275-080_日置神社(豊岡市日高町)

比定社:日置神社(豊岡市日高町)

式内社コード:275-080
神名帳社名 :日置神社、ヒオキノ/ヒキ
社    格:小
所 在 地 :669-5311 兵庫県豊岡市日高町日置14
Plus Code  :FQ8M+M2 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「ひおきじんじゃ」と読む。
日置集落の南の山裾に鎮座。
国道482号線より日置橋にて円山川を渡る左カーブの途中に右側(南)に神社入口がある。
日置は南へ続く谷筋となっており谷の入口にある。
周辺に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

日置部との関係。

写真

日置神社を正面より望む。住宅と田畑の間を入っていくと一の鳥居がある。
日置神社を正面より望む。住宅と田畑の間を入っていくと一の鳥居がある。
日置橋を渡って左カーブの右側に入口がある。クルマは邪魔にならないように駐車させていただいた。
日置橋を渡って左カーブの右側に入口がある。クルマは邪魔にならないように駐車させていただいた。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
一の鳥居をくぐると二の鳥居がある。扁額には日置神社とある。左手に倉庫のような建物。参道は右に曲がり石段を登ると社殿のある場所に出る。
一の鳥居をくぐると二の鳥居がある。扁額には日置神社とある。左手に倉庫のような建物。参道は右に曲がり石段を登ると社殿のある場所に出る。
石段を登ると社殿がある。社殿の右側より登ってきたような形となる。
石段を登ると社殿がある。社殿の右側より登ってきたような形となる。
社殿を左側より望む。石段を登ると右手の石燈籠のところから入ってくる形になる。
社殿を左側より望む。石段を登ると右手の石燈籠のところから入ってくる形になる。
社殿を右側より望む。周囲は鬱蒼とした山林で大きな木も散見される。拝殿はフルオープンな形式。
社殿を右側より望む。周囲は鬱蒼とした山林で大きな木も散見される。拝殿はフルオープンな形式。
拝殿より覆屋に入った本殿を望む。拝殿にはご神紋の子持ち割り柊が掛かっている。
拝殿より覆屋に入った本殿を望む。拝殿にはご神紋の子持ち割り柊が掛かっている。
覆屋に入った本殿を右側より望む。拝殿とは回廊で繋がっている。明治40年(1907年)の建築だと思われる。残念ながら本殿は見れなかった。
覆屋に入った本殿を右側より望む。拝殿とは回廊で繋がっている。明治40年(1907年)の建築だと思われる。残念ながら本殿は見れなかった。
社殿の前には参集殿のような建物がある。こちらは新しい。
社殿の前には参集殿のような建物がある。こちらは新しい。
石段より二の鳥居を望む。御覧のように参道が90度に曲がっている。
石段より二の鳥居を望む。御覧のように参道が90度に曲がっている。
参道が曲がっている場所にある手水舎。
参道が曲がっている場所にある手水舎。
手水舎の横から二の鳥居を望む。
手水舎の横から二の鳥居を望む。
二の鳥居より一の鳥居を望む。
二の鳥居より一の鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、天櫛耳命。
創立年月不詳。
文政5年(1822年)造営。
明治3年(1870年)旧称に復す。
明治6年(1873年)村社。
明治40年(1907年)造営
江戸時代までは「槙尾大明神社」と呼ばれていた。
創祀は不詳ではあるが、古くは槙尾神社、巻尾大明神、梶尾宮とも称されていた。
神社の眼下の日置の集落は、円山川に注ぐ向日置川が埋積され形成された小さな谷底平野上に位置している。
古い時代から開発されていた可能性を示す地域である。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:天櫛耳命(アメノクシミミノミコト)
創祀は不詳ではあるが、古くは槙尾神社、巻尾大明神、梶尾宮とも称されていた。

とある。


ご祭神の天櫛耳命は、別名として太玉命の呼び名を持つ神さまで占いや祭祀を司ったという。
布刀玉命(フトダマノミコト)
太玉命(フトダマノミコト)
天太玉命(アメノフトダマノミコト)
忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。

日高町日置という地域は、円山川をまたいで北はJR山陰本線の江原駅まで、南は谷筋に沿って進美寺(しんめいじ)までを含んだ南北に細長い谷筋の地域。
川をまたがってというのは珍しい。
古くは「へき」と称し、古代日置部の住地だった。
日置部と天櫛耳命との関係はよく分からない。

進美寺山(しんめいじさん)の山頂にある慶雲2年(705年)創建の古刹である進美寺(しんめいじ)が日置に含まれるのは偶然なのだろうか、気になるところ。
進美寺は養父/気多郡内に広大な寺領を有した有力寺院、源氏との関係も深く「但馬の鎌倉幕府御祈祷所」と言われていたようだ。

日置神社へのアプローチは国道482号線より日置橋にて円山川を渡る。
そのまま進むと左カーブの途中の右側(南)に神社入口があるのですぐに分かる。
クルマを駐車するスペースが無いので神社前の邪魔にならない場所か道に駐車するしかない。

住宅の横を入っていくと鳥居がある。
鳥居をくぐると倉庫のような建物の前を通り手水舎がある。
その先で右へ折れ石段となり登ると広場があり社殿の横から入る形になる。
社殿はフルオープンの拝殿と本殿から構成されていて、本殿は覆屋に入っている。
拝殿と覆屋に入った本殿は、明治40年(1907年)の建築だと思われる。
社殿の正面には参集殿のような建物があり、こちらは比較的新しいようだ。

社域は広くはないが大きな木が多く古くからここに鎮座していることが分かる。
たいへんきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。

天櫛耳命を祀るが日置部との関係がよく分からない神社。

注意点

駐車場が無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/11/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100