比定社:井田神社(豊岡市日高町)
式内社コード:275-100
神名帳社名 :井田神社、ヰタノ
社 格:小
所 在 地 :669-5313 兵庫県豊岡市日高町鶴岡122
Plus Code :FQFR+V7 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「いだじんじゃ」と読む、地名の鶴岡は「つるおか」と読む。
円山川右岸(東)鶴岡集落の対岸の丘の中腹に鎮座。
国道482号線で円山川を東へ渡り東側より回り込む。
林道のような道を行くと右への分岐があり神社前まで行ける。
周辺に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
円山川をはさんで対岸に鳥居のある位置関係。
船での参詣が今でもできるところ。
写真
感想
日高町教育委員会謹製の井田神社社叢説明書によると
日高町指定天然記念物
井田神社社叢
昭和59年3月30日指定
管理者 井田神社
井田神社社叢は、標高17mの円山川右岸から77.2mの伊福城跡まで広がっています。町内で最も低いところにある照葉樹林で、面積が8,792㎡と比較的大きな規模を持っています。この社叢には、町内で稀なタブノキやカゴノキを含む複数の大木が残ることから原生状態に近いと考えられ、日高町の低地の照葉樹林を考える上で高い価値を持つ森です。社叢は、スダジイやシラカシの中にアラカシが混じる照葉樹林ですが、タブノキやカゴノキ、イタビカズラなど温暖な場所に生育する植物も含まれています。カゴノキは「なんじゃもんじゃの木」とも呼ばれ、大木になると樹皮が鹿の子上にはがれて独特の風情があります。
平成十五年三月
日高町教育委員会
とある。
日高町教育委員会謹製の天然記念物説明書によると
日高町指定史跡・名勝天然記念物
天然記念物井田神社社叢
指定年月日 昭和五十九年三月三十日
所 在 地 日高町鶴岡
所 有 者 井田神社
井田神社の社叢は、標高一七mの円山川右岸より七七.二mの伊福古城跡までの面積八七九二㎡にわたり、暖地性植物群落を形成している。社叢には、シイ、カシの巨木を始め、三十数種の樹木があり、品種別にすればさらに膨大な数にのぼる。特にカゴノキ(正体不明でなんじゃもんじゃの木と呼ばれた)の珍木が大小十数本自生していることは貴重である。
羊菌類、草木類の植物も数多く自生し、展望は雄大且つ絶景であり、学問的価値も髙い。
日高町教育委員会
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、倉稻魂命。
また次の説もあるようだ。
『特選神名牒』大宜都比売命
『兵庫県神社誌』倉稻魂命・誉田別命・気長足姫命
創立年月不詳
嘉祥元年(848年)悪疫流行で石清水八幡宮より勧請(修正)。
中世には社領を有していた。
元亨元年(1321年)造営。
永享9年(1437年)造営。
天正12年(1584年)造営。
宝永2年(1705年)本殿造立。
明治3年(1870年)神霊を改めて勧請。
明治6年(1873年)村社。
明治15年(1882年)楯縫神社を合祀(追加)。
昭和22年(1947年)楯縫神社を分離(追加)。
初め円山川の東辺、通称山中字宮ノ谷に鎮座、その後現在の地に。
江戸時代までは「井田神社八幡宮」と呼ばれていた。
当初は倉稲魂命を祀っていたが、嘉祥元年悪疫流行で山城国石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したという。
本来、渡船によつて河岸から参拝したようであり、船着場から東向き、山腹に石段が長く続いている。
明治以後、楯縫神社を併祀したが、昭和22年分離した。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:倉稲魂命(ウカノミタマミコト)
配祀神:誉田別命(ホンダワケノミコト)・気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
創祀は不詳ではあるが、元々は倉稲魂命を祀っていたが嘉祥元年(848)悪疫流行の際、山城国石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと云う。
とある。
井田神社の鎮座場所は、円山川右岸(東側)の小高い丘の中腹にある。
この丘の頂上は伊福城跡となっており、室町~戦国期は山名氏配下の下津屋氏が城主だった。
円山川の水運を押さえるには絶好の立地だ。
そのためか、参道がが円山川まで続き、船での参詣が色濃く残るのは興味深い。
但馬の中心地は、円山川対岸の但馬国府あたりだっただろうから、井田神社へ参詣するには船が主な手段だったのだろう。
さらに円山川左岸(対岸)には井田神社鳥居旧跡という場所がある。
個人的には、井田神社の一の鳥居が円山川左岸(西)にあり、円山川を渡って井田神社に到達するということだったのではなかろうか。
川が参道に組み入れられているというのは、参詣の際の禊ということもあり珍しくはない。
また、この辺りは神社の密度が非常に濃い地域、但馬国・気多郡の総社である気多神社が北側僅か500メートルに鎮座している。
井田神社へのアプローチは、東側より回り込む必要がある。
国道482号線で円山川を渡り、すぐに南へ入るがここは井田神社の北側にあたる。
さらに南へ曲がりこみ林道のような道を南下すると300メートルほどで右(西)へ入る道が現れる。
ここを入ると井田神社の正面に出れる。
周辺に駐車可能。
円山川に向かって鳥居がある。
鳥居の正面には円山川への降りるための石段があり、船でのアプローチが可能となっている。
船着き場が現代にもそのまま残っているのは珍しいのではないだろうか。
石段を登ると一旦平坦な場所、その先に短い石段を登ると社殿がある。
訪問時には、本殿脇の垣の補修作業中で、資材を上げるために、石段を半分使用してスロープが設置してあった。
クルマで社殿のあるところまで登れないようだ、これは珍しい。
造営や補修の際の苦労が偲ばれる。
社域には巨木もあり古くよりここに鎮座していることが分かる。
また石燈籠等も数多くあり尊崇厚かったことが見て取れる。
社殿は拝殿と本殿で構成され、大きくて立派なもの、宝永2年(1705年)の建築とある。
風雪で色褪せているが比較的状態は良く、すぐに補修が必要な感じではない。
井田神社の由緒はその時々の事情が垣間見て取れるので興味深い、整理してみると。
・元々は山中字宮ノ谷に倉稲魂命を祀った、創建は不明、旧鎮座地不明
・その後に現在地に遷座、時期不明
・嘉祥元年(848年)悪疫流行で石清水八幡宮より勧請
・明治3年(1870年)神霊を改めて勧請
・明治15年(1882年)楯縫神社を合祀
・昭和22年(1947年)楯縫神社を分離
個人的に気になるのは明治から昭和に行われた、改めて勧請・楯縫神社の合祀分離という部分、どういう事情があったのだろうか。
円山川をはさんで対岸に鳥居のある神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2018/11/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。