比定社:大津神社(西脇市嶋)
式内社コード:317-050
神名帳社名 :大津乃命神社
社 格:小
所 在 地 :677-0024 兵庫県西脇市嶋239
Plus Code :XXWR+JV 西脇市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
「おおつじんじゃ」と読む、地名の西脇市嶋は「にしわきししま」と読む。
国道175号線の西脇市津万を北上すると右手(東)にこんもりとした社叢があるのですぐに分かる。
神社の入り口は国道175号線から1本東に入った集落に面している。
鳥居の右側からクルマを乗り入れることができ駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
加古川と津万平野の位置関係。
写真
感想
西脇市教育委員会謹製の式内社 大津神社によると
式内社(しきないしゃ) 大津神社
式内社とは、平安時代中期の延長5年(927年)に完成した古代法典『延喜式(えんぎしき)』に登載された全国3,132社のことで、詳しくは延喜式内社という。
旧多可郡では荒田神社(加美町的場)、加津良神社(かつら、中町間子まごう)、兵主神社(ひょうず、黒田庄町岡)、古奈為神社(こない、同町小苗)、天目一神社(あめのまひとつ、西脇市大木町、異論もある)、大津乃命神社(おおつのみこと)の6社が登載されている。
大津神社の起源は明らかではないが、伝説では寺内の氏神山の巨巌(きょがん)の洞窟(どうくつ)から神霊が降臨した事に始まると伝えられている。祭神は大津乃命、品蛇別命(ほんだわけのみこと、応神天皇おうじん)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后じんぐうこうごう)である。
大津乃命は古資料には現れないが、所在地の嶋に加古川の津があったので祀られたと思われる。
また『播磨国風土記』の応神天皇巡行説話に登場する比也野(ひやの)・比也山が対岸にあることから、応神天皇と、その母の神功皇后を祀ったと考えられる。いずれにせよ、津万(つま)地域が古くから開発され、ひとつの中心地であったことは確かである。
なお、本殿左前にある芝居小屋と呼ばれる農村歌舞伎舞台も、市内では数少なくなった民俗芸能遺産として貴重なものである。
平成26年6月 西脇市教育委員会
とある。
西脇市観光協会謹製の境内マップによると
式内 大津神社 津萬厄神(つまやくじん)
古代より続く式内社
「津萬(つま)の厄神さん」として崇敬を集める大津神社は、延喜5年~延長5年(905~927)編纂の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に名を連ねる格式高い式内社です。創祀は不詳ですが、奈良時代の天平年間(729~749)という説も。地元では、氏子七町の一つ、寺内(てらうち)にある氏神山の巨巌の洞窟から神雲が降臨し、現在地の嶋(しま)に神殿が築かれたという伝承が語り継がれています。
水を司る津万の守り神
「津万」は土地そのものも古く、和銅6年~霊亀元年(713~715)頃に編まれた『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』にも登場します。そこには、女性首長の播磨刀売(はりまとめ)がこの里で井戸の水を飲み「此の水有味し(このみずうまし)」と言ったことが「都麻(つま)」の名の由来であることや、応神天皇の巡幸伝説が記されています。
「津」は港を意味することから、この辺りには昔、加古川の川港(かわみなと)があったのではないかといわれています。のちに田畑の開発が進むと、水を引くための井堰(いせき)が加古川に建設されます。
主祭神「大津乃命(おおつのみこと)」は、それら港や水門の安全を司り、津万の里を繁栄に導く守り神なのです。
さらに、八幡神(はちまんしん)として知られる応神天皇(おうじんてんのう)と、その母神様である神功皇后(じんぐうこうごう)も主祭神です。江戸時代の慶安元年(1648)から幕末まで徳川幕府より発給された朱印状に「八幡宮」とあることから、八幡信仰もさかんだったことが伺えます。
二月の厄神祭で有名
大津神社が一年で最も賑わうのは2月18日・19日の厄神祭で、播磨・丹波一円から参拝に来られます。厄除けの神様、高良玉垂命(こらたまたれのみこと)は普段、小宮の「高良神社(こうら)」にお祀りされていますが、厄神祭の2日間は特別に本殿へ遷座され、厄除開運の御祈祷が行われます。ぜひお参り下さい。
境内マップ制作 令和2年(2020)
西脇市観光協会
とある
大津神社のWebサイトによると
・式内社 大津神社
式内社とは、平安時代中期の延長5年(927年)に完成した古代法典『延喜式』(延喜式神名帳)に登載された全国2,861社(3.132座)のことで、詳しくは延喜式内社といいます。
大津神社はこの延喜式内社のひとつとして名を連ね平安時代にすでに官社として認定されていた由緒ある神社としてしられています。
創紀は不詳ですが、奈良時代の天平年間(792年~794年)という説もあり、地元では、氏子七町の一つ、寺内にある氏神山の巨厳の洞窟から神雲が降臨し、現在地の嶋に神殿が築かれたという伝承が語り継がれています。
境内地は約2.000坪あり、社殿は長い歴史の中で文化5年(1808年)に修復され、その後多少の修復がありましたが、そのままの姿で今日に至っています。
古くから『津萬の厄神さん』の呼び名で広く親しまれており、毎年の厄神祭には市内外を問わずまた、遠く県外からも、多数の参拝者で賑わいます。
境内社には本殿のほか高良神社をはじめ、東照宮社・祇園神社・稲荷神社が鎮座し、お参りする人々を導いておられます。
・御祭神
本殿(三柱)
大津之命【水門の神】
応神天皇(品蛇別命)【学問・武道の神】
神功皇宮(気長足姫命)【安産の神】
高良神社
高良玉垂命【厄除けの神】
東照宮社
徳川家康公【仕事運・上昇運・勝負運】
祇園神社(四柱)
金毘羅大神【農業・航海・商売】
祇園大神【疫病退散】
皇大神宮【お伊勢さん】
愛宕大神【火伏せ・防火】
稲荷神社
稲荷神 【穀物・農耕・産業の神様】
・祭事
厄除祭
津萬の厄神さんとの呼び名の通り、厄除け神社として広く知られる大津神社の大祭です。
祈年祭(4月29日)
1年の豊作を祈るお祭りです。
氏子7町(津萬、嶋、大垣内、寺内、西嶋、坂本、大野)の代表が神社に集い行われます。
秋祭り
毎年、10月の第2日曜日に行われるお祭りです。
七五三
子供たちの健やかな成長を願う日本の伝統行事です。
新嘗祭
神様にその年に取れた新米を奉納するお祭りです。
氏子7町(津萬、嶋、大垣内、寺内、西嶋、坂本、大野)の代表が神社に集い行われます。
大祓い・初詣
大晦日~元旦にかけては、夜を徹して去りゆく年への感謝と、新しい年へのお祝いが、厳かに執り行われています。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、大津乃命・品陀別命・気長足姫命。
慶安元年(1648年)徳川家光將軍より朱印領十二石。
万治3年(1660年)社殿再建。
文化5年(1808年)社殿修覆。
明治7年(1874年)2月郷社。
江戸時代までは「大津明神」と呼ばれていた。
播磨風土記にこの近くの比也山のほとりを応神天皇が巡幸せられたと伝え、其の由縁により早くより創立せられたるものと思われる。
大津の名は此の地が加古川畔の良い河港であることに依るものか。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:大津乃命(オホツノミコト)
配祀神:品陀別命(ホンダワケノミコト)・気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
由 緒:
延喜式帖神祇ノ十・神名ノ下、多可郡六座の内並小大津乃命神社とあり。国内神名帳には大津明神といい、万治3年(1660)、再建し慶安元年徳川家光将軍より朱印領12石を寄せられる。
文化5年(1808)、社殿を修復し爾後多少の修理を加えたるも、其形状に於ては変遷以て今日に至る。
播磨風土記に附近なるこの比也山のほとりを、應神天皇巡幸せらると伝えたれば、其由縁により早くより創立せられたるものなるべし。
とある。
大津神社(西脇市嶋)のある当地は、北からの加古川と東からの畑谷川の合流地点の西岸に当たる場所、南へ3kmほどで杉原川とも合流する。
加古川から西へ250メートルほどの集落の中の平地に鎮座。
このあたりは津万平野と呼ばれ加古川西岸の広大な平野となっており氏子7町(津万、嶋、大垣内、寺内、西嶋、坂本、大野)は全てこの中にある。
河川に沿った平坦な平野なだけに古くから開けたようで、嶋や津万には以下の遺跡がある。
・嶋
嶋・馬渡り遺跡、伝島村城跡、嶋・大堂遺跡(兵庫県考古博物館資料による)。
・津万
東八日山古墳1号墳~3号墳、津万遺跡群、畑瀬末谷1号窯跡~7号窯跡、津万井・畑瀬散布地、津万井近世窯跡、津万井・井ノ上遺跡(兵庫県考古博物館資料による)。
大津神社(西脇市嶋)のご祭神は、大津乃命・品陀別命・気長足姫命。
大津乃命の詳細は不明だが水に関係がありそうだ。
津万平野の水の利用を司ったのだろうか、それとも加古川の舟運を一手に握ったのだろうか。
大津神社(西脇市嶋)へのアプローチは分かりやすい。
国道175号線の西脇市津万を北上すると右手(東)にこんもりとした社叢があるのですぐに分かる。
神社の入り口は国道175号線から1本東に入った集落に面している。
集落の中は道路が狭いので注意が必要だ。
ありあがたいことに鳥居の右側から社域にクルマを乗り入れることができ駐車可能となっている。
大津神社(西脇市嶋)の周囲は民家となっていて、昔の風情が残った町並みとなっている。
思うに大津神社(西脇市嶋)の前の道は津万平野を南北に貫く昔からの街道筋で、このあたりが船着き場(湊)だったのだろう(個人的見解です)。
社域は東を向いており立派な両部鳥居がある。
両部鳥居をくぐると正面に山門、右手に社務所と駐車スペース、左手に池となっている。
山門をくぐると社殿前の広場となっており周囲には建物がたくさんある。
広場の右手には戸が閉まってはいたが比較的大きな舞台がある。
社殿は拝殿・幣殿・本殿の構成となっていて規模も大きく状態も良いように見える。
記録では万治3年(1660年)社殿再建、文化5年(1808年)社殿修覆とある。
地域に非常に大切にされている様子が伝わってきて温かい気持ちになれる。
訪ねた際も社域の手入れをされており常にきれいに保たれていて気持ちよく参拝できる。
加古川の舟運や水利を司ったと思われる神社。
注意点
集落の中の道は狭小なので注意。
訪問ノート
訪問日 :2019/6/29、2023/8/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3、α7M3 + 35-150mm F2-2.8 Di III VXD、α7S3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。