比定社:大歳神社(新温泉町居組)
式内社コード:278-040
神名帳社名 :大歳神社、オホトシ
社 格:小
所 在 地 :669-6751 兵庫県美方郡新温泉町居組615
Plus Code :J97R+9J 新温泉町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「おおとしじんじゃ」と読む、地名の居組は「いぐみ」と読む。
居組集落の南東の丘の麓に鎮座。
現在地は元居組小学校の校庭にあり居組コミュニティセンターや居組地区公民館がある。
国道178号線の居組ICを西へ進み200メートルほどで結川に行き当たるので南下。
すぐ東側に元小学校が見える校庭の東側に鳥居が見える。
クルマは元小学校の邪魔にならない場所に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
旧居組小学校の中にある立地。
国指定重要無形民俗文化財
但馬の麒麟獅子舞(たじまのきりんししまい)
選択年月日:2009.03.11(平成21.03.11)
文化庁解説:
但馬の麒麟獅子舞は、麒麟を象【かたど】ったとされる頭【かしら】をいただき、胴幕に大人二人が入って一頭の麒麟となって舞う民俗芸能である。麒麟の頭を用いることやゆったりとした動き、太鼓、笛、ジャンジャン(銅拍子【どびょうし】)を用いた軽快なはやし囃子などに特色がある。
旧但馬国【たじまのくに】にあたる兵庫県の西北部の新温泉町【しんおんせんちょう】、香美町【かみちょう】に分布しており、地元の神社の祭礼において神前のほか、氏子の家々を門付【かどづ】けして回る。
麒麟獅子舞は、一頭または二頭で舞われ、地を這うようにゆっくり頭を回したり、ひねったり、伸び上がるように頭を上げたりする動作が特徴的である。獅子の他には、多くの場合赤い猩々【しょうじょう】面に赤い衣裳や髪の猩々が一人つく。演奏される囃子は、鉦【かね】を使用する因幡【いなば】地方の囃子と比べて比較的テンポが早く、ジャンジャン(銅拍子)が賑やかに打たれる。
麒麟獅子舞は、鳥取県東部(因幡地方)から兵庫県西北部(但馬地方)にかけて分布しており、因幡地方では楽器に鉦を使うのに対し、但馬地方ではジャンジャンを使うことが多いなど、異なった伝承が見られ貴重である。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
写真
感想
浜坂町教育委員会謹製の由緒書によると
大歳神社
指定文化財 県指定 麒麟獅子舞 昭和49年3月22日
町指定 社 叢 昭和54年3月3日
所有者・管理者 宗教法人 大歳神社
大歳神社は、貞観3年(861)の創建と伝えられており、平安時代に作成された「延喜式神名帳」にも記載されている浜坂町でも古い神社である。
毎年10月9日の例祭日には、家内安全・無病息災を願って麒麟獅子舞が奉納される。
また、神社の境内には、シイ・ツバキ・タブノキの古木を中心に、ケヤキ・ヤブニッケイ・モチノキ・ヤマザクラ・ヒメユズリハなどの貴重な樹木が多く茂っている。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、大歳神。
貞観3年(861年)創立。
貞観13年(871年)従五位下。
鎌倉時代(1190~1329年)神領あり。
永享2年(1430年)造営。
寛文8年(1668年)藩主京極伊勢守参拝。
天和3年(1683年)本殿建立。
元禄15年(1702年)造営。
享保4年(1719年)造営。
元文3年(1738年)之を再営す(追加)。
宝暦2年(1752年)造営。
宝暦10年(1760年)之を修繕す(追加)。
明和5年(1768年)本殿を造替(追加)。
安永4年(1775年)同殿の一部に造営を加える(追加)。
安永6年(1777年)同殿の一部に造営を加える(追加)。
天明8年(1788年)同殿の一部に造営を加える(追加)。
寛政10年(1798年)造営。
嘉永4年(1851年)拝殿を改造(追加)。
嘉永7年(1854年)本殿覆を再建(追加)。
安政4年(1857年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治7年(1874年)郷社。
明治17年(1884年)本殿覆の屋根替え(追加)。
明治30年(1897年)鎮座1050年祭を執行(追加)。
大正8年(1919年)本殿拝殿を新築(追加)。
大正10年(1921年)供進神社指定。
大正13年(1924年)県社。
もとは居組谷に鎮座、永享2年(1430年)ごろ現在の地に遷座。
結川を南方に遡るJR沿線に、小字「居組谷」と云う地名が今に残ることから、この付近に旧集落が比定されている。
また、小字「宮ノ原」という公有地があり、従来からお宮の社地であつたという伝承があり、元の鎮座地と推定される。
遷座の時期は、当社本殿が再建された永享の頃(1430頃)と考えられている。
とある。
兵庫県神社庁によると。
主祭神:大年神(オオトシノカミ)。
配祀神:御年神(ミトシノカミ)・若年神(ワカトシカミ)。
貞観3年(861)の創立。延喜式の制小社に列し、足利時代永享2年(1430)、本殿を建立。
天正3年(1575)、芦屋城主鹽谷周防守は村役人より当社縁起を提出せしめ、一覧。
江戸時代延宝年間(1673~1681)、藩主京極氏当社を崇敬し、神田6畝歩を寄進し、宝暦5年(1755)後昧肥前守代官所を置くや毎年供物料として米1石8斗を捧げる。
天和3年(1683)本殿を建立し、元禄15年(1702)同殿を造営せり。享保4年(1719)本殿を造立し、元文3年(1738)之を再営す。宝暦2年(1752)本殿を造立し、同10年(1760)之を修繕す。明和5年(1768)本殿を造替し、安永4年(1775)、同6年(1777)、天明8年(1788)等に同殿の一部に造営を加え、寛政8年(1796)又建立に着手し、同10年(1798)之を再建す。嘉永4年(1851)拝殿を改造し、同7年(1854)本殿覆を再建。
明治3年(1870)、新に神霊を勧請。同6年(1873)、村社に列せられる。
明治17年(1884)、本殿覆の屋根替え。同30年(1897)、鎮座1050年祭を執行。大正8年(1919)、本殿拝殿を新築。
とある。
大歳神社(新温泉町居組)のある当地は、但馬国の北西の端、すぐ西隣は因幡国の岩井郡に接する地域。
現在地は元居組小学校の校庭にありこんもりとした小さな山の西の麓にあたる。
元の鎮座地は前を流れる結川を南へ700メートルほど遡ったJR山陰本線居組駅のあたりではないかと言われている。
現在地は標高が低く3メートルほどしかなく、かつては居組駅あたりまで海水が入り込んでいたと思われる(個人的見解です)。
海水面が低くなるに従って港側(北)に集落が移動し、それに伴い大歳神社(新温泉町居組)は記録にあるように永享2年(1430年)頃に現在地に遷座したのではないだろうか。
こうした成り立ちでこの地域は早くから開けたようで周囲には龍雲寺遺跡・オノノウエ遺跡・穴見遺跡・居組城跡等がある(兵庫県考古博物館資料による)。
大歳神社(新温泉町居組)のご祭神は大歳神。
これは延喜式神名帳の時代から変わっていないのではないだろうか。
それにしても記録がたくさん残っているので興味深い。
大歳神社(新温泉町居組)へのアプローチはちょっとビックリかもしれない。
国道178号線の居組ICを西へ進み200メートルほどで結川に行き当たるので南下。
すぐ東側に元居組小学校が見え、校庭の東側(向こう側)に鳥居が見える。
予備知識無しで行くと小学校の中にある!、という珍しい立地だ。
元居組小学校には居組コミュニティセンターや居組地区公民館がある。
クルマは元小学校内の邪魔にならない場所に駐車可能。
結川の東側道路から元居組小学校の校庭にクルマを乗り入れ邪魔にならない場所に駐車させていただいた。
校庭を東へ横切り式内社へ向かうというのは初めての経験で少し新鮮。
小高い山の西の麓にあり鳥居および社域は西を向いている。
鳥居脇の社標には縣社大歳神社とある、ちなみに浜坂町教育委員会謹製の説明書以外には式内社の表示が全く無い。
鳥居をくぐり短い石段を登ると古木の多い濃い社叢が広がり気持ちの良い社域だ。
社殿は立派で大きな拝殿と回廊で繋がった本殿で構成される。
本殿正面は覆いが付いていて見ることができないのが残念、大正8年(1919年)に建築されたもので状態は非常に良い。
本殿に向かって右側には猿田彦大神、左側に正八幡宮がある。
社域は良く手入れされ気持ち良く参拝できる。
麒麟獅子舞は文化庁によると、鳥取県東部(因幡地方)から兵庫県西北部(但馬地方)にかけて分布していて、地域により個性があるようだ。
兵庫県最北西部にある麒麟獅子舞の伝わる式内社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2022/6/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。