262-030_何鹿神社

比定社:何鹿神社

式内社コード:262-030
神名帳社名 :出石鹿𡶌部神社、イツシノカノイソヘノ
社    格:小
所 在 地 :622-0232 京都府船井郡京丹波町曽根竿代29
Plus Code  :5C66+9G 京丹波町、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

いつしかじんじゃと読む。
曽根の集落の東の端の平地、曽根川の東岸に鎮座。
京都府道444号桧山須知線に面しており分かりやすい。
周辺はほぼ田畑で寺社や古墳(塩谷古墳群)がある。
社域は間口は狭いが奥に深く、良い雰囲気の長い参道が印象的だ。
全体的に新しくきれいに保たれており良い雰囲気だ。
神社前に2台ほどの駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

雰囲気の良い参道。

写真

何鹿神社を正面から望む。間口は狭いが雰囲気の良い参道が続く。前の道路は京都府道444号桧山須知線、神社前に駐車スペースがある。
何鹿神社を正面から望む。間口は狭いが雰囲気の良い参道が続く。前の道路は京都府道444号桧山須知線、神社前に駐車スペースがある。
社標には郷社とある。後ろの石灯篭はかなり古そうだ。
社標には郷社とある。後ろの石灯篭はかなり古そうだ。
神社謹製の由緒書。かなり詳しいが読みにくい…。
神社謹製の由緒書。かなり詳しいが読みにくい…。
鳥居をくぐると雰囲気の良い参道。
鳥居をくぐると雰囲気の良い参道。
参道の途中にはかなり大きな木もある。
参道の途中にはかなり大きな木もある。
参道の先には舞殿のような拝殿のような建物がある。左右にベンチがこしらえてあり近隣の人がくつろぐのだろうか。
参道の先には舞殿のような拝殿のような建物がある。左右にベンチがこしらえてあり近隣の人がくつろぐのだろうか。
手水舎。
手水舎。
舞殿のような拝殿のような建物の右隣りには摂社末社がある。
舞殿のような拝殿のような建物の右隣りには摂社末社がある。
平成十三年(西暦2001年)に完成した新しい本殿。さすがにきれいだが渋い雰囲気で違和感がない。
平成十三年(西暦2001年)に完成した新しい本殿。さすがにきれいだが渋い雰囲気で違和感がない。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿内部ももちろんきれい。
本殿内部ももちろんきれい。
参道より鳥居を望む。前の道路は京都府道444号桧山須知線。
参道より鳥居を望む。前の道路は京都府道444号桧山須知線。

感想

神社謹製の由緒書によると

何鹿神社(いつしか)(延喜式内 出石鹿𡶌部神社、いずしかいそべ)
鎮座地  京都府船井郡丹波町曽根小字竿代二十九番地
祭 神  大山祗命         山の守護、野の守護、田畑の作り物
     (おおやまつみのみこと) 延命長寿、産業発展の守り神
御神徳  品陀別命         健康、厄除け、家内安全の守り神
     (ほんだわけのみこと)
     彦狭知命         建築、技能、芸能の守り神
     (ひこさしりのみこと)
年中行事 歳旦祭、一月一日。元始祭、交通安全祈願祭、一月三日。
     祈年祭、新入学児童修学祈願祭、三月中旬。春季例祭(誕生祭)四月二十六日
     さなぶり祭、大祓式、六月下旬。秋季例祭、十月十七日。
     新嘗祭、七五三詣り、十一月下旬。大祓式十二月下旬
氏  子 曽根・森・安井・塩田谷・院内・幸野・一四四戸
境内神社 春日神社、大原神社 境内地…二三二五.七一㎡
由緒その他
 天武十二年すでに社があってと伝えられ、大宝二年(七〇二)から出石鹿𡶌部神社、
正和四年(一三一五)から何鹿神社と呼称している。
永禄十二年(一五六九)再建、弘化五年(一八四八)再建。
貞和五年(一三四九)に書かれたと認められる大般若経が明治六年(一八七三)まで社内に存在していた天正の頃(一五七三~一五九一)まで中丹波山内荘七社の神輿が当社に集まり祭礼式を執行した。
本社は山内の荘の一の宮とされ、昔から荘内の人々が尊崇し神輿の存在中は例祭日に右七社の神輿をかついできて御旅祭礼があったと伝えられる。
平成十一年五月十二日不審火により全焼した本殿は弘化五年二月再建のもので、三間社流造桧皮葺(五〇㎡)軒唐破風の向拝を一間に造る形式、端正な中に柔らかな味を漂わせ江戸末期の特徴をよく現した建物で、その上に覆屋銅板葺(八二㎡)があった。
現在の社殿は、平成十一年氏子の中より再建委員八名、委員長は村山和夫を選出、再建の議がまとまり平成十二年四月より十年間、氏子一戸につき毎月二千円宛の積み立てにより工費を拠出することとなり、設計を谷垣俊平、施工を松本寛・森二郎・北村亨・西畑幸二共同企業体、代表松本寛が担当、平成十二年四月二十五日着工、平成十三年十月完成。その工費約七千萬円
その規模形式は三間社流造銅板葺神饌所を併設し約六十㎡である。

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
天武天皇の白鳳期の創立と伝わる。
大宝2年(702年)出石鹿岩部神社と称した。
正和年中(1312~1317年)火災のため灰燼に帰す。
正和4年(1315年)何鹿神社と称する。
永禄12年(1569年)造営。
寛永15年(1638年)造営。
弘化5年(1848年)社殿再建。
明治6年(1873年)郷社。
平成11年(1999年)不審火により社殿が焼失
平成13年(2001年)造営
かっては塩田村にあつた、江戸時代以降現地に移築した。
塩田村にあつた何鹿神社の地は明らかでないが、或いは塩田谷の深奥に鎭座する岩山神社の地かもしれない。
とある。

その神社名からして印象的だ、それに難読でもある。
かつては塩田村にあったということだ、塩田村には岩山神社がある。
岩山神社が何鹿神社の元の鎮座地という説もあるようだ。
このあたりはなかなか難しい、新しい資料でも発見されないと分からない。

由緒からは、かつて地域の中心的な神社だったことが伝わる。

平成13年(2001年)完成の社殿は新しく明るい雰囲気。
社域はよく手入れされており気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2018/3/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ:DMC-TZ60