261-180_大井神社(亀岡市大井町)

比定社:大井神社(亀岡市大井町)

式内社コード:261-180
神名帳社名 :大井神社、オホヰノ
社    格:小
所 在 地 :621-0013 京都府亀岡市大井町並河1丁目3-25
Plus Code  :2HJ4+JQ 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

JR並河駅の東側の大井小学校東側に鎮座。
南東へ170メートルほど未舗装の参道が続いている。
周辺は田畑と人家、小学校もある、社域はかなり広く社殿もかなり多い。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

長い参道をはじめとする神社と周囲の関係。

写真

大井神社を正面より望む。大きな社標には大井神社とあるのみ。
大井神社を正面より望む。大きな社標には大井神社とあるのみ。
神社の前は未舗装の道路となっている。
神社の前は未舗装の道路となっている。
正面が南東へ伸びている170メートルほどの参道。周囲は田畑で広々としている。
正面が南東へ伸びている170メートルほどの参道。周囲は田畑で広々としている。
鳥居をくぐると拝殿の正面の広場。
鳥居をくぐると拝殿の正面の広場。
広場の右手には社務所と授与所がある。
広場の右手には社務所と授与所がある。
広場の左手(南)にも入口があり橋を渡るようになっている。
広場の左手(南)にも入口があり橋を渡るようになっている。
舞殿を正面より望む。舞殿の向こうに拝殿、その向こうに覆屋に入った本殿がある。右手には休憩所がある。
舞殿を正面より望む。舞殿の向こうに拝殿、その向こうに覆屋に入った本殿がある。右手には休憩所がある。
拝殿を望む。非常にきれい。
拝殿を望む。非常にきれい。
本殿と舞殿の間に屋根がかかっていてその下に拝殿がある。その拝殿を含めて垣でぐるっと囲ってある。覆屋は一部ガラス張り。
本殿と舞殿の間に屋根がかかっていてその下に拝殿がある。その拝殿を含めて垣でぐるっと囲ってある。覆屋は一部ガラス張り。
ガラス越しに本殿をパチリ。非常にきれい。
ガラス越しに本殿をパチリ。非常にきれい。
覆屋に入った本殿を後ろ側より望む。本殿は天正12年(1584年)豊臣秀吉が再興し、平成21年(2009年)に修復。
覆屋に入った本殿を後ろ側より望む。本殿は天正12年(1584年)豊臣秀吉が再興し、平成21年(2009年)に修復。
神社謹製の概要。競馬が行われていたとある。
神社謹製の概要。競馬が行われていたとある。
神社謹製の御祭神の説明。ご祭神は月読命、市杵島姫命、木股命。
神社謹製の御祭神の説明。ご祭神は月読命、市杵島姫命、木股命。
蔵の前に積まれた樽酒。鎮座1300年とある。
蔵の前に積まれた樽酒。鎮座1300年とある。
授与所。
授与所。
鳥居より東の方角を望む。まわりはほとんど田畑で広々。鳥居には元禄年間とある。
鳥居より東の方角を望む。まわりはほとんど田畑で広々。鳥居には元禄年間とある。

感想

神社謹製の概要書によると

大井神社の概要
祭神 木股命 月読命 市杵島姫命
社殿 元明天皇の御宇和銅三年(紀元七一〇年)に創建された
由来 一神は出雲より來り給うも二神が松尾大社から亀に乗り急流に至りて鯉に乗り移り大堰川を沂らせ給いて當地に鎮座された
社格 明治六年郷社に明治十年延喜式内神社に又明治四十年神饌幣帛料供進神社に指定された
祭礼 八月十九日夏祭(花祭)
   夜の祭であって各地区より立花を又氏子有志は生花を境内では盆踊を行い夜遅く迄賑わう
   十月十六日秋祭(例祭)
   祭神は神輿に移らせ給い稚児楽人神職總代並びに武者姿の人達が多数供奉し氏子中を神幸さん又神社の馬場に於ては武者姿の氏子達が競馬を行い終日賑わう尚此の競馬は清和天皇の御宇貞観八年(紀元八六六年)に始めて許され以後續いて居る
昭和四十三年(紀元一九六八年)記

とある。

神社謹製の説明書によると

御祭神
月読命(つきよみのみこと)
 天照大御神、建速須佐之男命とともに、三貴子として崇められ、黄泉国から帰りし伊邪那岐大神が禊祓をした時に成りませる神。月・夜を掌る神。農耕の神。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 多紀理姫命、多岐都姫命とともに、宗像三女神として崇められ、建速須佐之男命の伊吹の狭霧に成りませる神。市の神。海・航海安全の神。交通安全の神。
木股命(きのまたのみこと) 別名 御井神(みいのかみ)
 大国主命と妻・八上比売命の間に生まれ給うたが、樹の三又挟んでおかれたことにより木股命という。後に諸処に井戸を掘って民利を興した功績により御井神と称する。木の神。井戸の神。
 なお、全国に御井神を祀る神社はあるが、木股命として祀る神社は当社のみと伝えられている。
社格
 明治六年    郷社公定
 明治十年六月  延喜式内神社 公認
 明治四十年三月 神饌幣帛料供進神社 指定
社殿
 以前の本殿は、天正四年(一五七六)に兵火に罹り、天正十二年(一五八三)に豊臣秀頼によって再興された由緒ある建物であったが、四百二十余年の年月によって老朽化が激しく進み、平成二十二年の当神社御鎮座壱千参百年記念事業として氏子崇敬者の御奉賛により全面修復工事を実施した。(平成二十一年十月竣工)
大井神社

とある。

神社謹製の由緒書によると

大井神社(大井町並河)
和銅三年(七一〇)の創建、光秀の兵火で焼失した社殿を天正一二年(一五八四)秀吉が片桐且元を奉行として再建せしめたものという。
祭神は御井神、月読神、市杵島姫命で、伝説によると御井神(木俣神)が市杵島姫命と洛西松尾大社から神使の亀に乗って大堰川を遡上されたが、保津の急流が乗り切れなかったので、鯉に乗りかえて、ここ大井に上陸して鎮座されたということである。
爲に当社の氏子は鯉を尊び、食用は勿論、捕えることも禁じ五月の節句に鯉のぼりもあげない風習が続いている。十月十六日の例祭には古く貞観八年(八六六)に始まったという勇壮な競馬が当社の馬場で武者姿の氏子により奉納される。

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
和銅3年(710年)創建。
貞観8年(866年)競馬が許される。
天正4年(1576年)明智光秀の兵火で焼失。
天正12年(1584年)秀吉が片桐且元を奉行として再建。
明治6年(1873年)郷社。
明治10年(1877年)延喜式内社に認定。
明治40年(1907年)神饌幣帛料供進神社指定。

現在の社域が非常に興味深い。
神社の周辺は基本田畑なのだが、未舗装の参道や駐車場が広々と確保してあり、これが良い雰囲気を出している。
実際の社域は、田畑も含めて広大なのかもしれない。

平成21年(2009年)に修復が行われたことで、社殿は非常にきれいな状態。
舞殿には、多数の奉納提灯があり、近隣の尊崇が厚いことが分かる(企業が多い)。
本殿と舞殿の間に屋根がかかっていて、その下に拝殿がある。
その拝殿を含めて、垣でぐるっと囲ってある。
本殿は覆屋に入っており、一部ガラス張りだがよく見えないのが残念。

非常に神社らしい神社で気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/3/10
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3