313-050_與位神社

比定社:與位神社

式内社コード:313-050
神名帳社名 :与比神社(與比神社)、ヨヒノ
社    格:小
所 在 地 :671-2512 兵庫県宍粟市山崎町与位129
Plus Code  :3H69+P8 宍粟市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「よいじんじゃ」と読む、地名の山崎町与位は「やまざきちょうよい」と読む。
揖保川西岸の与位集落中央部の平地に鎮座。
国道29号線の「よいたいトンネル東」交差点より兵庫県道523号塩田一宮線に入り1.2kmほど進むと左側にこんもりとした社叢が見えてくる。
左カーブの終わりの交差点を左折(南)へ入ると到着。
道路を挟んで鳥居の反対側に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

伊和神社・與位山・丸山との位置関係。
伊和神社・與位神社・子勝神社の三社合わせて大国主命ファミリー神社。

写真

與位神社を正面より望む。参道は細いが社域は広くて濃い社叢に囲まれ良い雰囲気。
與位神社を正面より望む。参道は細いが社域は広くて濃い社叢に囲まれ良い雰囲気。
右側(北)を臨む。鳥居前の道路が社域を分断している形になる。鳥居の反対側には舞台のような建物と児童公園、ありがたいことにクルマを駐車するスペースもある。
右側(北)を臨む。鳥居前の道路が社域を分断している形になる。鳥居の反対側には舞台のような建物と児童公園、ありがたいことにクルマを駐車するスペースもある。
左側(南)を臨む。南側は集落に繋がっている。社域のうち建物のある場所はほんの一部、由緒書の後方には濃い社叢が広がっている。
左側(南)を臨む。南側は集落に繋がっている。社域のうち建物のある場所はほんの一部、由緒書の後方には濃い社叢が広がっている。
鳥居の左手にある神社謹製の由緒書。素盞嗚命の娘婿である大国主命が父と母を祀ったのがはじまりとある。
鳥居の左手にある神社謹製の由緒書。素盞嗚命の娘婿である大国主命が父と母を祀ったのがはじまりとある。
神社謹製の「與位神社の社叢」の説明書き。推定樹齢四〇〇年のスギやイチイガシがあり山崎町指定文化財となっているとある。
神社謹製の「與位神社の社叢」の説明書き。推定樹齢四〇〇年のスギやイチイガシがあり山崎町指定文化財となっているとある。
両部鳥居をくぐると細い参道、先に拝殿が見えている。
両部鳥居をくぐると細い参道、先に拝殿が見えている。
参道を抜けると拝殿前の広場、拝殿右側の杉の巨木が樹齢四〇〇年の杉の木。バリアフリーになっている。
参道を抜けると拝殿前の広場、拝殿右側の杉の巨木が樹齢四〇〇年の杉の木。バリアフリーになっている。
拝殿を左側より臨む。
拝殿を左側より臨む。
拝殿は非常に立派な作りとなっていて状態も良い。建築時期は不明。
拝殿は非常に立派な作りとなっていて状態も良い。建築時期は不明。
拝殿の向拝には彫り物が施されている。屋根の瓦も凝ったモノだ。
拝殿の向拝には彫り物が施されている。屋根の瓦も凝ったモノだ。
拝殿内部を臨む。向かって右が與位神社、左が明治42年(1909年)に合祀された子勝神社。ご神紋は五三の桐。
拝殿内部を臨む。向かって右が與位神社、左が明治42年(1909年)に合祀された子勝神社。ご神紋は五三の桐。
拝殿の後方の本殿は垣で囲まれていて残念ながら近づけない。
拝殿の後方の本殿は垣で囲まれていて残念ながら近づけない。
本殿を右側より臨む、端正な作り。
本殿を右側より臨む、端正な作り。
本殿を左後方より臨む。本殿に比べて拝殿が巨大なのがよく分かる。
本殿を左後方より臨む。本殿に比べて拝殿が巨大なのがよく分かる。
拝殿正面を左側より臨む。キレイに保たれていることがよく分かる。
拝殿正面を左側より臨む。キレイに保たれていることがよく分かる。
拝殿の吊り灯篭。なかなか凝った作りで五三の桐があしらわれている。
拝殿の吊り灯篭。なかなか凝った作りで五三の桐があしらわれている。
拝殿前より鳥居を臨む。
拝殿前より鳥居を臨む。

感想


神社謹製の御由緒略記によると

式内與位神社御由緒略記

一、御鎮座地 宍粟郡山崎町與位一二九番地
一、御 祭 神 素盞嗚命(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)
一、御 由 緒
素盞嗚命は伊奘諾尊の御子にして将来御気性の荒い神様で
御姉神天照大神のお怒りにあい天下り給いし後、稲田姫命を
めとり、ひたすら心清々しき日々を送られた神様であります。
当社の御創立は遠く成務天皇十四年甲申二月十一日(紀元八〇四年 西暦一四四年)
鎮座と称し、また欽明天皇二十五年甲申二月十一日(紀元一二二四年 西暦五六四年)
とも伝えられ、そのいずれか定かではありませんが、
伊和大神すなわち大国主命が国土経営をなされた時、
父母の神として與位大神を與位山の地に、子勝大神を
丸山の地に奉斎されたのが始まりといわれ、延喜式と
いう古い書物にもはっきりと記されていることからしても、
延喜式以前の創立を物語る古い御社であります。
播磨鑑という書物に「八乙女の鈴やふりつつ祈るにぞ神も
願をよるの夢みせ」と記され、今もこの故実により、
八名の氏子の子女が巫子として大祭に奉仕しております。
また昔から神饌第一に栗蒸しを奉る古例が存続しており
明治四十二年に子勝神社を與位神社に合祀し、
今日に至っております。
一、祭  儀 春季大祭<四月二十九日>
       秋季大祭<体育の日>
一、氏  子 清野・杉ケ瀬
       與位・木ノ谷 各自治会
一、境内末社 大歳神社…猿田彦命・大年神
一、境 内 地 三〇五五坪
 與位神社

とある。


神社謹製の「與位神社の社叢」によると

山崎町指定文化財
 「與位神社の社叢」
指定年月日
 平成十二年五月三十一日 山崎町教育委員会
概要
 当社叢は、一五,〇〇〇平方メートルの広大な
 鎮守の森であり、温帯常緑林としての性格
 を持っている。
樹種は、
 高木=イチイガシ・シラカシ・アラカシ
    モミ・スギ・ケヤキ・ムク等
 低木=ヤブツバキ・アオキ・ヤブニッケイ
    シキミ・マンリョウ等
 草木=ミヤマフユイチゴ・ミヤマカタバミ
    オウレン・テイカズラ
    ビナンカズラ・ヤブミョウガ等
特徴
 *社殿には推定樹齢四〇〇年の巨木、見事な
  大杉がある。 山崎町指定文化財(昭和六〇年二月一四日)
 *南端にそびえるイチイガシは、幹囲四メー
  トル、推定樹齢四〇〇年である。この
  地方では、稀にみる珍しい大木である。
 *特に当社叢の樹木、草木は、古来より
  鎮守の森として保護され、当地方の
  自然環境を伝承する上で、最も貴重な
  植物群落である。
 與位神社

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、素盞嗚命・稻田姫命。

成務天皇14年(144年)2月11日鎮座。
欽明天皇25年(564年)2月11日とも称する。
元亨2年(1322年)11月6日付の文書に記載。
建武2年(1335年)国宣を奉ぜしめる。
明治14年(1881年)2月村社。
明治42年(1909年)5月子勝神社を合祀。

伊和神社と当社、当社の北の丸山に鎮座していた子勝明神は、伊和三社とも称していた。
明治42年5月子勝神社を合祀した、現在の本殿はこのとき子勝明神から移建されたもの。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:素盞嗚命(スサノオノミコト)
配祀神:稲田姫命(イナダヒメノミコト)

祭記事:

由 緒:
 素盞嗚命は伊弉諾尊の御子にして生来御気性の荒い神様で御姉神天照大神のお怒りにあい天下り給いし後、稲田姫命をめとり、ひたすら心清々しき日々を送られた神様であります。
 当社の御創立は遠く成務天皇14年甲申2月11日(紀元804年 西暦144年)鎮座と称し、また欽明天皇25年甲申2月11日(紀元1224年 西暦564年)とも伝えられ、そのいずれか定かではありませんが、伊和大神すなわち大国主命が国土経営をなされた時、父母の神として與位大神を與位山の地に、子勝大神を丸山の地に奉斎せられたのが始まりといわれ、延喜式という古い書物にもはっきりと記されていることからしても、延喜式以前の創立を物語る古い御社であります。
 播磨鑑という書物に「八乙女の鈴やふりつゝ祈るにぞ神も願をよるの夢みせ」と記され、今もこの故実により、八名の氏子の子女が巫女として大祭に奉仕しております。
 また昔から神饌第一に粟蒸しを奉る古例が存続しており明治42年に子勝神社を與位神社に合祀し、今日に至っております。

とある。


與位神社のある当地は、揖保川の上流部に当たる場所、古くから開かれた場所のようでおおいに興味深い地域でもある。
伊和神社のある一宮町須行名から南へ直線で3kmほどの揖保川西岸の平地に鎮座。
かつては揖保川のほとりに位置していたのかもしれない、揖保川の水運や因幡街道の中継地点だったと想像できる。
周囲には、与位滝谷製鉄址・与位丸山古墳・与位群集墳跡A~C・与位第1~5散布地・与位高尾遺跡(兵庫県考古博物館資料による)がある。

與位神社ご祭神は、素盞嗚命・稻田姫命。
鎮座地からみると伊和神社の南、直線にして3kmほどで非常に近い場所でもあり、周囲の313-020_御形神社などと同様に大己貴神(伊和大神/大国主命)の影響を強く受ける神社であることは間違いない。
由緒には、父母の神として與位大神を與位山の地に、子勝大神を丸山の地に奉斎されたのが始まり、とある。
つまり素盞嗚命の娘婿である大国主命が父と母を祀ったということのようだ。
創建当初は與位山にあったのではないだろうか、これは南西に1.7kmほどの宮山のことだと思われる(個人的見解です)。
宮山は山崎町与位の範囲の南端にあたる。
明治に合祀された子勝神社を含め、伊和神社・與位神社・子勝神社は伊和三社と呼ばれていたそうだ(大国主命ファミリーだ)。
やはりこの地は大国主命の影響が色濃く残っている。

與位 または 與比 または 与比の文字が含まれる式内社としては但馬国養父郡の 273-200大與比神社 がある。
273-200_大與比神社のご祭神は、葺不合尊・彦火火出見尊・玉依姫命・木花開耶姫命となっていて共通性があるようには思えない。

與位神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
国道29号線の「よいたいトンネル東」交差点より西へ兵庫県道523号塩田一宮線に入り1.2kmほど進むと左側にこんもりとした社叢が見えてくる。
左カーブの終わりの交差点を左折(南)へ入ると到着する。
ありがたいことに道路を挟んで鳥居の反対側に駐車スペースがある。

社域は道路が分断するような形状になっており鳥居の反対側(東)には舞台のような建物があり児童公園がある。
ありがたいことにここにスペースがあるので駐車が可能。
鳥居は両部鳥居で鳥居をくぐると細い参道が真っすぐ伸びている。
参道を進むと拝殿前の広場、ここから望むと社叢には大きな木が目立つ。
この社叢は山崎町指定文化財になっている。
拝殿は非常に大きく立派な建物で状態も良い、建築年代は不明だが比較的新しいようだ。
拝殿の後方には垣で囲まれた本殿、こちらも状態は良く新しく見える。
社域は非常に美しく保たれていて地域の尊崇厚いことが感じ取れる。

伊和神社・與位神社・子勝神社の三社合わせて大国主命ファミリー神社とも言える神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/5/27
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから