263-020_神田神社(篠山市大山上)

比定社:神田神社(篠山市大山上)

式内社コード:263-020
神名帳社名 :神田神社、カムタノ
社    格:小
所 在 地 :669-2803 兵庫県篠山市大山上728
Plus Code  :34XQ+34 篠山市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

大山上の集落の北の小高い丘に鎮座。
国道176号線のすぐ横にあるが南側へ回り込む必要があり非常に分かりにくい。
神社の前を旧山陰街道が通り交通の要衝であった。
周辺の道は狭く駐車スペースもないので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

街道筋に面した小高い丘にある立地。
本殿に施された中井言次君音による彫り物。

写真

神田神社を正面から望む。鳥居は南を向いている。最近修復されたようで真新しい。鳥居前は旧山陰道。
神田神社を正面から望む。鳥居は南を向いている。最近修復されたようで真新しい。鳥居前は旧山陰道。
社標には縣社とある。
社標には縣社とある。
鳥居をくぐり階段を上がると広場がある。この広場はかなり広い、集会所もある。地域での催し物はここで行うというような場所だろうか。
鳥居をくぐり階段を上がると広場がある。この広場はかなり広い、集会所もある。地域での催し物はここで行うというような場所だろうか。
広場からさらに階段を上がると社殿がある。社殿は東を向いている。
広場からさらに階段を上がると社殿がある。社殿は東を向いている。
こちらの社標には式内とある。
こちらの社標には式内とある。
階段を登ると拝殿がある。
階段を登ると拝殿がある。
拝殿は非常に立派な作りで規模が大きい。
拝殿は非常に立派な作りで規模が大きい。
拝殿を左側から望む。良く手入れされている。
拝殿を左側から望む。良く手入れされている。
本殿を右側から望む。明和2年(1765年)に建築されたもの、非常に状態が良い。中井言次君音による彫り物が施され一見の価値がある。
本殿を右側から望む。明和2年(1765年)に建築されたもの、非常に状態が良い。中井言次君音による彫り物が施され一見の価値がある。
本殿を左側から望む。
本殿を左側から望む。
この丘はかなり遠くまで見通せるので様々な利用方法があったと思われる。広場の反対側には蔵もある。
この丘はかなり遠くまで見通せるので様々な利用方法があったと思われる。
広場の反対側には蔵もある。
広場より鳥居を望む。周囲は古い町並みで、前は江戸時代の商家、西尾家住宅がある(国指定登録有形文化財)。神社前はかつての旧山陰道。
広場より鳥居を望む。周囲は古い町並みで、前は江戸時代の商家、西尾家住宅がある(国指定登録有形文化財)。神社前はかつての旧山陰道。

感想

由緒書はないので詳細は不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、大己貴神。
大宝2年(702年)勧請。
承保元年(1074年)大嘗会の抜穗行われる。
応保2年(1162年)現在地に遷座。
応永6年(1399年)足利義持武運長久を祈る。
天正6年(1578年)明智光秀の兵火で焼失。
延宝4年(1676年)篠山城主松平氏より石手洗い鉢寄進ありて現存す(追加)。
延宝8年(1680年)造営。
寛保2年(1742年)正月正一位。
明和2年(1765年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治12年(1879年)郷社。
大正4年(1915年)社殿後方へ移動、幣殿建立、拝殿改修(追加)。
昭和2年(1927年)神饌所建設(追加)。
昭和3年(1928年)県社。
旧社地は北方五町の地。
江戸時代までは「一の宮神田大明神」と呼ばれていた。
中世には一の宮神田大明神と称え皇室を始め武門、名門の崇敬極めて篤かつた。
二條天皇の応保2年(1162年)12月鎮座地を南方五町郷内中枢の高地に奉遷した(奉遷の理由は詳らかでないが旧地は山間避地にして不便であつたためか)。
とある。

たくさんの記録が残る神社。
神社の前を篠山街道(旧山陰道)が通り交通の要衝であり、中世より戦国期の前まで東寺領の荘園だった。
街道の反対側には、江戸時代に酒造業・庄屋・篠山藩御用達であった西尾家住宅がある(国指定登録有形文化財)。
多くの時の権力者に尊崇されたようで、古くは室町幕府第4代将軍の足利義持、歴代の篠山城主が名前を連ねる。

最近改修されたようで、鳥居は新しくきれいだ。
鳥居をくぐり階段を登ると広場がある、子供達の絶好の遊び場だ地域の集会所もある。
広場より再び石段を登ると社殿がある。
社殿は、拝殿・本殿とも大きく立派、明和2年(1765年)の建築だが状態も良い。
本殿には中井言次君音による彫り物が施され一見の価値がある。

社域は非常にきれいに保たれていて気持ち良く参拝できる。
長く残したい神社。

注意点

周辺の道が狭く駐車場がないので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/7/21
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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