東へ入り岸田川にかかる橋を渡り集落の中の突き当りを右(南)へ入り行き止まりまで行くと神社前に出る。
鳥居や社殿が見えないので突き当りまで行くことが重要だ。
ありがたいことにクルマは宮脇公民館の周囲の邪魔にならない場所に駐車可能。
周囲は岸田川の河岸段丘状の場所で、現在は集落の南端に位置している。

須賀神社(新温泉町宮脇)の前まで行くと向かって左側に立派な宮脇公民館があるのが印象的。
鳥居と社殿は西を向いていて背後に山があり前に岸田川の谷筋が見渡せる。
下部がコンクリート、上部が木製の重厚な印象を受ける鳥居をくぐると丸石で作られた参道が拝殿まで続いている。
社域はきれいに草刈りがなされている。
拝殿は簡素な構造で残念ながら内部を見ることができなかった。
拝殿前には巨岩が地面にいくつも埋まっておりひょっとしたら大きな建物があったのかもしれない。
拝殿の後方、石段の上に覆屋に入った本殿、右脇には「須賀神社の大ヒノキ」がある。
本殿の後方は擁壁が組まれ治山工事がなされている。
覆屋に入った本殿は、記録では元禄3年(1690年)の」建築だと思われるが少々荒れていて補修が追いつかないという印象だ。
社域は西向きで正面に谷筋、南側はゆるく斜面になっている、北側は集落側でフラット、全体的に少々いびつな印象を受ける。
かつてはもっと規模が大きかったのではないかと感じた(個人的見解です)。
ちなみに保元3年(1158)石清水八幡宮の末社となった、とあるが現在では痕跡は発見できなかった。
いずれにしても長く後世へ残してほしい神社だと思う。

かつての二方郡と南側を結ぶ交通の要衝にある鉱物と関係が深いと思われる神社。

注意点

集落の中の道は狭いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2022/6/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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