276-040_女代神社

比定社:女代神社

式内社コード:276-040
神名帳社名 :女代神社、メシロノ
社    格:小
所 在 地 :668-0051 兵庫県豊岡市九日市上町460
Plus Code  :GR89+XQ 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「めしろじんじゃ」と読む、地名の九日市上町は「ここのかいちかみのちょう」と読む。
上町集落の中の平地に鎮座。
円山川の西岸堤防の50メートルほどの場所にある。
国道312号線より「かばん団地」方面(西)へ入り西へカーブした正面にあるので分かりやすい。
神社前に駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

円山川から非常に近い場所にあること。
市場が立った場所にあること。

写真

女代神社を正面より望む。鳥居は東を向いており円山川の方向だ。
女代神社を正面より望む。鳥居は東を向いており円山川の方向だ。
右側(北)を望む。鳥居脇にはありがたいことに駐車場がある。周囲は豊岡の名物のかばんを作る製造会社が集まっている地域。
右側(北)を望む。鳥居脇にはありがたいことに駐車場がある。周囲は豊岡の名物のかばんを作る製造会社が集まっている地域。
左側(南)を望む。もともと鳥居より円山川まで参道が延びていたようだ。現在の道路は女代神社を避けてクランク状になっている。
左側(南)を望む。もともと鳥居より円山川まで参道が延びていたようだ。現在の道路は女代神社を避けてクランク状になっている。
鳥居をくぐると右手に手水舎。
鳥居をくぐると右手に手水舎。
鳥居をくぐると正面には参集殿。
鳥居をくぐると正面には参集殿。
右奥に南向きの女代神社の拝殿と本殿がある。
右奥に南向きの女代神社の拝殿と本殿がある。
さらに右側には倉庫。この船は当地に伝わっている洪水の時に使用する一家に一艘の船らしい。
さらに右側には倉庫。この船は当地に伝わっている洪水の時に使用する一家に一艘の船らしい。
左手には社務所。
左手には社務所。
社務所前より拝殿と本殿を望む。社域は非常にきれい。
社務所前より拝殿と本殿を望む。社域は非常にきれい。
拝殿を正面より望む。大きくはないが新しい。
拝殿を正面より望む。大きくはないが新しい。
拝殿の扁額には女代太神宮とある。
拝殿の扁額には女代太神宮とある。
拝殿内部を望む。非常にきれいで整理整頓されている。
拝殿内部を望む。非常にきれいで整理整頓されている。
拝殿後方の本殿を右側より望む。明和3年(1766年)の建築だと思われるが非常に状態は良い。
拝殿後方の本殿を右側より望む。明和3年(1766年)の建築だと思われるが非常に状態は良い。
本殿を右側より望む。本殿の扁額には女代大明神とある。
本殿を右側より望む。本殿の扁額には女代大明神とある。
本殿を左側より望む。素晴らしい彫り物が施されている。
本殿を左側より望む。素晴らしい彫り物が施されている。
拝殿前より鳥居を望む。
拝殿前より鳥居を望む。
参集殿の前より鳥居を望む。正面の緑の部分が円山川の堤防、その上に国道312号線が走っている。鳥居からは50メートルほどの距離。
参集殿の前より鳥居を望む。正面の緑の部分が円山川の堤防、その上に国道312号線が走っている。鳥居からは50メートルほどの距離。

感想

由緒書はないので詳細不明。

女代神社Webサイトによると

女代神社(めしろじんじゃ)は円山川と出石川の合流地点に鎮座しています。
大昔から度重なる洪水がこの地を襲いました。
しかしながら田園の低地にあるはずの当神社は神威の厚きご加護により、社殿への浸水は一度もありませんでした。
水に浮かぶが如くたたずむ神社の姿は「浮島明神」と称えられ災害や厄難を払い、円山川の交通の安全をつかさどる神社として崇敬されてきました。

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、高皇産靈神。
 また次の説もあるようだ。
  『校補但馬考』『神名帳考証』豊宇気姫尊。

創立年代は不詳
仁寿元年(851年)正六位。
天正2年(1574年)造営。
天正5年(1577年)社頭没収。
寛永6年(1629年)神主住宅並に社務所・宝庫焼失。
延宝7年(1679年)本殿建立。
宝暦7年(1757年)社領として氏子より銀子一貫の奉納。
宝暦14年(1764年)造営。
明和3年(1766年)造営。
明治6年(1873年)村社。
昭和3年(1928年)神饌幣帛料供進神社指定。

江戸時代までは「女代大明神」と呼ばれていた。

三川合流地点西端に社が位置するため、大雨の際に屡々破堤し、大洪水を繰り返し、冠水の禍に瀕した。
これにより「浮島明神」と称された。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
配祀神:神産巣日神(カミムスヒノカミ)・高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)

当社は延喜式神名帳に載する城崎郡21座の1社なり。
円山川と出石川合流の西窪地田園に囲まれ数百年の老樹の繁げれた宮地なり。
御祭神は造化三神(天御中主神、神産巣日神、高皇産霊神)と賛えられ、高天原に在せられし神である。
往古祝融の災害により創立年月詳ならずと雖も古社たる事明かなり。
仁寿元年正月正六位(文徳帝御宇・西暦851年)
往古境内地五町四面なりしと伝えられる。
当社御稜威の赫々たる事は古人の普く知るところにして、往古浮島明神と称せられ神殿が田圃の低地にあると雖ども円山川氾濫に際して未だ嘗て階段に浸水せしことなく浮島の名称空しからず、豊岡領主京極家は家臣をして洪水に際し詣拝せしめ実地測量せしめし事天和(1681~1683)、元禄年間(1688~1703)等一再ならず、僅かに数間の距離に於て数尺の水の高低あると伝え聞く。
然るに天正5年(安土桃山時代・1577)社頭没収せられ其れがため祭祀衰えかつ寛永6年(江戸時代初期・1629)神主住宅並に社務所・宝庫焼失し当時の古文書悉く烏有に帰し史料空し。
其の後明和3年(徳川時代中期・1766)古社大破せるを改築す。

とある。


女代神社が鎮座する当地は、円山川西岸にあり古くより開けた地域のようで女代神社遺跡もある。
円山川に沿った街道筋でもあるが、円山川近くに鎮座することから水運に深く関係していたのだろう。
地名である九日市にあるように市が立っていたと考えられ、市場との関係で考えると、市場に集まる物資は船で運ばれてきて、女代神社あたりに集積されるような感じだったのではなかろうか。
市場に対して、女代神社が重要な役割を持っていたのかもしれない。
例えば、市場への出品に対して、国として税を徴収するというようなことだ。

女代神社へのアプローチは、円山川堤防上の国道312号線より「かばん団地」方面(西)へ入り西へカーブした正面にあるので分かりやすい。
現在の円山川の堤防より50メートルほどの場所にあり周辺はかばんを作る会社が集まっている。
ありがたいことに神社前に駐車場がある。

社域は、近年新しくされたようで真新しい。
鳥居は東を向いているが社殿は南を向いている。

鳥居をくぐると正面に参集殿があり、さらに右手に女代神社の拝殿と本殿がある。
さらに右手には倉庫、正面の参集殿の左側には社務所がある。
拝殿と本殿は明和3年(1766年)の建築だと思われるが非常にきれいな状態を保っている。
本殿の扁額には「女代大明神」とある。
社域の各所に「丸に立ち沢瀉」が印象的、本殿の正面には「花菱」のご神紋がある。
社域や社殿は非常にきれいな状態に保たれていて気持ちよく参拝できる。

城崎郡の市場で重要な役割を果たした神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/11/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100