比定社:(論)日出神社(但東町畑山)
式内社コード:274-070
神名帳社名:日出神社、ヒテノ
社格:小
所在地:668-0351 兵庫県豊岡市但東町畑山329
plus code:FXQV+77 豊岡市、兵庫県
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アプローチ&ロケーション
ひでじんじゃと読む。
畑山集落の中の平地に鎮座。
国道482号線より南へ入り集落の中を進むと公民館のような建物がありその前。
フェンスで囲まれた部分が日出神社となる。
周辺に駐車可能。
ハイライト
国指定重要文化財の本殿。
国指定重要文化財
日出神社本殿
時代:室町後期
年代:室町後期
西暦:1467-1572
延喜式内の小社で、現本殿は室町時代末期に建立された三間社流造の建物である。正面庇部分は江戸中期の改造によって変っているが、細部の部材になお当初のものを残している。
本殿毋屋が舟肘木、庇が三つ斗組になる兵庫県の室町時代末期の三間社流造本殿の一例として保存すべきものである。
写真
感想
但東町教育委員会謹製の説明書によると
重要文化財
日出神社本殿
文化財の指定
本殿は室町時代末期の様式技法をよく伝えているとして、昭和38年に兵庫県指定文化財となり、昭和45年6月に国指定の重要文化財となった。国の文化財保護審議会において「日出神社本殿(ひでじんじゃ)は庇部分に後世の改造部分が多いが、手挟(たばさみ)、蟇股(かえるまた)など細部は当初材を残し、兵庫県における室町時代末期の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)本殿の一例として保存すべきものと考える」と評価されている。
建造物の概説
本殿の建築は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という。建物は構造上円柱で囲んだ区画を身舎(もや)といい、その全面を庇という。身舎(もや)は内・外陣に区画されており、外陣正面開放、内陣正面は幣軸(へいじく)構で板扉を建てている。庇は一面の浜床(はまとこ)で正面の柱間は身舎(もや)同様に開放で、建物の両側面および背面は板壁、正・側面の三方には縁がある。構造からみると浜床(はまとこ)が見世棚造風であり、身舎(もや)正面の柱間が開放であることなどは、この建物特有の形式として稀少価値がある。柱上の組物は身舎(もや)が舟肘木(ふなひじき)で妻組も豕叉首(いのこさす)の簡素なものであり、庇は出三つ斗に手挟(たばさみ)を組み、中備()なかぞなえ)には蟇股(かえるまた)を置き、これらの彫刻に室町時代末期の特色を見ることができる。軒廻りは二軒で本繁垂木(ほんしげだるき)、破風板(はふいた)の曲線は桁の辺りで折れたような強い曲率を描いて形式の古さを表しているが、妻飾りの猪目懸魚(いのめげきょ)は輪郭に火焔(かえん)形の尖頭を付けた珍しい意匠である。屋根はこけら葺(ぶき)で箱棟の鬼板は江戸時代中期の修理の際のものであるが、この鬼板が取り付けられる以前の本殿屋根は野地の納まりなどから推測して茅葺(かやぶき)であったかも知れない。
沿革
日出神社(ひでじんじゃ)は但馬神話で出石を中心とする但馬地方を治めた天日槍(あめのひぼこ)の四世「多遅摩比多訶(たじまひたか)」を祭神とする。神社の創立は明らかでないが、延喜式(えんぎしき)に但馬国出石郡の小社と記(しる)された式内社である。現本殿の建立は、建築の様式技法から考察して室町時代末期の16世紀初頭と考えられ、その後、宝永元年(1704)、享保11年(1726)、明治21年(1888)に修理したことが棟札によって知られる。解体修理は昭和48年10月に着手し、翌昭和49年11月に工事を完了している。構造様式は旧規を踏襲し、後世改変された箇所は資料にもとづいて復旧し、覆屋(おおいや)も撤去して当初の姿に修復された。
但東町教育委員会
平成14年3月
とある
以下のデータがある。
ご祭神、多遅摩比泥神(たじまひたか)。
創建不明。
宝永元年(1704年)社殿修復。
享保11年(1726年)拝殿建立。
明治3年(1870年)社殿を現在地に移す。
明治6年(1873年)村社。
明治21年(1888年)社殿修繕のため遷座。
昭和38年(1963年)兵庫県指定文化財。
昭和45年(1970年)国指定重要文化財に指定。
昭和49年(1974年)本殿の修理完了。
江戸時代までは「日出大明神」と呼ばれていた。
延喜式神名帳・但馬国・出石郡「日出神社」の論社2社のうちのひとつ。
ご祭神は、天日槍(あめのひぼこ)四世の多遅摩比泥神(たじまひたか)。
四世とは天日槍から少し遠い気もするが大いに事蹟があったのだろうと思われる。
このあたりが分かれば面白いと思う。
現在の日出神社は集落の中に溶け込んでいる。
周囲はフェンスで仕切られているが非常にオープンな印象。
集落の施設が集まっている場所にあり、公民館や消防団がある。
神社自体は東を向いていて鳥居・本殿・歌舞伎舞台の構成でシンプル。
本殿は国指定重要文化財の室町後期の建築、質実剛健な印象で装飾がほとんど無い。
昭和49年(1974年)に修復されているので状態は非常に良い。
また当地は、恒良親王(つねながしんのう)旧蹟の地となっている。
恒良親王は後醍醐天皇の第六皇子で、元弘の変(1331年)の後、但馬に配流され、守護太田守延(もりのぶ)の家に幽閉された(黒木の御所という)。
このことを示す兵庫県の石碑がある。
後世に長く伝えたい神社だ。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日:2019/7/27
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。