261-120_小幡神社

比定社:小幡神社

式内社コード:261-120
神名帳社名 :小幡神社、ヲハタノ
社    格:小
所 在 地 :621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内1
Plus Code  :2G5W+5Q 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

穴太集落の犬飼川の西岸に鎮座。
裏手の山には穴太城跡がある、この穴太という地名は滋賀の穴太と関係があるのだろうか?気になる。
京都府道407号東掛小林線を亀岡運動公園を南下すると犬飼川にかかる橋の手前の右手にある。
かつての犬飼川は堤防が低かったと思われるが当社が古くからこの場所に鎮座していることを考えればこのあたりの犬飼川は暴れ川ではなかったのだろう。
京都府道407号東掛小林線から浅い角度で入っていくと社務所と駐車場スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

地域に見事に溶け込んだ社域。

写真

小幡神社を正面からの望む。入口は少々分かりにくいが入ってみれば非常に落ち着いた雰囲気。
小幡神社を正面からの望む。入口は少々分かりにくいが入ってみれば非常に落ち着いた雰囲気。
神社謹製の由緒書。和銅年間に丹波国司の大神朝臣狛麻呂により社殿が建立、延喜式神名帳に記載されたとある。
神社謹製の由緒書。和銅年間に丹波国司の大神朝臣狛麻呂により社殿が建立、延喜式神名帳に記載されたとある。
手水舎。
手水舎。
鳥居をくぐると舞殿と拝殿が見えてくる。
鳥居をくぐると舞殿と拝殿が見えてくる。
舞殿は一番シンプルな形式。本殿は1段上がっている。
舞殿は一番シンプルな形式。本殿は1段上がっている。
拝殿より本殿を望む。シンプルで潔いもの。
拝殿より本殿を望む。シンプルで潔いもの。
本殿を望む。現在の社殿は天和年間のもの。
本殿を望む。現在の社殿は天和年間のもの。
本殿を右手より望む。質実剛健な作り。
本殿を右手より望む。質実剛健な作り。
台風の影響か拝殿はワイヤーロープでくくりつけられていた。古い社殿は維持が大変で苦労がしのばれる。
台風の影響か拝殿はワイヤーロープでくくりつけられていた。古い社殿は維持が大変で苦労がしのばれる。
亀岡ではあまりみない五角柱。地神塔 あるいは 社日塔といい、日本海側ではよく見る。
亀岡ではあまりみない五角柱。地神塔 あるいは 社日塔といい、日本海側ではよく見る。
拝殿より舞殿を望む。素朴な石畳が良い。
拝殿より舞殿を望む。素朴な石畳が良い。
舞殿より鳥居を望む。犬飼川の堤防は近世に嵩上げされたと思われるので、かつては鳥居のレベルだったと思われる。
舞殿より鳥居を望む。犬飼川の堤防は近世に嵩上げされたと思われるので、かつては鳥居のレベルだったと思われる。

感想

神社謹製の由緒書によると

小幡神社
当社は、崇神天皇(すじんてんのう)の命により派遣された四道将軍のひとり、丹波地域を治めた丹波道主命が、皇祖開化天皇(かいかてんのう)を主神として祀ったことに始まるといわれ、開化天皇の御子の彦坐王(ひこいますのみこと)とその御子小俣王の三代を奉斎しています。
 また社伝等によると、和銅元年(七〇八)に、丹波国司大神朝臣狛麻呂(おおみわのあそんこままろ)が霊域に社殿を建立され、延長五年(九二七)に編纂された『延喜式』「神名帳」にも記載された古社です。
 社蔵の棟札によると文和元年(一四四二)には管領細川政元の本殿造営とその後明応元年(一四九二)を始めとする修造、屋根葺替えが行われています。現在の社殿は、天和三年(一六八三)に造立された一間社流造、檜皮葺の建物です。亀岡市内で妻に二重虹梁大瓶束(こうりょうたいへいそく)を用いた早い事例であり、京都府の登録文化財となっています。また、社宝として全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが保存されています。

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
崇神天皇10年(BC88年、諸説あり)四道將軍道主命が開化天皇を祀る。
和銅元年(708年)大神狛麿が社殿を造営。
文和元年(1442年)造営(修正)。
明応元年(1492年)造営。
永正元年(1504年)造営。
永正6年(1509年)足利義尹(義植)が小幡神社社地の御教書。
慶長18年(1613年)造営。
天和3年(1683)造立(追加)。

この地の地名は興味深い、鎮座地は曽我部町穴太(あなお)となっており、曽我部氏との関係が連想される。
大堰川の南は大和朝廷の勢力、北は出雲の勢力と拮抗していたのかもしれない(個人的見解です)。

また穴太という地名についても滋賀の穴太(あのう)と関連があるように思える(珍しい)。
亀岡には城や寺社が多くあり、その石垣を築造するために戦国期に職人たちが滋賀から移ってきたのではないだろうか、いやひょっとすると逆なのかもしれない(こちらのほうが古いのかも)。
こうしてあれこれ想像を巡らすのは楽しい。

由緒には
小幡神社は和銅年間に丹波国司の大神朝臣狛麻呂により社殿が建立された。
また社殿は文和年間(細川政元による)、明応年間の造営や修復の記録があり、現在の社殿は天和年間のもの。
とある

社域は小さいがよく手入れされており気持ちが良い。
台風が大変だったみたいで拝殿がワイヤで固定されておりメンテナンスの苦労が忍ばれる。
そろそろ補修をしないといけない時期だろうと思う。
亀岡では珍しい五角柱あり(日本海側ではよく見る、地神塔 あるいは 社日塔という)。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2018/9/17
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100

各種式内社データへのリンク

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