比定社:赤淵神社

式内社コード:272-060
神名帳社名:赤淵神社、アカフチノ
社格:小
所在地:669-5261 兵庫県朝来市和田山町枚田上山2115
plus code:8RGR+PF 朝来市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「あかぶちじんじゃ」と読む、地名の枚田は「ひらた」と読む。
枚田集落の西の山裾に鎮座。
兵庫県道104号物部藪崎線より川沿いに西へ入るのが比較的分かりやすい。
駐車場は無いので注意。
神社前には広い駐車場があるが神社の駐車場ではないので注意。

ハイライト

五代目の「中井丈五郎正忠」による勅使門の彫り物。
六代目の「中井権次橘正貞」による楼門の彫り物。
なんと!中井権次一統の彫り物を二代に渡って見ることができる、必見。
国指定重要文化財の本殿(ほとんど見えないのが残念)。

国指定重要文化財

赤淵神社本殿
時代:室町中期
年代:永徳~応永頃
西暦:1381~1427年頃
延喜式内の小社で、日下部氏の祖神を祀る。現本殿は室町時代初期に建立された三間社流造の建物である。
正面庇部分は昭和初期に改造されているが、本殿毋屋は組物、蟇股、木鼻など当初材をよく残している。妻にみられる意匠も整備されており、兵庫県下の三間社流造本殿の古いものとして価値高い。

写真

赤淵神社を正面より望む。道が左右に分かれる真ん中に神社入口がある。入り口自体は東を向いている。前に広い駐車場があるが神社の駐車場ではないので停めないように。
赤淵神社を正面より望む。道が左右に分かれる真ん中に神社入口がある。入り口自体は東を向いている。前に広い駐車場があるが神社の駐車場ではないので停めないように。
地すべり防止区域に指定されていて傾斜のある山裾となっている。南側には慧林寺がある。
地すべり防止区域に指定されていて傾斜のある山裾となっている。南側には慧林寺がある。
ワイルドな社標には式内・赤渕神社とある。
ワイルドな社標には式内・赤渕神社とある。
一の鳥居を望む。
一の鳥居を望む。
一の鳥居脇にある近畿自然歩道 環境省・兵庫県謹製の説明書。ご祭神は大海龍王神・赤渕足尼神・表米宿彌神とある。
一の鳥居脇にある近畿自然歩道 環境省・兵庫県謹製の説明書。ご祭神は大海龍王神・赤渕足尼神・表米宿彌神とある。
鳥居脇にある朝来市歴史文化遺産案内。本殿は国重要文化財、楼門、勅使門が朝来市指定文化財とある。
鳥居脇にある朝来市歴史文化遺産案内。本殿は国重要文化財、楼門、勅使門が朝来市指定文化財とある。
一の鳥居をくぐると石段越しに楼門が見える。
一の鳥居をくぐると石段越しに楼門(1つ目の門)が見える。
楼門を望む。
楼門を望む。
中井権次一統の六代目「中井権次橘正貞」による楼門の彫り物。見事だ。
中井権次一統の六代目「中井権次橘正貞」による楼門の彫り物。見事だ。
朝来市教育委員会謹製の楼門説明書。朝来市指定文化財、かつて当社の神宮寺であった神淵寺の山門だったとある。
朝来市教育委員会謹製の楼門説明書。朝来市指定文化財、かつて当社の神宮寺であった神淵寺の山門だったとある。
楼門をくぐると次は山門が見えてくる(2つ目の門)。
楼門をくぐると次は山門が見えてくる(2つ目の門)。
山門を望む。2つ目の門だ。
山門を望む。2つ目の門だ。
山門をくぐるとちょっとした広場がある。
山門をくぐるとちょっとした広場がある。
右手にはクルマで上がってこれる道がある。一の鳥居の右の道を進むとつながっている。管理人はここに駐車させていただいた。
右手にはクルマで上がってこれる道がある。一の鳥居の右の道を進むとつながっている。管理人はここに駐車させていただいた。
広場の左手には社務所がある。さらにその左にはお堂がある。
広場の左手には社務所がある。さらにその左にはお堂がある。
手水舎。
手水舎。
手水舎の奥に石段があり勅使門が見えている。素晴らしい社叢だ。
手水舎の奥に石段があり勅使門が見えている。素晴らしい社叢だ。
石段の右手には三重塔心柱の礎石がある。この広場に神淵寺があったのではないかと思う(個人的見解です)。
石段の右手には三重塔心柱の礎石がある。この広場に神淵寺があったのではないかと思う(個人的見解です)。
石段を登ると正面に勅使門(3つ目の門)。ここも広場になっている。
石段を登ると正面に勅使門(3つ目の門)。ここも広場になっている。
勅使門の左手には土俵と見物席?がある。かなり広い。
勅使門の左手には土俵と見物席?がある。かなり広い。
さらに左手には参集殿のような建物がある。本来の神社はココから上だったのだろう。
さらに左手には参集殿のような建物がある。本来の神社はココから上だったのだろう。
勅使門にも彫り物が施されている。中井権次一統の五代目「中井丈五郎正忠」による彫り物、扉にもある。朝来市指定文化財。
勅使門にも彫り物が施されている。中井権次一統の五代目「中井丈五郎正忠」による彫り物、扉にもある。朝来市指定文化財。
寛政十一年(一七九九)に多数の喜捨により再建されたものとある。中井権次一統の五代目「中井丈五郎正忠」「久須善兵衛政精」の作。朝来市指定文化財。
寛政十一年(一七九九)に多数の喜捨により再建されたものとある。中井権次一統の五代目「中井丈五郎正忠」「久須善兵衛政精」の作。朝来市指定文化財。
和田山町教育委員会謹製の勅使門説明書。元禄7年(1694)に八木城主八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年(1797)に修理とある。
和田山町教育委員会謹製の勅使門説明書。元禄7年(1694)に八木城主八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年(1797)に修理とある。
勅使門脇より拝殿を望む。
勅使門脇より拝殿を望む。
和田山町教育委員会謹製の本殿説明書。室町時代初期に建てられたもので三間社流造、こけら葺き、国重要文化財指定とある。
和田山町教育委員会謹製の本殿説明書。室町時代初期に建てられたもので三間社流造、こけら葺き、国重要文化財指定とある。
拝殿を望む。
拝殿を望む。
石段を上がると拝殿。ちょっとお寺のお堂のような感じ、屋根の張り出しが大きい。
石段を上がると拝殿。ちょっとお寺のお堂のような感じ、屋根の張り出しが大きい。
拝殿の右側より望む。拝殿前には多数の石灯籠がある。
拝殿の右側より望む。拝殿前には多数の石灯籠がある。
拝殿を左側より望む。拝殿の左側には神饌所、向こう側には摂社末社。
拝殿を左側より望む。拝殿の左側には神饌所、向こう側には摂社末社。
拝殿の右側より覆屋に入った本殿を望む。
拝殿の右側より覆屋に入った本殿を望む。
本殿は国指定重要文化財となっている。残念ながらよく見えない…。
本殿は国指定重要文化財となっている。残念ながらよく見えない…。
拝殿と本殿を結ぶ回廊を右側より望む。
拝殿と本殿を結ぶ回廊を右側より望む。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
拝殿と本殿を結ぶ回廊を左側より望む。
拝殿と本殿を結ぶ回廊を左側より望む。
拝殿の左側には神饌所があり回廊でつながっている。
拝殿の左側には神饌所があり回廊でつながっている。
拝殿より勅使門を望む。
拝殿より勅使門を望む。
ブルーシートの部分が土俵。参集殿は力士の控え場所という感じだろうか。
ブルーシートの部分が土俵。参集殿は力士の控え場所という感じだろうか。
勅使門より手水舎を望む。
勅使門より手水舎を望む。
勅使門の前より山門を望む。やっぱり下の広場にはお寺があったのだろう。
勅使門の前より山門を望む。やっぱり下の広場にはお寺があったのだろう。
一番下の楼門を下り鳥居を望む。前の駐車場は神社のものではないので駐車しないこと。
一番下の楼門を下り鳥居を望む。前の駐車場は神社のものではないので駐車しないこと。

感想

説明書きがたくさんあるので整理すると。

神社説明書き

近畿自然歩道 環境省・兵庫県謹製の説明書きによると

赤淵神社
 赤淵神社の祭神は、大海龍王神(だいかいりゅうおう)、赤渕足尼神(あかぶちそこひ)、表米宿彌神(ひょうまいすくね)の三神です。赤渕足尼命(あかぶちそこひのみこと)は表米宿彌命(ひょうまいすくねのみこと)の祖神です。
 神社略記によると大化元年(六四五)、表米宿彌命が丹後、白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した際、沈没しかけた命の船が、海中から浮かび上がった無数のアワビに助けられたので、命はそのアワビを持ち帰り、赤淵神社に祭ったとされています。大海龍王は海神で、アワビを使い難を救う神であるといわれています。
 その後、赤淵神社の祭礼にはアワビの神事が行われ、近隣では今でもアワビを食べない風習が残っています。
近畿自然歩道 環境省・兵庫県

とある

文化庁謹製の説明書きによると

朝来市歴史文化遺産案内
歴史スポット① 赤淵神社(あかぶちじんじゃ)
■種別…国重要文化財 建造物
■所在地…朝来市和田山町枚田

枚田内高山の麓に鎮座する式内社。
式内社とは、延長5年(927)にまとめられた「延喜式神名帳」に記載された神社のことで、朝来市内に9つあるうちのひとつ。
本殿は国重要文化財、楼門、勅使門が朝来市指定文化財になっている。
文化庁

とある

楼門説明書き

朝来市教育委員会謹製の楼門説明書によると

朝来市指定文化財(建造物)
赤淵神社 楼門(ろうもん)
  平成二十一年八月二十五日 指定
 この門は、かつて当社の神宮寺であった神淵寺の山門であった。
 創建年は不詳。現在の門は、文政十三年(一八三〇)に多数の喜捨により再建されたものである。
 威風堂々としたたたずまいで、随所に柏原の彫刻師中井権次による見事な彫刻が施されている。二階には高欄を巡らし、内部にはかつて大般若経が納められていた。
 この門をくぐると除疫福徳の効があると伝えられる。
平成二十二年三月
朝来市教育委員会

とある
※補足:中井権次は中井権次一統六代目の「中井権次橘正貞」のこと。

勅使門説明書き

朝来市教育委員会謹製の勅使門説明書によると

朝来市指定文化財(建造物)
赤淵神社 勅使門(ちょくしもん)
  平成二十一年八月二十五日 指定
 勅使門とは、勅使が神社に参向する際、勅使の通行に用いられる門である。
 創建年は不詳。現在の門は、寛政十一年(一七九九)に多数の喜捨により再建されたものである。
 円形の丸柱に、前後二本ずつの控柱を立てた四脚門方式で、材質にはケヤキが使用されている。
 扉の上部に見られる鳳凰の透かし彫りや、木鼻、蟇股などの見事な彫刻は、丹波柏原の彫刻師中井丈五郎、久須善兵衛によるものである。
平成二十二年三月
朝来市教育委員会

とある
※補足:中井丈五郎は中井権次一統の五代目「中井丈五郎正忠」のこと。
※補足:久須善兵衛は「久須善兵衛政精」のこと。

和田山町教育委員会謹製の勅使門説明書によると

赤淵神社勅使門
 この門は、勅使参向の際に用いられたものである。元禄7年(1694)に八木城主八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年(1797)に修理したと伝える。円形の本柱に前後2本ずつの控柱を立てた四脚門形式で材質は欅が使用されており、切妻造、浅瓦葺である。扉の上部に見られる鳳凰の透し彫りや、木鼻、蟇股などの建築細部に見るべき特色があり、但馬地方では数少ない江戸中期の建物である。
和田山町教育委員会

とある

本殿説明書き

和田山町教育委員会謹製の本殿説明書によると

赤淵神社本殿
 本殿は、室町時代初期に建てられたもので三間社流造、こけら葺き、桁行4.8m、梁間3.1m正面と両側面に高欄付縁をめぐらせている。
身舎内部は内陣と外陣に別れ、正面に格子をはめ、中央に階段を設けている。再三改修のあとはあるが、蟇股、懸魚、妻窓などに当時の建築様式を残している。
<昭和45年6月17日国重要文化財指定>
和田山町教育委員会

とある

管理人の感想

また、下記の記録が残るようだ。
継体天皇25年(531年)創建。
弘安8年(1185年)神田凡十一町あり。
天正2年(1574年)八木城主八木豊信が再建。
天正8年(1580年)羽柴秀吉が社田没収。
元和8年(1622年)修造。
正保5年(1648年)修理。
元禄7年(1694年)造営。
正徳4年(1714年)造営。
元文5年(1740年)造営。
宝暦10年(1760年)造営。
天明5年(1785年)修理。
※本殿の建築時期は1381~1427年頃(文化庁)とされているが記録に表れていない…。

情報が多いので整理してみると創建に関しては次のように推測できる。
赤淵神社の神社略記によると、大化元年(645年)に表米宿彌命(ひょうまいすくねのみこと)が丹後・白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した。
表米宿彌は日下部氏の祖とされ、日下部氏は但遅馬国造だったのではないかと言われている氏族(諸説あります)。

つまり、但馬国の成り立ちに非常に縁の深い表米宿彌という人物とその一族である日下部氏を祀る神社ということのようだ。
これだけの歴史や成り立ちを持つ神社なのだから延喜式神名帳に記載されたのは自然だろうし大社であってもおかしくないと思う(個人的見解です)。
だが朝廷が大社に設定しなかったのは、朝廷にとっては様々な事情があったのではないかと想像してしまう。

社域は入り口から斜面を登っていく形になる。
かなり広くて巨木が多い、古くから当地に鎮座している様子がよく分かる。
それに社域は適度に苔むしていて苔好きにはたまらない。

訪れてみてビックリするのが、楼門(1つ目)・山門(2つ目)・勅使門(3つ目)と門が充実していて実に3つもあること。
まず、小社であるにも関わらず勅使門があるということ。
勅使門は朝廷からの使者の参向を受けるための専用の門のこと。
それだけ朝廷からの使者が訪れていたということなのだが、いつ何度くらい勅使が訪れたのだろうか。
次に、勅使門と楼門はかなり豪華に作られていることだ。
双方とも中井権次一統の彫り物が施されており、当時最高の装飾が施されていると思われる(個人的見解です)。
勅使門は五代目「中井丈五郎正忠」、楼門は六代目「中井権次橘正貞」による彫り物が素晴らしい。
中井権次一統の彫り物を二代に渡って見ることができるのは貴重だ。
それだけ重要な神社とされていたのだろうと思うし尊崇者が多くいたのだろう。

山門の先には広場と社務所があるが、ここは寺院があったのではないだろうか(神淵寺?、個人的見解です)。
三重塔の礎石なんかもある。

本来の神社としては勅使門がある広場から奥だろう。
この広場には勅使門、左手に土俵、参集殿のような建物がありかなり広い。
奥には石垣が組んであり、その上に社殿がある。

社殿は宝暦10年(1760年)造営・天明5年(1785年)修理とあるが、拝殿はもっと新しいような印象、まるで寺のような作りだ。
本殿は国指定重要文化財となっており、文化庁によると室町中期・永徳~応永頃(1381~1427年頃)とあるのだが、社殿の造営・修理の記録に無い。
本殿は格子が入った覆屋に入っていて近づけないため内部を見ることができないのが非常に残念だ。

赤淵神社には、説明書きも多くて神社好きには非常に参考になる。
社域は広いが全体的に手入れが行き届いており非常にきれい、維持管理の苦労が偲ばれる。
気持ち良く参拝できる神社。

注意点

神社前には広い駐車場があるが神社の駐車場ではないので注意。

訪問ノート

訪問日:2020/6/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM