比定社:摩氣神社
式内社コード:262-080
神名帳社名 :麻気神社、マケノ
社 格:名神大
所 在 地 :622-0062 京都府南丹市園部町竹井宮ノ谷3
Plus Code :3CQG+MR 南丹市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
竹井の集落の胎金寺山の北側の谷の一番奥に鎮座。
社殿が北向きで非常に珍しい。
園部川を越え400メートルほど北側の京都府道・大阪府道54号園部能勢線沿いに神社の入り口があり社標と石灯籠がある。
北東2.2kmの場所に御旅所がある。
社域には数多くの建物がありどれも見応えがある。
駐車場完備。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
茅葺の本殿の覆屋、時期によるが苔むして非常に見ごたえがある。
写真
感想
南丹市教育委員会謹製の由緒書によると
摩氣神社(まけじんじゃ)
摩氣神社は「延喜式」神名帳にその名がみえ、船井郡の名神大社と記されている。摩氣郷十一ヵ村の総社とされ、本殿は、北を向いて建てられている。永暦三年(一〇七九)白河天皇が当社に行幸された折、社殿一円修造の上、「船井第一摩氣大社」の勅願を賜ったと伝えられる。江戸時代には園部藩主小出氏の累代の祈願所となった。宝暦十一年(一七六一)に火災に遭ったが、その六年後には、藩主小出英持によって本殿・摂社等が再建された。
当神社の主な例祭は、六月に行われる「お田植祭り」や十月中旬に行われる「神幸祭」などがある。
祭神
大御饌津彦命(おおみけつひこのみこと)
文化財指定
京都府指定文化財[昭和五十九年(一九八四)]
本殿 一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、こけら葺
東摂社 桁行二間、梁行一間、一重、切妻造(きりつまづくり)、こけら葺
西摂社 桁行三間、梁行一間、一重、切妻造(きりつまづくり)、こけら葺
附 覆屋、三棟
[明和四年(一七六七)]
京都府登録文化財[昭和五十九年(一九八四)]
絵馬舎 桁行二間、梁行一間、一重、入母屋造、妻入、鉄板葺
[明和四年(一七六七)]
神門 三間一戸八脚門、入母屋造(いりもやづくり)、銅板葺
[文化五年(一八〇八)]
鳥居 石造明神鳥居
[寛文十二年(一六七二)]
京都府決定摩氣神社環境保全地区[昭和五十九年(一九八四)]
本殿・摂社
本殿は大型の一間社流造で丹波のみならず京都府下においても、規模の大きさからいって一間社としては最大のものである。向拝も一間であるが、中備(なかぞなえ)として中央に三斗(みつど)を置いて両脇に蟇股(かえるまた)を飾る。妻飾りは二重虹梁大瓶束(こうりょうだいへいづか)で、大蟇股(おおかえるまた)を配し、大瓶束(たいへいづか)に水流形(すいりゅうけい)の笈形(おいがた)をあしらって見所をつくる。また虹梁木鼻(こうりょうきばな)等の絵様も明和期にしては比較的おとなしく、江戸後期にあって、伝統的な神社建築の流れを受け継ぐ遺構といえる。なお、大工は播州加東郡嶋村から来ている。
摂社は本殿と同時期の造立になり、形式は例の少ない切妻造(きりつまづくり)で、ほとんど装飾のない簡単な作りをもつ。東摂社が六神、西摂社は八神を祀る。
絵馬舎
絵馬舎は旧の拝殿で、宝暦十一年(一七六一)火災後の明和四年(一七六七)に小出英持が建立した。建立以来、昭和初期まで拝殿であったが、拝殿の新築に伴ない移築し、絵馬舎として再用された。板敷きの吹放しの建物で、もとは茅葺で妻を正面に向けて建てられていた。
神門・鳥居
神門は、文化五年(一八〇八)小出英筠によって建立されたもので、旧は茅葺であり、組物(くみもの)に尾垂木付二手先(おだるぎつきにてさき)を用い、木鼻(きばな)を透彫(すかしぼり)として虹梁には派手な波型絵様を彫るなど文化期の特徴を示している。
鳥居は、寛文十二年(一六七二)小出吉久の建立になる。
京都府決定摩氣神社文化財環境保全地区
竹井の集落から水田の中を賛同がのび、深々とした宮山のふところに本殿・末社・拝殿も覆屋の茅葺屋根が眺める。鳥居の右手にはスギ・マツの巨木が、本殿後方にはスギの木々が立ち並び、その後方には宮田が展開し、そしてクロマツ主体の宮山に続く。
平成二十一年三月
南丹市教育委員会
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
神護景雲4年(770年)神封一戸。
仁寿2年(852年)奉幣(文徳実録)。
貞観元年(859年)従五位上(三代実録)。
承暦3年(1079年)白河院が勅額を下賜。
宝暦11年(1761年)焼失。
明和4年(1767年)造営。
明治6年(1873年)郷社。
明治43年(1910年)神饌幣帛料指定神社
大正5年(1916年)府社。
鎮座地は、現在地よりやや奥まった山裾にあったが、不便さと豪雨による山崩れのために、平坦な現在地に移ったとの社伝がある。
とある。
大変手入れの行き届いており、落ち着いた雰囲気で気持ちの良い社域。
特に、明和4年(1767年)建築の本殿覆屋は茅葺で他には無い雰囲気を持っている。
中央の本殿は一間社流造でこけら葺き、かなり大きく迫力がある。
維持管理の苦労が偲ばれる。
創建は不明とのことだが、園部川沿いの地域は早くから開けた地域で農業には深く関係していると思われる。
ご祭神は食物に関係する神であるし、神事も農事をあらわしたものが今でも伝わる。
かつては胎金寺が明治期の神仏分離までは存在していたようだがその痕跡はない。
長く残してほしい神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2018/3/11、2019/12/1、2021/8/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60、RX100M3、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。