275-130_高負神社

比定社:高負神社

式内社コード:275-130
神名帳社名 :高負神社、タカフノ/タカオヒノ
社    格:小
所 在 地 :669-5344 兵庫県豊岡市日高町夏栗116-1
Plus Code  :FPCW+MF 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「たこうじんじゃ」と読む、地名の夏栗は「なつくり」と読む。
夏栗集落の北の秋葉山(224m)の頂上に鎮座。
最もアプローチが険しい神社のひとつ。
4WD車でないとアプローチ林道がクリアできない。
夏栗集落の東側の林道よりアプローチするが途中に獣避けフェンスがある。
距離にして1.2kmほど林道を登るが傾斜きつく未舗装のため4WD車のみ。
天候や季節により通行不可の場合もあり。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境5】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通5】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索5】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

非常に厳しいアプローチ。
山の頂上に鎮座するロケーション。

写真

2021年5月に訪問した際は倒木でアプローチ林道が通行不可だった。式内社では最も厳しいアプローチの神社のひとつ。
2021年5月に訪問した際は倒木でアプローチ林道が通行不可だった。式内社では最も厳しいアプローチの神社のひとつ。
夏栗集落からはこんな感じの道路を上ってくる。途中に獣避けフェンスがあるので開けたら必ず閉めること。
夏栗集落からはこんな感じの道路を上ってくる。途中に獣避けフェンスがあるので開けたら必ず閉めること。
林道を登り始めるとすぐに未舗装になる。道幅が狭く急勾配なので細心の注意を。
林道を登り始めるとすぐに未舗装になる。道幅が狭く急勾配なので細心の注意を。
次第に林道は険しくなり山に分け入るという感じになる。
次第に林道は険しくなり山に分け入るという感じになる。
場所によっては傾斜がきつく狭い場所があり林道の状態によっては4WDでないと登れない場合もある。
場所によっては傾斜がきつく狭い場所があり林道の状態によっては4WDでないと登れない場合もある。
林道を登りきると行き止まりになりちょっとした広場がある。
林道の行き止まりより振り返ると登ってきた林道が見える。距離は1.2kmほどだがなかなか険しい。
林道の行き止まりより振り返ると登ってきた林道が見える。距離は1.2kmほどだがなかなか険しい。
林道の終点からは徒歩で少し歩くと社殿のある場所に行ける。
林道の終点からは徒歩で少し歩くと社殿のある場所に行ける。
社殿の左後ろからという形になる。徒歩での参道はよく分からなかった。
社殿の左後ろからという形になる。徒歩での参道はよく分からなかった。
拝殿を正面より望む。社殿のある場所は木々が切り開かれており明るく日が差し込むようになっている。大きな木が多く、古くからここに鎮座していることが分かる。
拝殿を正面より望む。社殿のある場所は木々が切り開かれており明るく日が差し込むようになっている。大きな木が多く、古くからここに鎮座していることが分かる。
拝殿を正面より望む。こんな山奥なのにきれいに保たれており社殿も立派なことにビックリ。
拝殿を正面より望む。こんな山奥なのにきれいに保たれており社殿も立派なことにビックリ。
拝殿の右側を望む。
拝殿の右側を望む。
拝殿の左側を望む。
拝殿の左側を望む。
拝殿を右側より望む。
拝殿を右側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿の扁額には白山権現とある。
拝殿の扁額には白山権現とある。
拝殿内部を望む。本殿は良い状態に見える。内部は非常にきれいに保たれている。
拝殿内部を望む。本殿は良い状態に見える。内部は非常にきれいに保たれている。
拝殿と覆屋に入った本殿を望む。石組みが良い感じ、江戸時代くらいの石組みだろうと思う。
拝殿と覆屋に入った本殿を望む。石組みが良い感じ、江戸時代くらいの石組みだろうと思う。
覆屋に入った本殿を右後ろから望む。
覆屋に入った本殿を右後ろから望む。
拝殿と覆屋に入った本殿を左側より望む。
拝殿と覆屋に入った本殿を左側より望む。
拝殿前を左側より望む。石燈籠がたくさんある。
拝殿前を左側より望む。石燈籠がたくさんある。
石燈籠には文化四年(1807年)とある。
石燈籠には文化四年(1807年)とある。
拝殿より正面を望む。本来は2本の杉の木の間の参道でアプローチするのだろう。
拝殿より正面を望む。本来は2本の杉の木の間の参道でアプローチするのだろう。
本来の参道はこんな感じ、登山道そのものだ。このあたりはクマにも注意が必要。
本来の参道はこんな感じ、登山道そのものだ。このあたりはクマにも注意が必要。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、白山比売命・菊理比売命。
 また次の説もあるようだ。
  『日高町郷土史』矢集連高負命
  『神社覈録』武生宿禰
朱鳥3年(688年)高負の神を高田の丘に祀る。
寛文3年(1663年)白山比売命・菊々理比売命を白山より勧請。
明治3年(1870年)高負神社と復称。
明治6年(1873年)村社。
明治8年(1875年)女人参拝禁止を廃止。
江戸時代までは「白山大権現」「白山神社」と呼ばれていた。

標高224mの秋葉山山上に立地する。
中世には両部神道となつて高負の社号を改め、白山神社、白山権現と称した。
明治3年以後は神仏分離によつて高負神社と復称されるようになる。
明治6年村社に列せられ、明治8年女人参拝禁止を廃止する。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:白山比売命(シラヤマヒメノミコト)
配祀神:菊々理比売命(クシリヒメノミコト)
創立年月不詳。
延喜式の制小社に列し、中古白山大権現と称せしも明治3年(1870)高負神社と復称して遷宮を行い、同6年(1873)10月村社に列し同8年(1875)女人参詣禁止の風習を廃したり。

とある。


ご祭神に白山比売命・菊理比売命とあるが、菊理媛神(くくりひめのかみ)と白山比咩神(しらやまひめのかみ)は同一神とされる。
高負神社は寛文3年(1663年)に白山を勧請したとある。
それ以降「白山大権現」「白山神社」と呼ばれていたと思われる。
高負神社の白山信仰はこの山に登拝することが目的だったのだろう。
ただ、鎮座する山が白山ではなく秋葉山ということもあり、少し不思議な感じではある。

では、白山が勧請される前はどんな神さまが祀られていたのだろうか?、詳細は不明だ。

高負神社へのアプローチは、今までで最も厳しく分かりにくいもののひとつだ。
実は高負神社へは何度も行こうとしていたが、そのアプローチ道路がどこなのか分からずに諦めていた。
2021年5月に訪ねた際には、アプローチ道路は分かったが、嵐による倒木で通行できない状態だった。
せっかく来たのだからと徒歩でのアプローチを目指したのだが林道の状態が悪くて諦めていた。
2021年9月に訪ねたら倒木で埋め尽くされていた林道はきれいに整備されていた。

夏栗集落の東側からアプローチするが道が分かりづらい。
人家を過ぎると農道のような雰囲気、さらに進むと未舗装になる。
林道自体は距離にして1.2kmほどで長くない、だが狭く急勾配で状態が悪いと登れないかもしれない、クロカンタイプの4WD車なら安心だ。
林道の行き止まりまで行くと駐車できるスペースがある、どうもこの林道は高負神社専用のようだ。
くれぐれも、山深いのでクマにも林道にも注意していただきたい。

歩いてアプローチする参道があるようなのだが、集落のどこから入るのか分からない。
到達するのが難しい神社。

林道の終点から少し歩いて社殿の後ろ側よりアプローチする。
実はこんな山の中なので小さな祠があるだけだろうと思っていた。
だが、実際には非常に立派な社殿でビックリした。
さらに手入れが行き届き非常にきれいで良い状態を保っていることにも驚いた。
たぶん毎日手入れされている方がいらっしゃるのだろうと思う、頭の下がる思いだ。

社殿は拝殿と覆屋が合体した形式でかなり大きい、建築時期は不明だが状態は良い。
覆屋に入った本殿の石積みが古さを感じさせる。

どこまで社域なのか不明だが、確かに山の頂上に鎮座していて周囲はかなり大きな木もある。
社殿のまわりは切り開かれていて、そこだけポッカリと空間が空いているような感じ。

北陸の本家の白山は明治6年(1873年)に女人禁制が解かれたようだ。
その影響もあり、高負神社も明治8年(1875年)に女人参拝禁止を廃止したのだろう。

四駆じゃないと行けない厳しい山の頂上にある神社。

注意点

獣避けフェンスは開けたら必ず閉めること。
山深いのでクマに注意。
険しい林道なので注意。

訪問ノート

訪問日 :2021/9/25、2021/5/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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