比定社:川内多多奴比神社(川内多々奴比神社)
式内社コード:263-030
神名帳社名 :川内多々奴比神社 二座、カハチタタヌヒノ/カフチ-
社 格:小
所 在 地 :669-2733 兵庫県篠山市下板井74
Plus Code :35X9+C9 篠山市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
かわちたたぬひじんじゃと読む。
下板井の集落の西の端の山裾に鎮座。
舞鶴若狭自動車道の脇に神社の案内看板があるので分かりやすい、舞鶴道をくぐってアプローチする。
入り口に籾塚古墳とあり古来から重要な場所だったのかもしれない。
すぐ南に旧山陰道(篠山街道)が通っていた。
駐車場完備。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
立派な本殿と精緻な彫り物。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
所在地 兵庫県多紀郡西紀町下板井字川内原坪七四番地
名 称 川内多多奴比神社(かわちたたぬいじんじゃ)(一ノ宮)
祭 神 天照皇大御神、建速素盞嗚命(延喜式内社)
例 祭 十月九日
縁 起
崇神天皇の御代四道将軍丹波道主命、この地に野陣を張り賊徒征伐に苦慮された時、白髪の翁が現れ玉剣を授け、その加護により平定することが出来たので朝廷に言上し、勅命によりここに宮地を営んだのが当社の縁起であります。
名称の川内は当地を川内郷といい、神盾を奉仕する斎部の楯縫氏が祖神を祀ったので川内多多奴比神社といいます。
天智天皇二年九月九日勅命により祭祀を執り行ったのが祭礼の始めで、天武天皇白鳳元年九月九日国司により造営され、氏子中二十社の総社で平生は一ノ宮と呼んでいる。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
崇神天皇の御宇(前97~前30、諸説あり)丹波道主命が野陣を張り天神地祇に祈請。
天智天皇2年(663年)勅命を以って祭事。
白鳳元年(672年)国司より造営(修正、白鳳は私年号)。
正暦元年(990年)源頼光が太刀一口を奉献。
元弘年中(1331~1334年)兵火で霊代である神玉神劔を紛失(修正)。
正平13年(1358年)再建。
万治元年(1658年)焼失。
万治3年(1660年)再建(追加)。
明治6年(1873年)村社。
大正9年(1920年)郷社。
とある。
いつも、その名前が珍しいと思う神社。
川内多々奴比神社の川内は地名だが多々奴比が気にかかる。
由緒書にハッキリと楯縫氏(たてぬい)が祖神を祀った、とあり楯縫が変化したことは間違いなさそうだ。
楯縫氏の痕跡は氷上郡や養父郡に多く残っていて、多紀郡は南限なのではなかろうか。
また、由緒書にある玉剣とは玉と剣のことで、それぞれを天照皇大御神・建速素盞嗚命として祀った。
延喜式神名帳には「川内多々奴比神社 二座」とあるので、このことを指すと思われる(個人的見解です)。
また入り口にある籾塚古墳の情報は全く無いので詳細が分からない。
余談だが、宮田川の延命橋北詰にある下板井の地蔵堂のところに「一之宮近道」という石碑がある。
きっと旧山陰道(篠山街道)を通って篠山方面から来る参拝者が多かったのだろう。
かなり古くから有名な神社だったようだ。
個人的には、源頼光が太刀を奉献したとあるが、公開されればぜひ見てみたい。
神社へのアプローチは舞鶴若狭自動車道沿いの大きな神社の看板より高架下を通って西へ入る。
高速道路の高架があるがゆえに間口が狭く見えてしまうが奥は左右に広くなっている。
いかにも古めかしい鳥居をくぐると広場がある。
かなり広くて正面の高い場所に社殿、右に社務所、左に源頼光の駒止の樫の記念碑がある。
万治3年(1660年)に再建されたとある本殿の状態は良好だ。
風雪で色あせているが立派で精緻な彫り物がほどこされており一見の価値がある。
もっと近づいて見てみたい。
様々な見どころを持った神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2017/8/28、2021/9/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。