276-090_耳井神社

比定社:耳井神社

式内社コード:276-090
神名帳社名 :耳井神社、ミミヰノ
社    格:小
所 在 地 :668-0085 兵庫県豊岡市宮井215
Plus Code  :GQXH+PR 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「みみいじんじゃ」と読む、地名の宮井は「みやい」と読む。
宮井集落のほぼ中央部の南向け斜面の中腹に鎮座。
国道178号線の福田の交差点を西に入り兵庫県道242号辻福田線を2kmほど進む。
宮井の案内があるので北へ入り250メートルほどで橋の手前を宮井川の上流(西)へ向かう。
200メートルほどで橋があり川向う(北)に石灯籠と社標があり参道入口。
神社入り口は社標のある場所から北に100メートルほどの住宅の間にある。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

布久比神社との位置関係。

写真

宮井川にかかる橋の向こうに社標と石灯籠があり参道の入り口になっている。神社の入り口は向こうのほうの民家と民家の間。
宮井川にかかる橋の向こうに社標と石灯籠があり参道の入り口になっている。神社の入り口は向こうのほうの民家と民家の間。
右側(東)を望む。この川は宮井川、駐車場は無いので堤防の上の広い場所に停めさせていただいた。
右側(東)を望む。この川は宮井川、駐車場は無いので堤防の上の広い場所に停めさせていただいた。
正面(南)を望む。
正面(南)を望む。
左側(西)を望む。宮井集落が見えている、西に向かって谷筋になっている。中世にはこの奥に城があったようだ。
左側(西)を望む。宮井集落が見えている、西に向かって谷筋になっている。中世にはこの奥に城があったようだ。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
参道を100メートルほど進むと民家と民家の間に神社の入り口がある。
参道を100メートルほど進むと民家と民家の間に神社の入り口がある。
右側(東)を望む。
右側(東)を望む。
正面(南)を望む。宮井川から100メートルほどの未舗装の参道が続いている。
正面(南)を望む。宮井川から100メートルほどの未舗装の参道が続いている。
左側(西)を望む。周囲は宮井集落で人家と田畑。
左側(西)を望む。周囲は宮井集落で人家と田畑。
人家と人家の間の参道を徒歩で進む。生け垣が刈り込まれているのが分かる。
人家と人家の間の参道を徒歩で進む。生け垣が刈り込まれているのが分かる。
一の鳥居を望む。コンクリートの細い参道が続いている。
一の鳥居を望む。コンクリートの細い参道が続いている。
石段を登ると二の鳥居。山に入っていくような感じ。
石段を登ると二の鳥居。山に入っていくような感じ。
石段を登り二の鳥居をくぐると社務所のある広場に出る。訪問した日は嵐の後だったのか折れた枝が散乱していた。
石段を登り二の鳥居をくぐると社務所のある広場に出る。訪問した日は嵐の後だったのか折れた枝が散乱していた。
社務所はなかなかにレトロ。
社務所はなかなかにレトロ。
左側には手水鉢。太い枝が折れてしまっている。
左側には手水鉢。太い枝が折れてしまっている。
さらに石段を登ると社殿がある。木々が大きく濃い社叢、良い感じだ。
さらに石段を登ると社殿がある。木々が大きく濃い社叢、良い感じだ。
石段を登ると正面に社殿。端正な造り。
石段を登ると正面に社殿。端正な造り。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿が一体になったシンプルなもの。背後の山肌が赤い、鉄が採れていたのかもしれない。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿が一体になったシンプルなもの。背後の山肌が赤い、鉄が採れていたのかもしれない。
社殿の瓦には梅鉢のご神紋、江戸時代までは「天神社」と呼ばれていたとあるのでその影響か。社域には摂社末社が全く無い、たまにあるが珍しいことだ。
社殿の瓦には梅鉢のご神紋、江戸時代までは「天神社」と呼ばれていたとあるのでその影響か。社域には摂社末社が全く無い、たまにあるが珍しいことだ。
拝殿に掛かる扁額には式内・耳井神社とある。風雪で色あせてはいるが状態は良い。
拝殿に掛かる扁額には式内・耳井神社とある。風雪で色あせてはいるが状態は良い。
覆屋内の本殿を望む。2つの社殿があるのが分かるが詳細不明。大事にされている様子が分かる。
覆屋内の本殿を望む。2つの社殿があるのが分かるが詳細不明。大事にされている様子が分かる。
覆屋に入った本殿の左奥より正面を望む。
覆屋に入った本殿の左奥より正面を望む。
拝殿前より二の鳥居を望む。
拝殿前より二の鳥居を望む。
二の鳥居より一の鳥居を望む。参道がまっすぐ川の向こうまで続いているのが分かる。
二の鳥居より一の鳥居を望む。参道がまっすぐ川の向こうまで続いているのが分かる。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、御井神。
白鳳3年(674年、諸説あり)創祀(修正)。
明治6年(1873年)村社。

かって現在地の西南200m、神処にあった、その後現在の地に。

江戸時代までは「天神社」と呼ばれていた。

天武天皇白鳳3年6月、城崎郡郡司、物部韓国連鵠が黄沼前県主、耳井命を祀ったのに始まると伝えられる。
中世後期、この地に処つた篠部伊賀守は守護神として耳井神社を尊崇したといわれ、篠部氏は山名氏の麾下に属し、宮井集落西方の城ノ谷に城館を構えていた。

とある。


兵庫県神社庁によれば

一説によれば天武天皇白鳳3年の創祀とされ、室町頃、宮井集落西方の城ノ谷に城館を構えていた篠部伊賀守が守護神として崇敬したと云われている。

とある。


耳井神社が鎮座する当地は、奈佐川流域の奈佐谷の入り口近くにあたる。
奈佐谷は円山川西岸より南西に延びており、南側の八代川沿いからの街道と同流する形になる。
その先には大岡寺があり、その参詣道としても多くの人々が往来していたのではないだろうか。
南は佐野へ通じ、番屋峠を西へ越えると椒(はじかみ)で、そこから竹野地域や神鍋地域にも通じていた。
地理的には、円山川西岸の交通の要衝であったと思われる。

耳井神社のある当地も古くより開けていたようで、宮井には下記の古墳や遺跡がある。
光雲寺裏山古墳、谷殿古墳、北岡遺跡、宮井遺跡、宮井・栃江条里遺跡。

耳井神社の東400メートルほどには布久比神社が鎮座している。
その布久比神社の旧鎮座地が現在の耳井神社のあたりだったようだ。
耳井神社の旧鎮座地は現在地の西南200mの「神処」という場所とある。
双方の旧鎮座地もハッキリ分からないし、遷座していたとしても時期も分からない。
耳井神社と布久比神社の関係も分からない。

ご祭神は、御井神。
白鳳3年6月に城崎郡郡司の物部韓国連鵠が黄沼前県主の耳井命を祀ったとある由緒との関係は不明。
御井神を祀る神社は御井神社という名称が多い、但馬国だけでも御井神社(養父市大屋町)・御井神社(豊岡市日高町)の例がある。
思うに御井(みい)→耳井(みみい)の転訛ではないだろうか(個人的見解です)。

耳井神社へのアプローチはちょっと分かりにくいかもしれない。
国道178号線の福田の交差点を西に入り兵庫県道242号辻福田線を2kmほど進む。
宮井の案内があるので北へ入り250メートルほどで橋の手前を宮井川の上流(西)へ向かう。
200メートルほどで橋があり川向う(北)に石灯籠と社標があり参道入口がある。
この橋はクルマで渡らないほうが良いかもしれない。

社標と石灯籠の間の未舗装の参道を100メートルほど進むと集落の中を横切る道路に出る。
そのまま真っすぐ行くと民家の間の狭い道が参道で左右に刈り込まれた生け垣があるのが印象的。
しばらく進むと一の鳥居、石段を登って二の鳥居がある。
二の鳥居をくぐると右手に社務所、左手に手水鉢がある。
訪問した際には嵐の後だったようで木の枝が散乱していた。
社域には古木もあり濃い社叢で雰囲気は良い。
さらに石段を登ると社殿がある、社殿は覆屋に入った本殿のみの構成でシンプル。
覆屋は風雪で色あせているが状態は良い、ちらっと見える本殿も状態は良いようだ。
江戸時代までは「天神社」と呼ばれていたということで御神紋は梅鉢だ。

御井神を祀る地域に溶け込んだ神社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2021/9/25
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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