273-250_御井神社(養父市大屋町)

比定社:御井神社(養父市大屋町)

式内社コード:273-250
神名帳社名:御井神社、ミヰノ
社格:小
所在地:667-0432 兵庫県養父市大屋町宮本481
plus code:8M5Q+9Q 養父市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

みいじんじゃと読む。
宮本集落の西の端の山の中腹に鎮座。
兵庫県道279号森大屋線の宮本集落の川の南に宮本公会堂がありここに駐車し徒歩でのアプローチが良い。
神社入り口は、宮本公会堂より川の北側を西へ150メートルほどの民家の間を北へ入っていく、ここが見つけにくい。
西を向いて鳥居があるので未舗装で急なつづら折れの参道を15分ほど登ると山門や社殿がある。

ハイライト

御祓山(みはらいやま)を中心に大屋と建屋の総社だったということ。
どこか懐かしい感じのする社域。

写真

御井神社の入り口の鳥居を望む。
御井神社の入り口の鳥居を望む。
兵庫県道279号森大屋線沿いの民家の間を入ってくると鳥居にたどり着ける。
兵庫県道279号森大屋線沿いの民家の間を入ってくると鳥居にたどり着ける。
鳥居の左脇にスペースがあるが、周辺が狭いので宮本公会堂に駐車させていただいたほうが良い。
鳥居の左脇にスペースがあるが、周辺が狭いので宮本公会堂に駐車させていただいたほうが良い。
鳥居の扁額には式内とある。
鳥居の扁額には式内とある。
鳥居をくぐると未舗装の狭い林道のような参道が続く。歩きやすい靴が良いと思う。
鳥居をくぐると未舗装の狭い林道のような参道が続く。歩きやすい靴が良いと思う。
参道は途中でつづら折れになっていて結構な勾配がある。
参道は途中でつづら折れになっていて結構な勾配がある。
しばらく登ると随神門がある。随神像は大屋町指定文化財となっている。
しばらく登ると随神門がある。随神像は大屋町指定文化財となっている。
ノスタルジック漂う社務所のような駐車場の料金徴収所のような建物。
ノスタルジック漂う社務所のような駐車場の料金徴収所のような建物。
最後に石段を登れば社殿がある。
最後に石段を登れば社殿がある。
社域には巨木も多く濃い社叢となっている。
社域には巨木も多く濃い社叢となっている。
拝殿を正面より望む。
拝殿を正面より望む。
拝殿の右側には摂社末社。
拝殿の右側には摂社末社。
拝殿の左側にも摂社末社。杉の巨木がある。
拝殿の左側にも摂社末社。杉の巨木がある。
拝殿右側より本殿を望む。雪のせいで色が褪せている。
拝殿右側より本殿を望む。雪のせいで色が褪せている。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿左奥より拝殿を望む。
本殿左奥より拝殿を望む。
拝殿前広場より参道を望む。
拝殿前広場より参道を望む。
登ってきた参道を下る。トレッキングのような感じだ。
登ってきた参道を下る。トレッキングのような感じだ。
しばらく行くと随神門。
しばらく行くと随神門。
かつては随神門より集落まで真っ直ぐ参道の石段が続いていたようだ。
かつては随神門より集落まで真っ直ぐ参道の石段が続いていたようだ。
参道をひたすら下る。参道は立派な石垣が組んであるが狭い、軽トラで一杯一杯の道幅。
参道をひたすら下る。参道は立派な石垣が組んであるが狭い、軽トラで一杯一杯の道幅。

感想

神社謹製の随神像説明書によると

随神像 町文化財
この随神像は御井神社が天文15年4月8日(1546年)に、御祓山から現在の地に遷宮された際に随神されたものです。
耳、手などの手法から、室町期以前に彫成されたものと思われる。
二躯とも寄木調成で彩色を施してあったが、ほとんどか落箔して破損が甚だしく、当時の面影を見る事が出来ないが、郷土の歴史を知る重要な資料として大切に保存すべきものである。

とある。

以下のデータがある。
ご祭神、御井神。
[配祀]
脚摩乳命・天穂日命・素盞嗚命・手摩乳命・熊野櫲樟日命・田心姫命・奇稲田命・天津彦根命・天忍穂耳命・市杵島姫命・活津彦根命・湍津姫命
創建不詳。
天文年間(1532~1555年)火災。
天文15年(1546年)現在地へ遷座。
寛政9年(1797年)造営。
享和2年(1802年)造営。
明治6年(1873年)村社。
大正4年(1915年)神饌幣帛供進神社指定。
江戸時代までは「天王社」「岩井明神」「岩井牛頭天王社」と呼ばれていた。

元の鎮座地は東北2kmほどの御祓山(みはらいやま、標高773m)の山頂と伝わる。
山頂より南200メートルあたりに石標がある。

とある。

元の鎮座地である御祓山(みはらいやま)は、大屋と建屋の間にある山。
御井神社は大屋と建屋の総社だったとのことだ。
大屋と建屋は、御祓山の南を東西に結ぶカカナベ峠(兵庫県道279号森大屋線)を経由して繋がっている(距離は8.2kmほど)。

往古に山頂付近に鎮座していた神社が、後に里に遷座するということは時々ある。
それは氏子が気軽に行けないとか、街道のルートが変わり衰退してしまった、とか様々な理由があるようだ。
宮本という地名だけに、宮本集落はかつての御祓山山頂に鎮座していた御井神社への登拝の起点となっていたのだろうと想像する。

また、御井神社には「まいそう祭り」と呼ばれる祭りが伝えられている。
やぶ市観光協会によると
“燃えさかる松明の炎で古鬼面(こきめん)姿に木鉾(きぼこ)を持った鬼をたたき、その年の無病息災を願います。
伝説によると、神代の昔、この地が泥海であった頃に、神が3艘の船に乗って見回りをしていたところ、2艘の行方がわからなくなりました。神々は「ないそうや」といって探し回ると、1艘は大屋町の宮本、さらに、「まいっそうや」といいながら探すと、もう1艘は、養父市船谷で見つかったといいます。「あったー、あったー」と舞う、「御船祭(みふねまつり)」または「笑祭」と呼ぶ祭りとして伝えられ、過去に行われていたそうです。
見つからなかったあと1艘を、「まーいっそーない(もう1艘ない)」と呼びかけながら、夜を徹して捜したことから、「まいそう祭り」となったといわれております。
祭りは本殿で神事のあと、神主の御神火から点火された松明を参拝者がそれぞれに持ち、円陣を組みます。鬼役が3人で、太鼓の合図にあわせて、右手に木箱、左手に木鉾を持った一番鬼が拝殿から飛び出し、四股を踏むような足取りで反時計回りに円陣を回ります。参拝者は、「まーいっそーない」はやし立て、炎々と燃えさかる松明を頭上で振りかざしながら、鬼役が持つ木箱に激しくたたきつける。二番鬼、三番鬼の順で続き、円陣を3周したあと、ほえ声をあげて本殿にそれぞれ消えます。燃えさかる松明の炎で鬼を追い払う珍しい火で鬼を追い払う珍しい火の祭りです。”
とある。

祭りの中のお話で、それぞれ船が見つかった大屋町の宮本と養父市船谷とは直線でも7kmほど離れている。
これは御井神社の影響が及んだ範囲を示しているだろうし、特に山や谷に関しての距離感が現代とはかなり異なることに改めて気づく。

御井神社へのアプローチは意外と難しい。
まず、神社の入り口がどこにあるのか分かりづらい。
宮本集落の川の南に宮本公会堂がある。
クルマはここに駐車させていただき徒歩でアプローチする。
宮本公会堂より橋を渡り川の北側を西へ150メートルほどの民家の間を北へ入っていくと鳥居がある。

鳥居からは未舗装のつづら折れの参道が続く。
つい最近の昔(昭和とか)まではクルマで参道を登って神社近くに駐車できていたような感じ。
だが現代的な感覚ではクルマで入り込むには少々狭いし未舗装だから徒歩が良い。
その昔、駐車場の料金を回収していた事務所のような「式内御井神社」と書かれた建物が郷愁を誘う。
小さい子供の頃に爺さんについて行った時の神社仏閣のような感覚があり、初めて訪問したのに懐かしい不思議な神社。

社域は広く、山門(随神門)があったり、摂社末社が多数あったりする。
古木や大きな木も多いので歴史を感じさせる社域となっている。
そのまた昔は、つづら折れの参道ではなくストレートに階段で登ってたようだ。

雪深いこともあり社殿は色あせて色が抜けてしまっている。
ところどころ補修が必要な部分もあるように見受けられる。

地域の信仰の中心、地域の総社、文化芸能の伝承、様々な役割を果たしてきた神社を長く残していきたいものだと思った。

注意点

未舗装の参道を15分ほど歩くので歩きやすい靴が良い。

訪問ノート

訪問日:2018/10/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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