312-040_(論)鞍居神社(上郡町野桑)

比定社:(論)鞍居神社(上郡町野桑)

式内社コード:312-040
神名帳社名 :鞍居神社、クラヲキノ/クラヰノ
社    格:小
所 在 地 :678-1202 兵庫県赤穂市上郡町野桑953-2
Plus Code  :W93R+W9 上郡町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「くらいじんじゃ」と読む、地名の上郡町野桑は「かみごおりちょうのくわ」と読む。
野桑集落より北へ入った白旗山の東側山裾に鎮座。
兵庫県道28号上郡末広線より兵庫県道449号多賀相生線へ入り800メートルほど。
県道の路肩が広いので駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

白旗城との位置関係。

写真

鞍居神社(上郡町野桑)を正面より望む。石積みと白い塀がめぐらしてあり陣地のような作り。
鞍居神社(上郡町野桑)を正面より望む。石積みと白い土塀がめぐらしてあり陣地のような作り。
右側(南)を望む。この方向は兵庫県道449号多賀相生線の野桑集落方面。周囲には住居は無い。
右側(南)を望む。この方向は兵庫県道449号多賀相生線の野桑集落方面。周囲には住居は無い。
正面(西)を望む。正面は田畑で向こう側に川が流れている。
正面(西)を望む。正面は田畑で向こう側に川が流れている。
左側(北)を望む。兵庫県道449号多賀相生線の路肩は広いので駐車可能。奥に見えている山が白旗山、直線で1kmほどだ。白旗城の東側を押さえるには絶好の場所だと思うのだが。
左側(北)を望む。兵庫県道449号多賀相生線の路肩は広いので駐車可能。奥に見えている山が白旗山、直線で1kmほどだ。白旗城の東側を押さえるには絶好の場所だと思うのだが。
鳥居は新しくて扁額には鞍居神社とあるが式内の文字はない。国土地理院の地図には「野桑神社」とある。
鳥居は新しくて扁額には鞍居神社とあるが式内の文字はない。国土地理院の地図には「野桑神社」とある。
鳥居をくぐると拝殿前の広場。ちょうど紅葉の季節で黄色い絨毯を敷き詰めたような感じだった。
鳥居をくぐると拝殿前の広場。ちょうど紅葉の季節で黄色い絨毯を敷き詰めたような感じだった。
広場の右側を望む。こちらはそれほど広くない。
広場の右側を望む。こちらはそれほど広くない。
広場の左側を望む。こちらは奥に広くてたくさんの建物がある。
広場の左側を望む。こちらは奥に広くてたくさんの建物がある。
広場の左側少し離れたところにある手水舎。井戸のあるタイプだが手水鉢が無い(手水鉢のみ別の場所にあった)。
広場の左側少し離れたところにある手水舎。井戸のあるタイプだが手水鉢が無い(手水鉢のみ別の場所にあった)。
さらに石段を上がると拝殿というか絵馬殿がある。
さらに石段を上がると拝殿というか絵馬殿がある。
拝殿の右側には社務所のような建物。
拝殿の右側には社務所のような建物。
拝殿の左側。手水鉢がポツンと置かれている。
拝殿の左側。手水鉢がポツンと置かれている。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
絵馬殿の内部と拝殿を望む。絵馬殿の内部にはギッシリと奉納額が飾られている。
絵馬殿の内部と拝殿を望む。絵馬殿の内部にはギッシリと奉納額が飾られている。
絵馬殿、拝殿、本殿を右側より望む。
絵馬殿、拝殿、本殿を右側より望む。
絵馬殿、拝殿、本殿を左側より望む。拝殿と本殿の接続部は高くなっていて下を人が通れるようになっている。
絵馬殿、拝殿、本殿を左側より望む。拝殿と本殿の接続部は高くなっていて下を人が通れるようになっている。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿を左側より望む。本殿の状態は非常に良いように見える。本殿の屋根には鰹木3本、千木は無い、珍しい。
本殿を左側より望む。本殿の状態は非常に良いように見える。本殿の屋根には鰹木3本、千木は無い、珍しい。
本殿左側より拝殿を望む。
本殿左側より拝殿を望む。
拝殿より鳥居を望む。黄色い絨毯がキレイだ。
拝殿より鳥居を望む。黄色い絨毯がキレイだ。

感想


由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、神日本磐余彦命。

由緒不詳

集落から離れた道路沿いに鎮座している。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:神日本磐余彦命(カンヤマトイワレヒコノミコト)

由 緒:
創立年月不詳
白旗山の東麓にありて赤松則村の崇敬を受け天文年間(1532年~1554)尼子晴久の兵燹に罹りて旧記社殿悉く烏有となる。里人依って一小祠を営み奉祀せし処、慶長5年(1600)池田輝興赤穂郡5万石を領し早魃に際会せしかば富満寺満勝院に祈雨参詣の途当社に参拝し其の式微を嘆き社殿を修め祭資を捧げたり。
天明2年(1782)、安永8年(1779)の旧記に徴するに昔より鞍居12社権現と称し又、単に鞍居神社とも号して神日本磐余彦命に配するに天神7代、地神5代を以てして式内神社の資格あるは明らかなる処なりしに当時の神主隠岐和泉守居宅2回の火災に旧記悉く焼失したり。
茲に於て明治5年(1872)に至り式社を金出地村鞍居神社と相争いそも旧記焼失のため遂に其の志を遂げず。同7年(1874)2月村社に列し同14年(1881)幣殿拝殿を再建せり。

とある。


延喜式神名帳・播磨国・赤穂郡の「鞍居神社」の論社の1つ。
鞍居神社(上郡町野桑)のある当地は、千種川より鞍居川の谷筋を5kmほど東へ入った場所から北側へ800メートルほど入った谷筋の東側の山裾に鎮座している。
上郡町野桑という地域は鞍居川の谷筋を含みかなり広い地域となっている。
また鞍居神社(上郡町野桑)のある場所は、国土地理院の地図には「野桑神社」と出ているが、これはどういった根拠なのだろうか。
元々は「野桑神社」という神社名だったのかもしれない(個人的見解です)。
近くに集落は無く鞍居川沿いの野桑集落のはずれといった位置で次の集落である大冨までは北へ1.6kmほどある。
現在の地形や位置関係からは鞍居神社(上郡町野桑)の場所がどうしてここなのか想像するのは難しい。
鞍居神社(上郡町野桑)の周囲には野桑遺跡・極楽寺跡・野桑中村遺跡・野桑本村遺跡がある(兵庫県考古博物館資料による)。
またすぐ向かいの西側の山(白旗山)には、国指定史跡名勝天然記念物 赤松氏城跡、白旗城跡・感状山城跡・置塩城跡があるが直線距離で約1kmほど。
白旗城と言えば赤松則村(円心)(建治3年~正平5年/観応元年(1277~1350年))だが、この白旗城を中心とする地域は播磨国守護であった円心の拠点だった。
ちなみに白旗城は1335年頃に築城されたようだ(諸説あり)が個人的には白旗城との位置関係が気になる。
個人的には白旗城の東側の押さえだったのかもしれない(個人的見解です)。

鞍居神社(上郡町野桑)のご祭神は、神日本磐余彦命。
記録が残っておらず詳細は不明だ。

鞍居神社(上郡町野桑)へのアプローチは、兵庫県道28号上郡末広線より兵庫県道449号多賀相生線へ入り800メートルほどの場所にある。
神社前(西側)や北側には路肩に十分スペースがあるので駐車可能。

鞍居神社(上郡町野桑)は南西を向いており兵庫県道449号多賀相生線からは一段高い場所に石積みの上にあり立派な白壁で囲まれている。
石段を上がり鳥居をくぐると拝殿前の広場となる。
広場の右手よりも左手の方が広くなっている。
さらに石段を上がると拝殿となるが拝殿の前に絵馬殿というべき構造になっている。
絵馬殿の内部には数々の奉納された額があり勇ましい絵柄が多い(白旗城と関係があるのだろうか)。
拝殿は本殿との接続部が高くなっており、この構造はもうひとつの論社である鞍居神社(上郡町金出地)と同じ構造となっている。
明治14年(1881)に幣殿拝殿を再建とあるが、本殿も含めて非常に状態が良い。
紅葉の季節に訪問させていただいたので銀杏の葉で黄色い絨毯を敷き詰めたようで非常にきれいだ。

鞍居神社(上郡町野桑)と鞍居神社(上郡町金出地)は明治時代に争ったようだが結局結論は出ていないようだ。
個人的には式内社としては鞍居川に隣接する鉄の産地の金出地のほうが有力に思える、そして野桑のほうは赤松則村(円心)の白旗城の東側の押さえという成り立ちなのかもしれない。
これは個人的感想で根拠は何もないが想像するとまことに楽しい。

赤松則村(円心)の白旗城の東側の押さえだったかもしれない神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2021/11/26
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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