274-170_(論)安牟加神社(豊岡市但東町虫生)

比定社:(論)安牟加神社(豊岡市但東町虫生)

式内社コード:274-170
神名帳社名 :阿牟加神社、アムカノ
社    格:小
所 在 地 :668-0344 兵庫県豊岡市但東町虫生267
Plus Code  :G264+HM 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「あむかじんじゃ」と読む、地名の虫生は「むしゅう」と読む。
虫生集落の東の外れの小高い丘に鎮座。
京都府道・兵庫県道2号宮津養父線沿いに「安牟加神社農村歌舞伎舞台」という看板が出ているので見つけやすい。
神社の奥に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

イロイロ工夫のある農村歌舞伎舞台。

写真

京都府道・兵庫県道2号宮津養父線沿いに「安牟加神社農村歌舞伎舞台」という看板があるので見つけやすい。
京都府道・兵庫県道2号宮津養父線沿いに「安牟加神社農村歌舞伎舞台」という看板があるので見つけやすい。
右側(東)を望む。この道は京都府道・兵庫県道2号宮津養父線、この方向は岩屋峠を越えて与謝野町方面。
右側(東)を望む。この道は京都府道・兵庫県道2号宮津養父線、この方向は岩屋峠を越えて与謝野町方面。
左側(西)を望む。この道は京都府道・兵庫県道2号宮津養父線、この方向は国道482号線方面。
左側(西)を望む。この道は京都府道・兵庫県道2号宮津養父線、この方向は国道482号線方面。
神社の左横に駐車スペースがある。
神社の左横に駐車スペースがある。
但東町教育委員会謹製の由緒書。農村歌舞伎舞台は兵庫県指定文化財となっている。舞台の説明は詳しいが、肝心の神社自体の説明は全く無い…。
但東町教育委員会謹製の由緒書。農村歌舞伎舞台は兵庫県指定文化財となっている。舞台の説明は詳しいが、肝心の神社自体の説明は全く無い…。
社標には式内とある。石段と鳥居の写真を撮るのを忘れた、トホホ。
社標には式内とある。石段と鳥居の写真を撮るのを忘れた、トホホ。
石段を登って鳥居をくぐると広場がある。
石段を登って鳥居をくぐると広場がある。
拝殿を正面より望む。非常にシンプルな建物だ。
拝殿を正面より望む。非常にシンプルな建物だ。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿の扁額には、式内・安牟加神社とある。
拝殿の扁額には、式内・安牟加神社とある。
拝殿内部を望む。こちらの扁額には安牟加神社・箱宮大明神とあり、箱宮大明神のほうが字が大きい。昔はこの名前で呼ばれていたのだろうか。
拝殿内部を望む。こちらの扁額には安牟加神社・箱宮大明神とあり、箱宮大明神のほうが字が大きい。昔はこの名前で呼ばれていたのだろうか。
拝殿と本殿を右側より望む。
拝殿と本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。享保16年(1731年)に建築されたとある、風雪で色が褪せている。
本殿を右側より望む。享保16年(1731年)に建築されたとある、風雪で色が褪せている。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
拝殿横より農村歌舞伎舞台を望む。
拝殿横より農村歌舞伎舞台を望む。
農村歌舞伎舞台を正面より望む。一見ボロい建物に見えるが様々な工夫があり面白い。当時の舞台演出の最先端だったのだろうか。
農村歌舞伎舞台を正面より望む。一見ボロい建物に見えるが様々な工夫があり面白い。当時の舞台演出の最先端だったのだろうか。
舞台には良くある左右の後ろが拓いている形式。さらに真ん中が上下にパカッと開くようになっていて後ろの風景をとりこんで借景とすることができるそうだ。床は観客の方へわずかに傾斜していて視覚効果を狙ったものになっているそうだ、凄い。
舞台には良くある左右の後ろが拓いている形式。さらに真ん中が上下にパカッと開くようになっていて後ろの風景をとりこんで借景とすることができるそうだ。床は観客の方へわずかに傾斜していて視覚効果を狙ったものになっているそうだ、凄い。
農村歌舞伎舞台の後ろ側。確かに真ん中は上下に開くようになっている。左右の空きから役者が後ろに出てきて着替えとかする即席の楽屋だったのだろう。
農村歌舞伎舞台の後ろ側。確かに真ん中は上下に開くようになっている。左右の空きから役者が後ろに出てきて着替えとかする即席の楽屋だったのだろう。
消火栓完備。
消火栓完備。

感想

但東町教育委員会謹製の由緒書によると

兵庫県指定文化財
安牟加神社(あむか) 農村歌舞伎舞台
農村歌舞伎舞台は近世から近代にかけて、庶民の厚い共感に支えられた文化施設だった。
 農村へ歌舞伎が浸透しはじめるのは江戸時代初期で、十八世紀に入ると地芝居が農村でも上演されはじめる。寛政十一年(一七九九)江戸幕府は芝居禁止令を出し、「神事祭礼の際とか虫送り・風祭りなどの名目で芝居・見世物のようなことを催して見物人を集め、金銭を費やしているのでそのようなことは一切してはならない」として歌舞伎関係者の入村や遊芸・歌舞伎・浄瑠璃・踊り類も厳しく禁止した。
 地芝居を催す主体は基本的に村の青年組織である場合が多く、この若者たちが次第に禁令を犯して芝居を強行するようになっていく。但馬では関宮町葛畑座(かずらはた)、日高町堀の手邉座(てなべ)、但東町の虫生座(むしゆう)などが知られている。
 かつて但馬地方は農村歌舞伎が盛んで、どこの地区にもこの舞台があったが、現在では舞台の老朽化に伴い急激に減少している。町内では十八棟の農村歌舞伎舞台が現存しているが、最盛期にはその倍近い四十棟弱であったと推測される。
 本町では江戸時代末期から明治時代にかけて盛んに建てられ、神社の境内などで地方廻りの役者一座や農民自身が歌舞伎などを上演して大人気を博していたようである。
 本農村歌舞伎舞台は「撥転(ばちころ)がし」や「遠見(とおみ)機構」、「上段舞台」などさまざまな仕掛けが工夫されており、文化財的にも但馬地方に残る歌舞伎舞台の代表的なものとして貴重である。
舞台の構造
●桁行/6665mm ●梁間/4490mm ●軒高/4415mm ●軒の出/1210mm 
●屋根勾配/0.50 ●瓦葺(本来は茅葺) ●舞台の高さ/約790mm
常設の上段舞台
●桁行/3120mm ●梁間/1705mm ●高さ/450mm
※前面框(かまち)に障子か襖の溝が二本彫られている。
遠見機構(とおみ)
 上段舞台の背面に蔀戸(しとみど)のように上下二つ折になっている。遠見と呼ばれる芝居の背景が提げられる装置であるが、借景として正面に東里ヶ岳全体が美しく見られるように配慮されている。
撥転がし(ばちころがし)
 舞台の床が前方観客に向かって緩傾斜し、観客に演劇効果を考慮したものである。
墨書痕
 文久元年仲夏二五日若狭藩中石井某
建立時期
 舞台壁面に残る墨書痕から文久元年(1861)以前と考えられる。
平成15年3月
 但東町教育委員会

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、天穗日神。
承和15年(848年)創建。
享保16年(1731年)本殿再殿。
明治6年(1873年)村社。
明治42年(1909年)上宮神社・神明神社を合祀(追加)。
江戸時代までは「聖大明神」と呼ばれていた。
承和15年(848年)8月、安牟加首虫生を出石主政に任ず。
安牟加首虫生其祖物部十千根命を虫生の丘に祀る。之を安牟加神社と云う。「但馬国司記」
また、丹波国天田郡・奄我神社から分祀したとの説がある。
とある。


延喜式神名帳の但馬国・出石郡の「阿牟加神社」の論社2社のうちの1つ。

農村歌舞伎舞台が有名な神社、祭では「笹ばやし」が演じられる。
それは良いのだがご祭神・創建・由緒等々の記録が少ない。

創建に関しては、2つのお話があるようだ。
承和15年(848年)、安牟加首虫生を出石主政に任ず、安牟加首虫生其祖物部十千根命を虫生の丘に祀る。
というお話と
丹波国・天田郡・奄我神社から分祀したとのお話もあるようだ。

鳥居をくぐり石段を登ると広場がある。
広場はそれほど大きくはないが西側に農村歌舞伎舞台がしつらえてある。

1段高いところに拝殿、さらにもう1段高いところに本殿がある。
拝殿は装飾がないシンプルな建物だ。
拝殿内部の扁額には安牟加神社・箱宮大明神とあるが詳細は不明だ。

本殿は享保16年(1731年)とあり、装飾が少なく質実剛健な感じ。
切妻造の妻入りとなっていて回廊で拝殿と繋がっている。
社殿は全体的に風雪で色が褪せてしまっていて、そろそろ修復が必要な時かもしれない。

社殿と反対側にある農村歌舞伎舞台は意外と小さいという印象だ。
イロイロと仕掛けが凝らされているようだ。
舞台の奥が上下に開き、背景を取り込めるようになっていたり
舞台の床は少しだけ観客の側に傾斜しているとか細かい工夫があるそうだ。
音響装置のない時代、音響に関しても何か工夫があるのかもしれない(個人的見解です)。
祭りの際には「虫生笹ばやし」がこの舞台で演じられる。

江戸時代の庶民の熱狂が伝わってくるような神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから