261-090_山國神社(山国神社)

比定社:山國神社(山国神社)

式内社コード:261-090
神名帳社名 :山国神社、ヤマクニノ
社    格:小
所 在 地 :601-0323 京都府京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1
Plus Code  :5MF4+55 京都市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

大堰川の西岸の川べりの平地に鎮座。
国道477号線からは石灯籠と社標があるのですぐに分かる、立派な参道が250メートル続く。
この地域の大堰川は川幅が狭く洪水の恐れは少なかったのだろうと想像できる。
由緒書によると
当地より平安遷都の際に大内裏造営のための木材を提供したことで本殿が作られた。
源平の乱(天福年間に再建)や元弘の乱で社殿が破却され応永年間に再建された際に足利義満より丸に二引の紋を贈られた。
その後慶長年間に再建された。
とある。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

用材を調達したという役割と立地。
素晴らしい拝殿の天井。

写真

山國神社を正面から望む。訪ねたのは1月6日だったので門松が飾られている。
山國神社を正面から望む。訪ねたのは1月6日だったので門松が飾られている。
右側(南)を望む。当地は谷筋となっていて神社裏に大堰川が流れており筏流しにはもってこいの立地。クルマは南側に駐車場がある。
右側(南)を望む。当地は谷筋となっていて神社裏に大堰川が流れており筏流しにはもってこいの立地。クルマは南側に駐車場がある。
正面(西)を望む。国道477号線まで参道が250メートル続く。
正面(西)を望む。国道477号線まで参道が250メートル続く。
左側(北)を望む。周辺はほぼ田畑。
左側(北)を望む。周辺はほぼ田畑。
鳥居をくぐり拝殿を望む。たくさんの建物がある。社域はきれいにしてあり気持ちよく参拝できる。丸に二引のご神紋が屋根に大きく表わされている。
鳥居をくぐり拝殿を望む。たくさんの建物がある。社域はきれいにしてあり気持ちよく参拝できる。丸に二引のご神紋が屋根に大きく表わされている。
手水舎。
手水舎。
神社謹製の由緒書。こちらのほうが詳しい。
神社謹製の由緒書。こちらのほうが詳しい。
神社謹製の由緒書。
神社謹製の由緒書。
拝殿を正面から望む。非常に立派な作り。
拝殿を正面から望む。非常に立派な作り。
拝殿内部の天井。素晴らしい天井だ。
拝殿内部の天井。素晴らしい天井だ。
拝殿から本殿へは屋根がついている。
拝殿から本殿へは屋根がついている。
本殿は慶長年間に再建されたもの。こちらも非常に立派で重厚な作り。
本殿は慶長年間に再建されたもの。こちらも非常に立派で重厚な作り。
本殿を右から望む。かなり大きいことが分かる。
本殿を右から望む。かなり大きいことが分かる。
拝殿を左側から望む。背後には大堰川が流れている。
拝殿を左側から望む。背後には大堰川が流れている。
拝殿より鳥居を望む。国道477号線までまっすぐに続く参道は250メートルほどある。
拝殿より鳥居を望む。国道477号線までまっすぐに続く参道は250メートルほどある。
かつては右の写真のように木材を川で筏流しして平安京まで届けていたのだろう。
かつては右の写真のように木材を川で筏流しして平安京まで届けていたのだろう。
昭和初期の相撲の大会の結果。現在は土俵は見当たらなかった。
昭和初期の相撲の大会の結果。現在は土俵は見当たらなかった。

感想

神社謹製の由緒書によると

山國神社の由緒
祭神 大巳貴命(大国主命)
創立 宝亀年中 光仁天皇(七七〇~七八〇年)
例祭 十月十日
桓武天皇延暦年中、平安遷都に当り大内裏御造営の木材を山國の郷より徴せられ此の郷を御杣料地と定め、木工寮修理職の官人をして本殿を御造営せられ祭主として和気清麿公が奉仕された。爾来、大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達することが恒例となった。長和五年(一〇一六)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の紋章を賜り春日、加茂、御霊、日吉の四社を建立して五社明神とした。源平の兵乱に破壊されたが、四条天皇の天福元年(一二三三)再建され後醍醐天皇元弘の乱に亦々破却されたが足利尊氏の臣、細川頼之当地に隠棲する間、本殿復旧のことを執奏し、幸いにも応永六年(一三九九)社殿を復旧し綸旨を賜わる。
この時、足利義満が丸に二引きの徴章を奉納する。
爾来、この紋章を当社の紋章とする。
その後、後陽成天皇の慶長元年(一五九六)再建され明治六年(一八七三)郷社に、仝三十三年に府社に列格された。
延喜式内の古くからのお社である。

とある。

京都市謹製の由緒書によると

山国神社
 御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)
 第五〇代桓天皇による延暦年平安遷都(七九四年)に当たり、大内裏御造営の木材を当地よリ徴され、この郷を御杣料地として定め、本殿を造営せれ、祭主として和気清麿公(七三三~七九九年)が奉仕された。
以来、大嘗祭の悠紀、主基の御殿御造営の用材を調達する事が恒例となった。第六十七代三条天皇の長和五年(一〇一六)神位正一位を贈られ、御祈願所として菊花の御紋章を賜り、春て五社明神とした。
 源平の乱に破却されたが、応永六年(一三九九)、社殿を復旧し綸旨を賜った。この時、足利義満から丸に二引の徽章を奉納された。以来、この紋章を当神社の紋章としている。
 明治六年(一八七三)郷社に、明治三三年(一九〇〇)府社に列格された。延喜式内の古くからの社である。
一〇月第二日曜日の還幸祭には維新勤皇山國隊が行進する。
京都市

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
宝亀年中(770~780年)創建。
延暦年中(782~806年)平安遷都で造営の木材を山国よリ徴される。
長和5年(1016年)正一位祈願所として菊花の御紋章を賜り、五社明神と称する。
天福元年(1233年)再建。
元弘の乱(1333年)で破却。
応永6年(1399年)社殿復旧。
天正7年(1579年)頃には社殿は朽壊して神領も押領。
慶長元年(1596年)再建。
明治6年(1873年)郷社。
明治33年(1900年)府社。

由緒書によると、ご祭神は大己貴命、創建は宝亀年間とある。
平安京の大内裏造営のための木材を提供したことに始まり、その後ご用材の調達を担った神社であり、その保護も厚かったのだろうと想像できる。
そうだからこそ大堰川のほとりに鎮座するということも理解できる。

現在の社殿は慶長年間に再建で非常に立派なもの、特に拝殿は天井が素晴らしい。
残念ながら本殿はあまり良く見えない。
社域はきれいにしてあり気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/1/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから