274-090_須義神社

比定社:須義神社

式内社コード:274-090
神名帳社名 :須義神社、スキノ/スケ
社    格:小
所 在 地 :668-0261 兵庫県豊岡市出石町荒木273-1
Plus Code  :FR9R+34 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

すぎじんじゃと読む。
荒木集落の中心部の北の山の中腹に鎮座。
京都府道・兵庫県道2号宮津養父線の荒木集落の旧道沿いに社標がある。
出石と養父との街道筋にあたり前を菅川が流れる。
社標の前は道路が太くなっており駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

古社を感じさせる古木のある社域。

写真

須義神社を正面より望む。
須義神社を正面より望む。
右側(東)を望む。この道は集落の中を通る旧道。橋が2つかかっていて、右側の橋が京都府道・兵庫県道2号宮津養父線、この方角は出石方面。
右側(東)を望む。この道は集落の中を通る旧道。橋が2つかかっていて、右側の橋が京都府道・兵庫県道2号宮津養父線、この方角は出石方面。
正面(南)を望む。前を流れる川は菅川。
正面(南)を望む。前を流れる川は菅川。
左側(西)を望む。荒木集落が真ん中あたり、道路が広くなっていてクルマを駐車させていただいた。
左側(西)を望む。荒木集落が真ん中あたり、道路が広くなっていてクルマを駐車させていただいた。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
鳥居を望む。横は人家。
鳥居を望む。横は人家。
鳥居をくぐると石灯籠があり石段が始まっている。
鳥居をくぐると石灯籠があり石段が始まっている。
1つ目の石段を登ると社務所のような建物がある。2つ目の石段が見えている。
1つ目の石段を登ると社務所のような建物がある。2つ目の石段が見えている。
2つ目の石段。ちょっと長い。
2つ目の石段。ちょっと長い。
2つ目の石段を登ると石垣が見えてくる。その上には巨木がある。
2つ目の石段を登ると石垣が見えてくる。その上には巨木がある。
手水舎。
手水舎。
石段を登りきると社殿が見える。拝殿の右側から入ってきた感じ、拝殿の横には巨木。
石段を登りきると社殿が見える。拝殿の右側から入ってきた感じ、拝殿の横には巨木。
拝殿を右側より望む。
拝殿を右側より望む。
拝殿を正面より望む。瓦の色が珍しい、横に大きな拝殿だ。宝永元年(1704年)造営とあるが、もっと新しい気がする。
拝殿を正面より望む。瓦の色が珍しい、横に大きな拝殿だ。宝永元年(1704年)造営とあるが、もっと新しい気がする。
拝殿を左側より望む。拝殿野左側には神饌所がある。
拝殿を左側より望む。拝殿野左側には神饌所がある。
拝殿内部を望む。八幡宮の扁額がかかる。
拝殿内部を望む。八幡宮の扁額がかかる。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。
覆屋の中の本殿を望む。比較的シンプル、状態は悪くない。
覆屋の中の本殿を望む。比較的シンプル、状態は悪くない。
覆屋に入った本殿を左側より望む。色が残っているのが分かる、少しだけ彫り物。
覆屋に入った本殿を左側より望む。色が残っているのが分かる、少しだけ彫り物。
神饌所の左側より拝殿を望む。拝殿の向こう側より石段を登ってきたことになる。手前にも石段があるが、その先には何もない。
神饌所の左側より拝殿を望む。拝殿の向こう側より石段を登ってきたことになる。手前にも石段があるが、その先には何もない。
拝殿のある広場から石段を望む。本来はもう一つの石段が本来の参道なのかも。
拝殿のある広場から石段を望む。本来はもう一つの石段が本来の参道なのかも。
石段より鳥居を望む。
石段より鳥居を望む。
石段より鳥居を望む。鳥居の向こうの道路の部分が高くなっているのが分かる。
石段より鳥居を望む。鳥居の向こうの道路の部分が高くなっているのが分かる。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、由良度美神。
『神名帳考證』多遲摩母呂須玖神
『但馬國神社燈明記』須義毘古命
『國司文書別記』須義命
『但馬神社重寶記』須義芳男命ならびに荒木帯刀部命
『特撰神名蝶』饒速日命

応神天皇40年(309年、諸説あります)創建。
貞観10年(868年)従五位下。
寛喜2年(1230年)神社文書(修正)。
文永8年(1271年)神社文書。
弘安8年(1185年)神田六町二反『但馬国大田文』。
永和元年(1375年)菅御庄八幡宮。
宝永元年(1704年)造営。
明治6年(1873年)村社。
大正13年(1924年)郷社。
江戸時代までは「菅八幡宮」と呼ばれていた。
社伝によると、応神天皇40年の創祀。
一説に、神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時。山の中腹の高い場所に祀った。
『但馬考』は三代実録にあらわれる菅神を当社のこととしている。
当地は天日槍系の神社が多く分布する一帯であって、当社もその系列の一つだと考えられる。
中世当社付近は石清水八幡宮領となり菅庄と称した。この時代に、八幡神を合祀したという。

とある。


ご祭神の由良度美神は、菅竈由良度美(すがかまゆらどみ)ともいう。
清日子と当摩之咩斐の子で、神功皇后の母方の祖母にあたり、多遅摩比多訶(伯父にあたる)の妃。
ご祭神からすると、いわゆる天日槍命系の神社だ。

ご祭神が菅竈由良度美(すがかまゆらどみ)、神社名が須義神社、前を流れる川が菅川である。
「すが」という名前と大いに関係のある神社だ。

集落の中の旧道からは少し低くなっており鳥居がある。
1つ目の石段を登ると広場があり社務所のような建物がある、すでにここで寂しげな雰囲気。
2つ目の長い石段を登ると高い石垣が見えてくる。

石垣の上に社殿があり、拝殿と覆屋に入った本殿、神饌所で構成されている。
宝永元年(1704年)の建築とあるが、それ以降に修復もしくは造営されているような気がする。
本殿はごくシンプルで装飾が少ない、わずかだが元の色が残っている。
全体的に雪のためか色が褪せ、そろそろ修復の必要性があるように思う。

社域には古木が多くかなり迫力がある。
薄暗い時間帯に行ったら少し怖いかもしれない。

記録があまり残っていないが天日槍命の解明が進まないだろうかと思う。

注意点

石段が滑りやすいので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/9/8
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3