261-230_鍬山神社

比定社:鍬山神社

式内社コード:261-230
神名帳社名 :鍬山神社、クハヤマノ
社    格:小
所 在 地 :621-0856 京都府亀岡市上矢田町上垣内22-2
Plus Code  :XHWG+FW 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

亀岡駅の南約2.5kmの山の東の麓に鎮座。
府道6号枚方亀岡線からは1本西へ入った場所にある、かつては神社前の道が丹波から摂津へ通じる重要な街道筋だったと思われる。
神社の北側200メートルほどの場所に一の鳥居がある。
社域は広く社殿は立派な作り、本殿は鍬山宮と八幡宮が同規模で並ぶ形式。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

このあたりでは見かけない本殿の形式と相殿ではなく本殿が2つという形式。
かわいいウサギのご神紋。

写真

鍬山神社を正面から望む。神社自体は東を向いている。一の鳥居は北に200メートルのところにあるので、この鳥居は二の鳥居となる。
鍬山神社を正面から望む。神社自体は東を向いている。一の鳥居は北に200メートルのところにあるので、この鳥居は二の鳥居となる。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
神社謹製の由緒書。和銅二年(七〇九)に創祀、大己貴命(大国主命)が黒柄山に八人の神様を集め亀山盆地を開拓したとある。その時の鍬から神社名が付いた。
神社謹製の由緒書。和銅二年(七〇九)に創祀、大己貴命(大国主命)が黒柄山に八人の神様を集め亀山盆地を開拓したとある。その時の鍬から神社名が付いた。
北側から神社正面を望む。神社の正面は参道になっている。
北側から神社正面を望む。神社の正面は参道になっている。
二の鳥居の前は参道のようになっていてかつては一の鳥居まで続いていたのだろう。前の道路は旧道で建物の向こうに府道6号枚方亀岡線が走っている。
二の鳥居の前は参道のようになっていてかつては一の鳥居まで続いていたのだろう。前の道路は旧道で建物の向こうに府道6号枚方亀岡線が走っている。
二の鳥居をくぐると広場があり、橋の向こうに拝殿が見える。
二の鳥居をくぐると広場があり、橋の向こうに拝殿が見える。
広場の左手には社務所兼授与所がある。
広場の左手には社務所兼授与所がある。
拝殿を正面より望む。拝殿は簡素な作り。
拝殿を正面より望む。拝殿は簡素な作り。
向こうに見える本殿は垣の中で門がある。
向こうに見える本殿は垣の中で門がある。
本殿は1段上にあり右が八幡宮、左が鍬山神社となり相殿のような形式。
本殿は1段上にあり右が八幡宮、左が鍬山神社となり相殿のような形式。
本殿を左側より望む。右が八幡宮、左が鍬山神社となり相殿のような形式だが相殿ではなく本殿が2つということになっている。
本殿を左側より望む。右が八幡宮、左が鍬山神社となり相殿のような形式だが相殿ではなく本殿が2つということになっている。
八幡宮を正面より望む。ご神紋は鳩。
八幡宮を正面より望む。ご神紋は鳩。
八幡宮のご祭神は誉田別尊となる。本殿は文化年間の造営で京都府登録文化財となっている。
八幡宮のご祭神は誉田別尊となる。本殿は文化年間の造営で京都府登録文化財となっている。
鍬山神社の本殿を望む。多数のお供えがあり尊崇の厚いことが分かる。
鍬山神社の本殿を望む。多数のお供えがあり尊崇の厚いことが分かる。
鍬山神社のご祭神は大己貴命となる。本殿は八幡宮と同じく文化年間の造営で京都府登録文化財となっている。
鍬山神社のご祭神は大己貴命となる。本殿は八幡宮と同じく文化年間の造営で京都府登録文化財となっている。
鍬山神社のご神紋はうさぎ。なんだか太っちょだ。
鍬山神社のご神紋はうさぎ。なんだか太っちょだ。
社務所にかかる提灯にもうさぎのご神紋が付いている。なかなかカワイイ。
社務所にかかる提灯にもうさぎのご神紋が付いている。なかなかカワイイ。
拝殿を左側より望む。右が二の鳥居、左が本殿。
拝殿を左側より望む。右が二の鳥居、左が本殿。
二の鳥居の足元。元は石だったようで木製の鳥居が継いである。寛政年間と読める。
二の鳥居の足元。元は石だったようで木製の鳥居が継いである。寛政年間と読める。

感想

神社謹製の由緒書によると

鍬山神社
当社は、和銅二年(七〇九)に創祀されたと伝えられる古いお社で、鍬山大明神または矢田社とも呼ばれていました。平安時代に著された「延喜式」神名帳にも丹波国桑田郡十九座の一つとして記載されています。
社伝等によると、亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命(大国主命)が黒柄山に八人の神様を集め一艘の樫船に乗り一把の鍬で浮田(請田)の峡を切り開き、肥沃な農地にされたと伝えます。里人はこの神徳を称え天岡山の麓にお祀りしたのが始まりで名前も開削に使った鍬が山積みになったことから鍬山大明神と呼ばれました。
また、鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社は、永万元年(一一六五)に誉田神が降臨され、以後祀られることとなりましたが、両宮の社殿が現在地に建立されたのは慶長一五年(一六一〇)亀山城主岡部長盛の時です。
なお、当社で行われていた神事芸能の一つに、現在の能楽の源流の一つともなっている「丹波猿楽」があり、平安京はもとより摂津・河内など各地に出向いて活躍していましたが、天正四年(一五七六)明智光秀の丹波進攻の混乱により悉く廃れたと言われています。
その後、歴代亀山城主が神領等を寄進するなど保護に努め、徐々に祭礼が復興しました。十月二四・二五の秋の例祭は、十一基の山鉾が出て祇園囃子を奏で、口丹波の祇園祭としても親しまれています。この山鉾行事も藩主と町衆が一体となって守り伝えてきたものです。

とある。

神社謹製の鍬山宮説明書によると

鍬山神社 鍬山宮(主神)
ご祭神 大巳貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)
伝説によると、神代の昔、丹波の国は、泥沼の水の底に沈み、里人の生活は厳しいものであった。大巳貴命(大国主命)、大山咋神以下八柱の神を黒柄獄に神集いされて話し合い、樫田の地より樫船に乗り、一把の鍬を挙げ、保津請田のあたりを切り拓き、湖水を干拓して肥沃な農地とした。
里人は神徳を尊び、また、使った鍬が山積みしたことにより鍬山神社と名付け、此の地に祀られたと伝えられている。
当社は、国初より鎮座し、延喜式内の旧宮社である神代鎮座の霊場として、大宝の神籍に編入せられて、和銅二年(七〇九)社殿を建立されたと伝えられる。
寛政年間の棟札が現存し、現在の桧皮葺きの権現造の社殿は、八幡社と同じく文化十一年の宮営である。(京都府登録文化財)
御神徳 農業及び諸産業、商売繁盛、
    縁結び、学業、医療の神
    社伝によると、特に祈雨の加護があったと伝えられる。

とある

神社謹製の八幡宮説明書によると

鍬山神社 八幡宮(客神)
ご祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)(應神天皇)
永萬元年(一一六五年)五月八日天岡峰上に戒衣を着、弓矢を執る神人が天下られ、その託宣により本宮(鍬山宮)の相殿に祀られたと伝えられる。
しかし、それ以後毎夜雷風が起こり、戦闘殺伐の声空中聞え、明け方境内に鳩と兎の死骸が多く、里人は不仲によるものとそれぞれに二棟の本殿に分けて祀ったと伝えられる。
現今の桧皮葺き権現造の社殿は本宮鍬山宮と同じく文化十一年の宮営である。
(京都府登録文化財)
八幡大神の影向石(天下り岩)が、天岡山北赤子谷の上にあり、阿闍梨寛純師が建立。
三神龍山が銘文を記している。
御神徳 武運長久の神
    勝運の神

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
和銅2年(709年)創建。
永万元年(1165年)誉田八幡が天岡山(面降山)降臨。
寛正3年(1462年)造営。
慶長6年(1601年)造営。
慶長15年(1610年)造営。
寛永16年(1639円)造営。
文化11年(1814年)造営
明治6年(1873年)郷社。
昭和3年(1928年)府社。

由緒書にある黒柄山は南へ約4kmほどにある、また天岡山とあるのは鍬山神社のすぐ西にある山のことだ。
個人的には神社名に鍬と付くので鉄と関係があるのかと思うのだが、そういった痕跡は無いようだ。

ご祭神は亀岡盆地の開拓を行った大巳貴命で、他の神社でも開拓の神として祀られる大山咋神をはじめとする神々と協力したということだ。
その開拓に使用した鍬が神社名となっている。

神社自体は東を向き、社域には広くたくさんの建物がある。
本殿は正面から見て右が八幡宮、左が鍬山神社となり相殿のような形式を取るが相殿ではない。
最初に大巳貴命が祀られ、その後に誉田別尊が祀られ、当初は相殿だったようだが、この2柱の神は仲が悪かったらしくそれぞれの本殿に祀られ、現在の形式になっているとある。
神様の人間臭いお話が残っているのが楽しい。

拝殿に対して本殿は1段高い位置にあり、本殿全体が塀に囲まれ門がついている、本殿自体もさらに垣で囲まれている、つまり2重の垣で囲ってある。近隣の神社では珍しい形式だと思う。

お供えが多く近隣の尊崇が厚いことが伺える。
社域はきれいに保たれていて気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/3/10
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3