263-060_二村神社

比定社:二村神社

式内社コード:263-060
神名帳社名 :二村神社、フタムラノ
社    格:小
所 在 地 :669-2121 兵庫県篠山市見内
Plus Code  :25G4+GM 篠山市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

見内集落の南の端の山裾に鎮座。
JR福知山線の古市駅の線路の北側にある。
国道176号線や国道372号線からは1本北側に入り古市駅の東の波賀野踏切を北側へ渡る。
渡ってすぐ左に向い道なりに進むと三叉路の正面にある。
鳥居が少々奥まっていて見つけにくい。
JR宝塚線を越えて300メートルほど南に鳥居跡がある
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

小野道風の筆と伝わる扁額。
室町時代の騒動とその後の同名神社の成立。

写真

二村神社を正面から望む。全体的に非常にコンパクトな作り。
二村神社を正面から望む。全体的に非常にコンパクトな作り。
鳥居には小野道風の筆と伝わる扁額がかかっている。
鳥居には小野道風の筆と伝わる扁額がかかっている。
拝殿より本殿を望む。本殿は明治5年の建築とある。非常にきれいに保たれている。
拝殿より本殿を望む。本殿は明治5年の建築とある。非常にきれいに保たれている。
本殿はシンプルだがきれいに保たれている。
本殿はシンプルだがきれいに保たれている。

感想

由緒書はないので詳細は不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命。
天平勝宝2年(750年)小野道風之筆の額を賜う。
文明14年(1482年)神事の節騒動。
元亀元年(1570年)鳥居造営。
天正6年(1577年)兵火焼失。
延宝6年(1678年)神殿復興。
明治5年(1872年)造営。
明治6年(1873年)村社。
とある。

当地は南の摂津方面より篠山への街道筋にあたる場所、篠山に入れば旧山陰道に接続する。
古くから往来が盛んだった場所と思われる。

かつて、二村神社は伊邪那岐命・伊邪那美命の2柱を祀ることから「二尊神社」と呼ばれており、地名も「神内」だった。
その後に室町時代に「御内」となり、江戸時代には「見内」と変化している。
それだけ二村神社は地域で重要視されていて、集落は神域とされ墓地を作れなかったらしい。
見内集落は、北側の松尾山へ向かっての谷筋となっている。
二村神社の鎮座する場所は、谷筋の南の出入り口となっていて神社の前を通らないと谷の外には行けなかった。

伊邪那岐命・伊邪那美命の2柱の神が天下る際に鶏を使者として遣わしたというお話も残っている。
その理由で鶏を食べたり飼ったりできなかったということだ。

JR宝塚線を越えて300メートルほど南に二村神社の鳥居跡がある。
かつては南へ真っ直ぐ参道がつづいており、JR宝塚線が出来た際に分断されたようだ。
現在からは想像できないが、かつては規模の大きな神社だったようだ。
それだけ式内社という重みがあったのだろう。

さらに興味深いお話が伝わっている。
文明14年(1482年)に紛争(宮座争い)が起き、神社が分裂したようだ。
当時の二村神社の氏子は、今田町の小野原・丹南町の古市・真南条・味間・大山・西紀町の南河内・北河内と広い範囲に渡っていたということだ。
そうした氏子代表が祭礼の際に集まった時に争いが起こり、真南条が御神像・味間が神輿・西吹が馬具・矢代新田が椀箱をそれぞれ持ち帰った。
持ち帰った品をご神体としてそれれぞれの集落の神社で祭事が行われているということだ。

現在でも真南条、味間奥、西吹に同名の神社が存在する。
それらの元の神社が見内の二村神社であるということらしい。
いかに当時の集落や人々にとって神社やご祭神、その祭事が重要で生活と密接だったかということがよく分かる。
長い歴史があるだけに様々なことが起こるようだが、後世にこうしたことが伝わっていることが貴重だとも言える。

現在の社域は大きくはないがよく手入れされていて気持ち良く参拝できる。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/1/21
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100