比定社:穴目杵神社
式内社コード:276-030
神名帳社名 :穴目杵神社、アナメキノ
社 格:小
所 在 地 :668-0861 兵庫県豊岡市大篠岡377-1
Plus Code :GVG2+RR 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「あなめきじんじゃ」と読む、地名の大篠岡は「おおしのおか」と読む。
大篠岡集落の東端の山裾に鎮座。
京都府道・兵庫県道703号永留豊岡線沿いにあるので比較的見つけやすい。
神社前に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
古社の保存・存続を考えさせられるところ。
写真
感想
由緒書はないので詳細不明。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、船帆足尼命。
由緒不詳。
文政11年(1828年)本殿再建。
明治2年(1869年)改称。
明治6年(1873年)村社。
江戸時代までは「八熊大明神」と呼ばれていた。
「崇神天皇9年7月穴目杵命黄沼前縣主となり垂仁天皇45年6月穴目杵命の子來日足尼命縣主となり穴目杵命を篠丘に葬り天武天皇3年6月城崎郡司物部韓國連久比、同命を祀る是れ帥ち當社にして延喜式の制小社に列し江戸時代八熊大明神と称し文政11年本殿覆を再建す明治2年穴目杵神社と改称し同6年10月村社に列せらる」『兵庫県神社誌』
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:船帆足尼命(フナホタラシノミコト)
崇神天皇9年(紀元前89年)7月穴目杵命黄沼前県主となり垂仁天皇45年6月穴目杵命の子来日足尼命県主となり穴目杵命を篠丘に葬り天武天皇3年(674)6月城崎郡司物部韓国連久比、同命を祀る。
是即ち当社にして延喜式の制小社に列し江戸時代八熊大明神と称し文政11年(1828)本殿覆を再建す。
明治2年(1869)穴目杵神社と改称し同6年(1873)10月村社に列せらる。
とある。
穴目杵神社が鎮座する当地は、円山川東岸のかつては川沿いであったかもしれない。
さらに六方川や円山川の水運が十分に利用できる地で但東地域や久美浜との交流も盛んだったかもしれない場所。
東に1kmほどに菓祖神「田道間守命」を祀る中嶋神社がある。
背後の三開山は標高200メートルほどの山だが但馬富士とも言われ豊岡盆地を一望に見渡すことが可能だ。
それだけに古くから重要視されていたようで、古墳があり、中世には三開山城は重要な役割を果たした。
『兵庫県神社誌』には「穴目杵命を篠丘に葬り」とあるので、これは三開山のことだろうと思う(個人的見解です)。
ご祭神の船帆足尼命は養父神社と同じ(5柱のうちのひとつ)で地方政治の神様とある。
船帆足尼命は第9代開化天皇の皇子、彦坐王の五世の孫で初代但馬国造に任命され但馬開拓の祖とされる。
穴目杵神社はご祭神や鎮座場所から、但馬の成り立ちと深く関係しているように思われる。
江戸時代までの神社名はなにかと由緒というか理由があるものだが「八熊大明神」は全く分からない。
穴目杵神社へのアプローチは、京都府道・兵庫県道703号永留豊岡線沿いに鳥居と石燈籠があるので見つけやすい。
クルマは神社前にスペースがあるので駐車させていただいた。
鳥居をくぐると緩い石段があり、少し左に曲がっている。
石段を登りきると正面に小さなお社、左に向くと社殿があり西を向いている。
かつては、社殿の正面に参道があったのかもしれない。
社殿は腰板付きの拝殿、覆屋に入った本殿、神饌所を兼ねた社務所で構成されている。
拝殿は風雪により色褪せてしまっているが状態は悪くはない。
覆屋に入った本殿の状態は良いが落書きが多い。
心配なのは、社務所のガラスが割れたままだったりして、放ったらかしになりつつあることが見て取れること。
ひょっとしたら但馬の成り立ちと深く関係しているかもしれない古社を長く存続したいものだと感じた。
但馬の成り立ちと深く関係しているかもしれない神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2021/7/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。