比定社:㯮椒神社
式内社コード:275-210
神名帳社名 :㯮椒神社、ホソキノ
社 格:名神大
所 在 地 :669-6344 兵庫県豊岡市竹野町椒1738-2
Plus Code :GPQ3+56 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「はじかみじんじゃ」と読む、地名の椒は「はじかみ」と読む。
椒には集落は無く北の下村集落と南の中村集落の間の山頂に鎮座。
非常に見つけにくい場所にある。
目印となる「はじかみ神社のおまき桜」のあるカーブの南100メートルほどの場所の西側に神社入口があり鳥居がある。
兵庫県道1号日高竹野線からは鳥居が見えず田畑と山の間の農道を入りやっと鳥居がある。
農道にはクルマでは入れない鳥居からは徒歩で20分ほど登山道のような参道を登る。
駐車場は無いので注意。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境4】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩4】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索5】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
現代的には僻地だが意外と交通の要衝にあるところ。
山の頂上に鎮座し素晴らしい自然の参道。
権次橘正貞による本殿の彫り物は一見の価値がある。
写真
㯮椒神社の遥拝所もしくは里宮のような社。何も書いてないので、この社を㯮椒神社と勘違いしてしまった。難しい…。
感想
神社謹製の由緒書によると
㯮椒神社
鎮座地 竹野町椒字岩内一七三八番地弐
(特選神名牒) 椒村(城崎郡三椒村大字椒)
(神祇志料) 今 椒村にあり
祭 神 不詳
由 緒 創立年月不詳なるも仁明天皇承和九年(西紀八四二年)
官社に預り清和天皇貞観十年(西紀八六八年)従五位上に
叙せられ延喜式(延喜五年、西紀九〇五年)の制名神大に列せ
らる中古以降所傳の明確を欠き明治六年村社に列し
同二十二年本殿を再興し幣殿を新築せり。
(續日本後記) 仁明天皇承和九年冬十月 辛酉朔乙亥但馬國気多郡蜀椒神預官社
(三代実録) 清和天皇貞観十年十二月廿七日丙午授但馬國従五位下椒神従五位上
(延喜式巻十神名式下) 但馬國一百丗一座 大十八座 小一百十三座
気多郡廿一座 大四座 小十七座
㯮椒神社 名神大
(特選神名牒) 㯮椒神社 名神大
祭神今按蜀椒は今本ホソキとよめれど誤なり和名抄に蜀椒
和名奈留波之加美一名不佐波之加美とみえたればハジカミとよむ
べし古事記にもくめのこらがきもとにうゑしはじかみくちひびくとあり
さて典薬式に但馬國蜀椒柏子仁各一斗とみえ今も朝倉
山椒とて名物なり此乃椒村はことに其物のよく生ずる所
なりけむ故に其土地に鎮ります神を蜀椒と号けて祭れるものなるべし。
とある。
兵庫県謹製のおまき桜説明書によると
郷土記念物 㯮椒神社のおまき桜
指定対象 エドヒガン 1本
指定年月日 平成8年3月29日
地域の人々の暮らしを長年見守ってきたこのエドヒ
ガンは、地域のシンボルとして親しまれている。
エドヒガンとしては県内最大の巨木である。
兵庫県
とある。
ふるさとの巨樹保存事業謹製の「おまき桜」の由来についてによると
「おまき桜」の由来について
豊岡市竹野町椒字下村のエドヒガンザクラの古木は、推定500年とされている。樹高
13m、胸高幹回り6.49mである。
その名前は、桜に花がつけば「苧(からむし)」つまり「麻」の種を蒔く時期で
あることに由来する。農耕社会にあっては「苧」は大切な換金作物であった。2~3mに成
長したときに川淵で和紙の原料である楮(こうぞ)に使用する釜と同じ釜を「苧蒸釜」と
呼び換え、燻し皮をはぎ繊維を採集していた。これは船舶用の網、漁網、夏用の麻布とし
て珍重されていた。また、実は七味として利用されていた。
江戸中期から明治30年代まで、竹野浜の北前船主は、この良質の「苧」を「苧麻ちょ
ま)」と呼び、重要な交易品として盛んに全国へ輸出していた。
豊岡市指定天然記念物 昭和54年 3月 8日指定
兵庫県郷土記念物 平成 8年 3月29日指定
ふるさとの巨樹保存事業
この事業は「緑の募金」によるものです。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、㯮椒大神。
また次の説もあるようだ。
『神名帳考証』木霊。
『但馬国司文書』大山祇命。
承和9年(842年)官社。
貞観10年(868年)従五位上。
中世石清水八幡宮から八幡を勧請。
弘安8年(1285年)八幡宮領椒別宮八町三反の神領。
寛政3年(1791年)造営。
享和2年(1802年)造営。
天保5年(1834年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治22年(1889年)造営。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:㯮椒大神(ハジカミノオオカミ)。
創立年月不詳なるも仁明天皇承和9年(842)官社に預り清和天皇貞観10年(868)従五位上に叙せられ延喜式(延喜5年、905)の制名神大に列せらる中古以降所傳の明確を欠き明治6年(1873)村社に列し同22年(1889)本殿を再興し幣殿を新築せり。
とある。
気多郡の名神大社4社(山神社・戸神社・雷神社・㯮椒神社)のうちのひとつ。
なぜこの4社が気多郡の中で名神大社なのか、どうにも分からない。
時の朝廷がこの地方の土着の神に敬意を払ったということなのだろうか。
それともよほど重要な役割を果たしていたのだろうか、雷を鎮めようとしたのだろうか不明だ…。
個人的には、㯮椒神社を発見するのはかなり難しかった。
式内社が見つけにくいのはどういうことが原因なのかというと、次のような場合があるのではないかと思う。
①単純に道が入り組んでいたり車道から見えなかったりするパターン
②徒歩の距離が長くて目印となるものが少ないパターン
③別の社があってそれを式内社と思い込んでしまい探索を終えてしまうパターン
㯮椒神社の場合は①と③の複合パターンだった。
少し北側に「おまき桜」があり、そこに社がある、当初はこれが㯮椒神社だと思いこんでしまった。
だが、随分と違和感があって、名神大社なのにとか、地図とは違うとか、様々な印象を持ったものだ。
その後、再び現地を訪ねてみて「おまき桜」の少しだけ南の田畑の奥に鳥居を発見した時には飛び上がって喜んだものだ。
こうしたことを何年か続けていて、下調べ・地理的条件・現地の状況を吟味して臨機応変に対応する必要があると痛感したものだ。
思うに「おまき桜」の社は、㯮椒神社の遥拝所もしくは里宮のような存在なのだろうと思う(説明書きは無い)。
非常に見つけにくい場所にある㯮椒神社へのアプローチは「おまき桜」を目指すと良い。
兵庫県道1号日高竹野線沿いのカーブにある「おまき桜」より100メートルほど南の農道よりアプローチする。
県道の西側の田んぼの奥にうっすらと鳥居が見える。
県道からは農道を入るがこの道にはクルマは入れないので県道に路上駐車することになる。
現在の㯮椒神社の周辺には集落は無く、北の下村集落と南の中村集落の間に位置する。
地図で㯮椒神社を確認すると意外と便利な場所に位置することが分かる。
北へ谷筋を行けば竹野町、東へ行くと日高の国府、西へ行くと神鍋という街道が集まる場所にある。
また、南にある大岡寺との関係も指摘されているようだ。
現代の感覚とはかなりずれてはいるが、古代より交通の要衝、地域的なつながりが盛んな場所だったことが伺える。
ご祭神は、㯮椒大神とあるが詳細が分からない神さま。
当地で採れた山椒の実と関係があるかもしれない、山椒の神さまなのだろうか。
かつては山椒の実が大いに珍重されていたのだろうか、疑問は尽きない。
さて㯮椒神社へのアプローチだが、農道を徒歩で入っていくと東向きの立派な両部鳥居が建っている。
扁額には八幡宮とあり、中世に勧請した石清水八幡宮の影響が強いことが伺える。
両部鳥居をくぐると登山道のような参道を行くことになるので歩きやすい靴が良い。
鬱蒼とした植林の林の中の参道を登っていくと折返して山門が見えてくる。
そこからはさらに参道が細く急になり、木々に古木が多くなる。
古木ところでさらに折り返すと尾根筋に出て道があるのか無いのか分からないような場所に出る。
先に社殿が少し見えているので、この道で合っていると思うような場所。
石段も部分的にしか無いが割拝殿のような建物に到着。
割拝殿をくぐって入ると広くはないが山の頂上だとよく分かる広場に到着。
ここだけ木々が無いので光が差していて真ん中に土俵がしつらえてある。
社殿は本殿のみでシンプル、雪深い場所なのに覆屋にも入っていない。
クルマで登ってこれない場所なので、建築時には相当難儀したことが想像される。
本殿は、天保5年(1834年)の建築とあり立派な作り。
本殿の石積みもその頃のものだろう。
本殿には雪よけのために波板が取り付けられていて少々興ざめではあるが、かなりの積雪がある地域なのでしょうがないことだろうと思う。
本殿には中井権次橘正貞による素晴らしい彫り物が施されていて一見の価値がある。
社域は全体的に渋く、低山の山頂に鎮座して成り立ちを伝えてくれる神社。
こうした神社は非常に貴重に思う、長く後世に伝えていきたいと感じた。
山の頂上にある山椒の神さまと関係の濃い名神大社。
注意点
駐車場は無いので注意。
20分ほど登山道のような参道を徒歩で登るので歩きやすい靴が良い。
訪問ノート
訪問日 :2019/4/6、2021/5/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。