比定社:佐久神社(豊岡市日高町)
式内社コード:275-140
神名帳社名 :佐久神社、サクノ
社 格:小
所 在 地 :669-5351 兵庫県豊岡市日高町佐田68-2
Plus Code :FP2Q+RF 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「さくじんじゃ」と読む、地名の佐田は「さた」と読む。
佐田集落の東の一番奥の山腹に鎮座。
集落の中は道が狭く駐車スペースが無いので広い場所に駐車し徒歩でアプローチ。
集落の中を東へ徒歩で進むと鳥居が見え石段となる。
その先に獣避けフェンスがあるので開けたら必ず閉めること。
急勾配の正面石段は崩落し登れないので左側の参道を15分ほど進むと社殿がある。
駐車場は無いので注意。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩4】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
高低差のあるダイナミックな社域。
中井権次橘正貞による本殿の彫り物。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
郷社 佐久神社
鎮座地 三方村佐田字宮山
祭 神 荒木神社 八幡神社
山祇神社 三柱神社
由 縁 創立年月不詳にして楽前庄五箇村の開拓神と大川五社大明神と称す
(中略)
明治六年十月郷社に列し同
四十一年十一月四日四社を合祀し
翌四十三年拝殿を新築・
昭和四年本殿の屋根替を行う
昭和六十三年には秋葉大権現
の改築を行う
境内神社 正一位稲荷大明神
秋葉大権現
祭 日 産土講
例 祭 初午祭 秋祭り 産土講
敬白
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、手力男神、(合祀)息長帶比売命・品陀和気命・山祇命・奧津彦命。
神武天皇9年(BC652年、諸説あり)創祀(修正)。
天正の頃(1573~1592年)垣屋隠岐守降国築城し崇敬(修正)。
寛政11年(1799年)神祇管領ト部良連の祀詞。
天保13年(1842年)本殿再建。
明治3年(1870年)佐久神社に復称。
明治6年(1873年)郷社。
明治41年(1908年)山祇神社・八幡神社・荒木神社・須賀神社を合祀(追加)。
明治43年(1910年)幣殿拝殿を新築(追加)。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進社指定。
昭和4年(1929年)本殿の屋根替(追加)。
昭和63年(1988年)秋葉大権現の改築(追加)。
江戸時代までは「大川大明神」と呼ばれていた。
室町時代末期に興つた吉田神道の影響を受け、近世には大川大明神、大川五社大明神と称するようになつた。
寛政11年(1799年)7月26日神祇管領ト部良連の祀詞によれば、このときに佐久神社へ大川大明神の霊代を迎えたという。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:手力男神(タジカラオノカミ)
配祀神:山祇命(ヤマツミノミコト)・息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)・品陀和気命(ホンダワケノミコト)・奥津彦命(オキツヒコノミコト)
創立年月不詳にして楽前庄五箇村の開拓神と称す。
思ふに当社祭神に関しては国司文書に人皇一代神武天皇9年冬10月齋祀佐久津彦命於佐久宮とあり但馬神社探秘考、神名帳考證等には木花咲耶姫を配祀せるものならん
延喜式の制小社に列し近世境内の山上に楽前城ありて垣屋隠岐守隆国城主として天正の頃まで本郡を領し当社を崇敬せしも垣屋氏滅亡後は自然舊観を損し社家退散し昔日の壮観なし、されども西気谷開拓の祖神と尊崇し春秋二季の祭日には各村とも参拝するの遺風今に残れり
又寛政11年(1799)7月26日神祇官領卜部良連の祝詞によれば此時佐久神社へ大川大明神に霊代を迎へたるものの如し
天保13年(1742)本殿を再建し明治3年(1870)佐久神社と復称す同6年(1873)10月郷社に列し同41年(1908)11月4日山祇神社、八幡神社、荒木神社、須賀神社を合祀し同43年(1910)幣殿拝殿、を新築、昭和4年(1929)本殿の屋根替を行へり。
とある。
当地は、但馬国・気多郡の「楽前郷」あるいは「佐々前郷」にあたる。
読みは、「ささくま」あるいは「ささのくま」と読むようだ。
佐久神社の背後の山は楽前山(標高300メートル)で、応永年間(1394年~1428年)に垣屋隆国により楽前城が築かれた。
地図を見てみれば、当地は交通の要衝であることがよく分かる。
東は円山川、少し北へ行けば但馬国府、西は金山峠経由で村岡、南は八鹿と街道が集まる場所。
また、谷筋(川筋)が集まる山間部には貴重な盆地を形成している。
かつては佐田集落から南東へ続く谷は、かなり奥まで利用されていたようだ。
ご祭神の手力男神に関するお話は伝わってないようだが、どのような由緒なのだろうか。
佐久神社へのアプローチは、日高町篠垣より兵庫県道268号十戸養父線へ入り150メートル南下し東へ入る。
この東へ入る道が、かつて佐久神社の参道として知見川まで続いていたようだ。
東へ進むと佐田集落の中で四差路となり道が狭くなる。
このあたりの道路の広い場所に駐車させていただき徒歩でアプローチした。
佐田集落では、出会う方々がみな朗らかに挨拶してくださるのでありがたい。
おおむね地方の式内社は集落の奥にあり、よそ者の訪問は肩身が狭いような印象が多く気を使う。
参拝が終わり引き上げる時にも声をかけていただいたので気が楽だった。
佐田集落の東の一番奥より石段を登ると鳥居があり社標が建っている。
そこから獣避けフェンスを開けて社域に入る、獣避けフェンスは開けたら必ず閉めること。
しばらく石段が続き手水鉢と石燈籠のあるところまで来ると、さらに急勾配の石段が見える。
正面の石段はロープが張られており使用禁止になっている、よく見ると石段が途中で崩落している危険なので登らないように。
左手に別の参道があり、ここから登ることにする。
トレッキングのような感じで折り返しながら15分ほど登ると石積みが見え社殿のある場所に到着。
社域の木々は植林の森だが木はかなり大きい。
社殿は南向きで、正面の崩落した石段から入っても横から入る形になる。
かつては南側に参道があったのではないだろうか。
社殿は、拝殿と覆屋に入った本殿で構成される。
同じ場所には南側に西向きの稲荷神社と社務所の建物がある。
さらに少し登った場所に秋葉大権現がある。
社殿は天保13年(1842年)の建築とある、風雪によりかなり色褪せてしまっている。
拝殿はフルオープンの形式で大きく立派。
拝殿の扁額には右から①荒木神社・②八幡神社・③佐久神社・④若宮神社・⑤三柱神社とある。
合祀されたという、山祇神社・須賀神社はどうなったのだろう。
本殿もかなり大きい、これほど大きく立派な本殿はなかなか無いのではないだろうか。
扁額は2つあり、「大川大明神」と「佐久神社」が置かれている。
向拝には中井権次橘正貞の彫り物が施され一見の価値がある。
一部彫り物が外れてしまい、扁額と同様に置かれているのが残念。
本殿は大きいはずだ、よく見ると本殿は5つになっており、それぞれ神社名の札がついている。
それによると、右側より①山祇神社・②三柱神社・③札なし・④若宮神社・⑤須賀神社と読める。
真ん中が佐久神社だろうと思われる、細かいこと言うと拝殿の扁額と一致していない…。
拝殿・本殿共に、年代を考えると現在の状態は比較的良いようだが、そろそろ補修が必要だと思われる。
神社の維持管理は大仕事だが長く残していきたい神社だと思った。
朗らか集落にある険しい山腹に鎮座する彫り物の立派な神社。
注意点
駐車場は無いので注意。
獣避けフェンスは開けたら必ず閉めること。
正面の石段は崩落し危険なので登らないように。
訪問ノート
訪問日 :2021/5/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。