比定社:伊射奈伎神社
式内社コード:231-020
神名帳社名:伊射奈伎神社、イサナキノ
社格:小
所在地:919-2131 福井県大飯郡おおい町福谷48−7
plus code:FG3V+2V おおい町、福井県
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アプローチ&ロケーション
福谷の集落の中の山裾に鎮座。
周囲は人家と田畑、かつてはかなり大規模な神社だったということだが現在ではその面影は少ない。
周辺は蔵のある家や元寺院だった建物や巨木が多いのが印象的。
駐車場は無いので周辺に駐車する必要がある。
ハイライト
古木の多く残る社域。
写真
感想
おおい町教育委員会・おおい町文化財保護委員会謹製の説明書きによると
天章周文と写経
おおい町指定文化財
周文写経(5巻)
管理者 福谷区(1巻)・おおい町(4巻)
指定日 昭和63年8月1日
材質技法 紙本墨書
時代 室町時代前期
周文は室町時代中期の画僧で、字は天章、号は越渓と称した。画を室町水墨画の先駆者である如拙から習得したと思われ、後に如拙の後を継ぎ足利幕府の御用画師となった。周文の画風は雪舟や小栗宗湛など多くの水墨画家に継承され、東山文化の開花につながった。
伊射奈伎神社は、昔「福祥山隆興寺天満神社」と称し佐分郷17ヶ村の大社であった。この社前に「善楽寺」という真言宗の別当寺があったとされ。周文が3年ほど身を寄せていたと伝えられている。この善楽寺において大願を抱いて五部大乗経200巻を写経、100巻を綾部市奥上林の君尾山光明寺に、残り100巻を天満天神に奉納したと伝えられ、現在41巻が遺されている。
写経の末葉には「時に応永十三年(1406)丙戌五月二十二日 若州大飯郡佐分郷善楽寺に於いて大願主周文謹んでこれを書す」と奥書が記されている。
おおい町教育委員会
おおい町文化財保護委員会
とある
福井県神社庁によると
ご祭神
伊邪那岐命
管朝臣美知實命
大山衹尊
熊野大神
創立年代不詳。元亀年間(1570~73)の兵戈に依り消失の難を受け由来不詳となった。社伝に「延喜式神名帳記載の伊射奈伎神社は当社なり」という。延宝3年(1675)の『由緒書上扣』に「福祥山隆興寺天満天神、時代由緒不レ知、山林竹木祝屋敷御赦免、一七ケ村の大社にて御座候 祝」と、亦、文永2年(1265)の『惣田数帳』に「福谷宮七反 佐分郷」とあり、神田七反歩を保有していた。当時三基の大鳥居があった。即ち、一の鳥居は、本郷の野尻に(現在は、田の中に埋没している。本社から東へ約9キロメートル)二の鳥居は、佐分利の石山に(現在 直径 約2米の大磯石6個が、本社から南東へ約2180米の所にある。)三の鳥居は、社前にあって、境内には、本殿、拝殿、神庫、社務所、手水舎等々整い、偉観を呈していたという。
正保2年(1645)に小浜藩主酒井忠勝公が祈願の事があって社殿を補修し、寛政11年(1799)に酒井忠貫公(小浜藩主九代)が、社殿を改修したと棟札に記している。元文2年(1737)に小浜の谷唯圭らによって始められた若狭三郡の天満宮25社参りの1社で、学問芸術の神として尊崇されていた。
大正15年2月12日郷社に列格、3月に神饌幣帛供進の神社に指定された。
なお、明治16年3月22日に「天神社」を「伊射奈伎神社」と改称した。
秋の臨時大祭に「豊年祭」がある。これは豊年に限って、福谷区の氏子が「神代舞」を石山区が「獅子舞」を奉納、久保、安川、小車田、佐畑の各区の順に「神楽、獅子舞」が奉納される。
とある
資料によると創建は不明。
一の鳥居が9kmほど離れた場所にあったとあるので、かつてはかなり大きな規模だったらしい。
元亀年間に兵火により焼失、江戸時代までは天神社と称し、明治時代に現在の「伊射奈伎神社」と改称となっている。
室町時代中期の画僧である周文との関係があるということだ。
社域は非常にきれいに保たれており気持ちが良い。
拝殿は本来開けっ放しの形式だが雪よけの板張りがなされている。
内部はきれいに保たれており地域の尊崇の厚いことが伺える。
本殿は覆屋に入っており全体は見ることが出来ないが良い状態。
社殿は寛政年間の改修の棟札があるとのことで江戸時代の建築だと思われる。
おおい町指定文化財が多数あるが見ることが出来ないのが残念。
社域には古木も多く福井県指定天然記念物に指定されていて見ごたえがある。
注意点
駐車場がないので注意。
訪問ノート
訪問日:2021/10/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。