261-200_與能神社

比定社:與能神社

式内社コード:261-200
神名帳社名:与能神社、ヨノノ
社格:小
所在地:621-0023 京都府亀岡市曽我部町寺蛇谷1
plus code:XGMW+2V 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

よのじんじゃと読む。
京都府道407号東掛小林線沿いの曽我部町の集落の西山裾に鎮座。
北へ550メートルほどのところに御旅所がある。
この神社も曽我谷川の流域にある、曽我谷川の流域は式内社が数多くある、よほど重要な地域だったのだろうと想像できる。
緑が多く雰囲気が良い、拝殿前の中央に石灯籠があり非常に珍しい配置。
社域には多くの社が集まっており周辺からの信仰が厚いのが伺える。
駐車場はないので注意。

ハイライト

緑が多い社域。
拝殿前の真ん前にある石灯籠。

写真

與能神社を正面から望む。古社らしい渋い雰囲気があり緑が濃い。神社自体は西を向いている。
與能神社を正面から望む。古社らしい渋い雰囲気があり緑が濃い。神社自体は西を向いている。
社標には郷社とある。
社標には郷社とある。
神社謹製の由緒書。奈良時代に四道将軍丹波道主命を祀った与能神宮寺が起源とある。
神社謹製の由緒書。奈良時代に四道将軍丹波道主命を祀った与能神宮寺が起源とある。
野趣あふれる手水鉢もある。
野趣あふれる手水鉢もある。
手水舎。
手水舎。
たぶん拝殿だと思われる社殿。非常にシンプルな形状だ。
たぶん拝殿だと思われる社殿。非常にシンプルな形状だ。
拝殿の後ろには本殿が一直線にならぶレイアウト。
拝殿の後ろには本殿が一直線にならぶレイアウト。
拝殿からは1段上がって本殿がある。左右に休憩所のようなかんたんな建物がある。
拝殿からは1段上がって本殿がある。左右に休憩所のようなかんたんな建物がある。
本殿の真正面に石灯籠があり珍しいレイアウトを取る。
本殿の真正面に石灯籠があり珍しいレイアウトを取る。
本殿は立派で大きいがお寺のような造りをしている。
本殿は立派で大きいがお寺のような造りをしている。
そもそもの成り立ちと関係があるのかもしれない。
そもそもの成り立ちと関係があるのかもしれない。
拝殿より鳥居を望む。鳥居の向こうはすぐ京都府道407号東掛小林線となる。
拝殿より鳥居を望む。鳥居の向こうはすぐ京都府道407号東掛小林線となる。

感想

由緒書によると
諸国鎮座神秘抄によると奈良時代に四道将軍丹波道主命を国家の平和鎮護の為祀った与能神宮寺が起源とされ。
現御旅所を中心に曼荼羅堂、講堂等寺区全域に伽藍を誇り、皇室の崇敬篤く口丹波南部の中心として隆盛をきわめたが鎌倉時代以後兵火にあい焼失した。
また谿端與能宮旧記によると、空海が嵯峨天皇の命により神宮寺を開き奥院露堂で護摩修行を行い、後嵯峨天皇の代に村山、与能など八庄を神領として寄進を受けたとされる。
棟札によると社殿が文応元年(西暦1260年)に建立され、慶長元年(西暦1596年)に地震により倒壊し、同八年に再建されたことがわかる。現在の本殿は正徳四年(西暦1714年)に改修されたものと考えられる。
境内には応永二十一年(西暦1414年)の銘のある 石灯籠がある。
とある

私見だが、神宮寺が式内社よりも先というパターンがあるのだなとビックリした次第。
延喜式神名帳が作られた時代には、すでに仏教が広く信仰され、かつ神と仏の習合が進んでいたということなのだろう。
これがもし本当なら歴史観を改めなければならないかもしれないと思う。

谷の西側を流れる曽我谷川の流域にある式内社のひとつ。
曽我という名前も気になるが、曽我谷川自体がかなり重要な役割を果たしていたとも考えられる。

よく手入れされていて清々しい印象、訪問当日も近所の方による掃除の日だった、気持ちよく参拝できる、

注意点

駐車場はないので注意。

訪問ノート

訪問日:2018/5/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ:DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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