275-200_雷神社

比定社:雷神社

式内社コード:275-200
神名帳社名 :雷神社、イカツチ
社    格:名神大
所 在 地 :668-0062 兵庫県豊岡市佐野542-2
Plus Code  :GR75+2P 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いかずちじんじゃ」と読む、地名の佐野は「さの」と読む。
佐野集落の北西の山頂に鎮座。
国道312号線より兵庫県道50号但馬空港線に入り山陰本線を越え上佐野の交差点より川沿いの道を北へ進むと鳥居がある。
鳥居より徒歩で15分ほど山を登ると社殿のある場所に到着。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境4】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩3】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

山頂に鎮座し雷と関係があること。

写真

雷神社を正面より望む。山の頂上の社域には鳥居は無い。
雷神社を正面より望む。山の頂上の社域には鳥居は無い。
右側(東)を望む。南側の鳥居をくぐり上がってくるルート以外に、佐野集落の東側より登ってくる道。簡易舗装されている。
右側(東)を望む。南側の鳥居をくぐり上がってくるルート以外に、佐野集落の東側より登ってくる道。簡易舗装されている。
正面(南)を望む。南側の鳥居をくぐり登ってくるとこの方向から登ってくることになる。
正面(南)を望む。南側の鳥居をくぐり登ってくるとこの方向から登ってくることになる。
社域を右側より望む。低い石積みがあり石段がある。かつてはたくさんの建物があったと思われる。
社域を右側より望む。低い石積みがあり石段がある。かつてはたくさんの建物があったと思われる。
明暦2年(1656年)建築の本殿は兵庫県指定文化財。
明暦2年(1656年)建築の本殿は兵庫県指定文化財。
石段を登ると左に参集殿のような建物、正面に小さな山門と社殿。
石段を登ると左に参集殿のような建物、正面に小さな山門と社殿。
山門をくぐると拝殿。非常に大きくて立派、装飾がまったくない建物。少々お寺のような雰囲気がある。
山門をくぐると拝殿。非常に大きくて立派、装飾がまったくない建物。少々お寺のような雰囲気がある。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿の扁額には雷神社とある。
拝殿の扁額には雷神社とある。
神社謹製の由緒書。創立年代は不詳、慶雲3年(706年)幣帛に預かるとある。かなり古いみたいだ。
神社謹製の由緒書。創立年代は不詳、慶雲3年(706年)幣帛に預かるとある。かなり古いみたいだ。
神社謹製のご祭神説明書。お田植祭の際の歌詞が記録されている。
神社謹製のご祭神説明書。お田植祭の際の歌詞が記録されている。
拝殿後ろの本殿を望む。カチッとした石積みの上にあり桧皮葺だ。
拝殿後ろの本殿を望む。カチッとした石積みの上にあり桧皮葺だ。
本殿を右側より望む。本殿は明暦2年(1656年)で棟札が残り兵庫県指定文化財となっている。梅鉢のご神紋が付く。
本殿を右側より望む。本殿は明暦2年(1656年)で棟札が残り兵庫県指定文化財となっている。梅鉢のご神紋が付く。
本殿を左側より望む。残念ながら雪よけネットのため近くで見ることができない。
本殿を左側より望む。残念ながら雪よけネットのため近くで見ることができない。
拝殿と本殿を左側より望む。周囲は鬱蒼とした社叢となっている。木々は植林となっていて巨木等はあまり無いようだ。
拝殿と本殿を左側より望む。周囲は鬱蒼とした社叢となっている。木々は植林となっていて巨木等はあまり無いようだ。
石燈籠には文化十三年とある。
石燈籠には文化十三年とある。
拝殿より山門を望む。
拝殿より山門を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

雷神社由緒
創立年月不詳なれど、文武天皇慶雲三年丹波但馬の國に山災ありしかば勅使を差遣され幣帛を奉しむ。
承和九年官社に預かる。
後延喜式の制名神大社列せらる。
村上天皇の御代勅使門を建て勅使を迎え御田植え舞を奉納す。光明院康永二年杉原伯耆守本殿を修理石高七斗二升五合他に田山林を寄進す。明暦二年五味備前守向拝を付し本殿を再築し万治元年鳥居を現在地に移築す。
昭和八年五月修復工事完了。
昭和四十三年三月兵庫縣重要文化財指定さる。

とある。


神社謹製のご祭神説明書によると

雷神社御祭神
 大雷神
 須佐之男神
 菅原道真
歌詞 お田植祭
とんとんとんぎす お
んのがさいて おんの
はとるな おんのはき
のとや おんのはきの
と みつばがさいて
よつばになりて おん
のがさかよの かわぎ
しの めじろのやなぎ
 れて とよの
あらわれて いつかわど
のの まくらさだめよ

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大雷神、(配祀)須佐之男命・菅原道真。

創立年代は不詳。
慶雲3年(706年)幣帛に預かる。
承和9年(842年)官社に預かる。
貞観10年(868年)従五位下。
延喜21年(921年)勅使差遣(修正)。
康永2年(1343年)杉原伯書守本殿修理。
慶安5年(1652年)領主杉原伯耆守寄進。
万治元年(1658年)領主杉原伯耆守鳥居を天神山麓に移す(追加)。
明暦2年(1656年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治26年(1893年)上佐野村須賀神社を合祀(追加)。

江戸時代までは「天神」と呼ばれていた。

この地一帯がいつしか「八條」と呼ばれる様になり、当社が里界線の基点となつたらしい。
神仏習合は従来全く見られない。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:大雷神(オホイカツチノカミ)。
配祀神:須佐之男命(スサノオノミコト)・菅原道真(スガワラノミチザネ)。

創立年月不詳。
文武天皇慶雲3年(706)丹波但馬の2国に山災ありしかば勅使を遣して神祇に幣帛を奉らしめ給いし時、当社も亦其の幣帛に預りしものなるべし。
仁明天皇承和9年(842)官社に預り、清和天皇貞観10年(868)従5位上の進階あり。延喜式の制名神大となり醍醐天皇延喜22年(922)勅使の差遣ありと伝う。
村上天皇の御代又特使の発遣ありしかば勅使門を立つ其の故に4月朔日の田植式に勅使の参拝ありしとの口碑あり。
光明院康永2年(1343)杉原白耆守本殿階段を修理し且つ本殿覆を建立す。江戸時代明暦2年(1656)五味備前守本殿流造檜皮葺向拝を附して再築し、万治元年(1658)同人は荒神山岬にありし鳥居を天神山麓に移す。之より先、慶安5年(1652)領主杉原白耆守石高7斗2升5合、外に田及び山林を寄進せり。
明治維新後氏子の気多郡に属せる上佐野村を須賀神社氏子とし明治6年(1873)10月村社に列せらる。同26年(1893)上佐野村須賀神社を合祀して先に分離せる氏子の復旧を見たり。

とある。


ご祭神の大雷神は文字通り雷(かみなり)の神さま、黄泉の国で伊邪那美命より生まれた神々のひとつだ。
配祀神の菅原道真についても雷と関連がある。
山の頂上に雷の神さまを祀っていて非常に興味深い。

気多郡の名神大社4社(山神社・戸神社・雷神社・㯮椒神社)のうちのひとつ。
なぜこの4社が気多郡の中で名神大社なのか、どうにも分からない。
時の朝廷がこの地方の土着の神に敬意を払ったということなのだろうか。
それともよほど重要な役割を果たしていたのだろうか、雷を鎮めようとしたのだろうか不明だ…。

気多郡の名神大社4社をGoogle Mapにプロットしたもの。赤丸の白抜き星印がその位置。こうして見ると特に集中しているということでも無い。
気多郡の名神大社4社をGoogle Mapにプロットしたもの。赤丸の白抜き星印がその位置。こうして見ると特に集中しているということでも無い。

雷神社へのアプローチは、国道312号線より兵庫県道50号但馬空港線に入り、山陰本線を越え上佐野の交差点より川沿いの道を北へ進むと突き当りに鳥居がある。
この鳥居より徒歩で社殿のある場所まで15分ほど参道を登ることになる。
駐車場は無いので注意。

このルートと別のルートもある。
佐野集落の東側の川沿いの道を進むと簡易舗装の林道があり、社殿のある場所までクルマで登ることもできる。
訪問の際にはこちらからクルマでアプローチした。

雷神社の社殿のある場所は、山の山頂にありフラットな形状をしている。
これは山を削ったものか、最初からフラットだったのかは分からないがかなり広い場所だ。
参道を徒歩で登ると社殿の正面に到着する。
左手に参集殿のような建物があり、正面に小さな端と小さな門がある。

小さな門をくぐると大きな拝殿があり、装飾がまったく無いので非常に質実剛健な印象を受ける。
社殿の造営で記録に残るのは明暦2年(1656年)で棟札が残っているようだ、本殿は兵庫県指定文化財となっている。
本殿も拝殿同様大きくて桧皮葺となっている。
残念ながら本殿は雪よけのネットが張ってあり近くで見ることができない。
本殿の石積みがカッチリしていて印象的。
狛犬や石燈籠は江戸時代のものが多く残り、古くからここに鎮座していることが分かる。

社域は全体的にごちゃごちゃしていて、神社と寺院が同居しているような印象を受ける。
たぶん、かつては神護寺が併設されていたのではないだろうか(個人的見解です)。
参集殿のような建物の前には、石積みがあり東側にも石段が作ってある。
頂上から少し下がった場所にいくつかフラットな場所があるので、かつてはたくさんの建物があったのではないだろうか。

山の頂上にある雷と関係の濃い名神大社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/11/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100