比定社:(論)三宅神社(舞鶴市北吸)
式内社コード:267-110
神名帳社名 :三宅神社、ミヤケノ
社 格:小
所 在 地 :625-0080 京都府舞鶴市北吸
Plus Code :F9FP+2F 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「みやけじんじゃ」と読む、地名の北吸は「きたすい」と読む。
舞鶴市内の北吸交差点西側の小高い丘に鎮座。
国道27号線の北吸交差点の西側に神社入口がある。
正面からは長い階段の参道を登る必要がある。
神社の駐車場はないので赤レンガ倉庫で有名な舞鶴市役所駐車場に駐車して歩くのが良い。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境1】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通1】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
豊かな社叢に囲まれた社域。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
式内 三宅神社(みやけじんじゃ)
御祭神
主祭神 豊宇気姫命(とようけひめのみこと)
(衣・食・住を司る女神、広く産業殖産の女神)
配 祀 多遅麻毛理(たじまもり、菓子の祖神)
白兎神(はくとしん、御本殿の守護神、縁結びの神)
御創建 延長五年(正暦九二七年)の延喜式撰上以前。
御由緒 元、市内北吸の三宅谷(現 三宅団地附近)に鎮座す。明治三十四年の舞鶴鎮守府開庁に先立ち、明治二十四年此処に遷座し現在に至る。
主祭神豊宇気姫命は伊勢の外宮の御祭神「豊受大神」の流れを汲み、古く稲の神霊を主祭した巫女が神格化して「命」の名を得たと伝へられる。
御祭典
一、歳旦祭 (一月一日、午前十一時)
一、節分祭 (二月三日、午後五時半)
星神祭 (二月三日、午後六時)
一、夏 祭 (七月十日、午後七時)
一、秋季大祭(十一月三日、午前七時半)
一、除夜祭 (十二月三十一日、午後十一時半)
毎月一日、十五日、午前十一時月次祭斎行。
国民の祝日に祝祭を斎行。
氏子崇敬者の皆様方お誘いの上御参拝下さい
ます様ご案内申し上げます。
境内社
神域には左記小宮がお祀りされています。
一、秋葉神社 火産霊神(ほむすびのかみ、火防の神)を祀る。厄除息災
(あきは) の御神徳有り。
十二月十五日、例祭斎行。
一、稲荷神社 稲荷大神(いなりおおかみ、五穀豊穣、開運招福福の神)を
(いなり) 祀る。
二月初牛祭斎行。
一、恵比寿神社 えびす大神(大国主命の子事代主命、ことしろぬしのみこと)
(えびす) を祀る。家内安全・商売繁盛の御神徳
有り。及び会場の守護神でもある。
八月十五日、例祭斎行。
一、吉備大臣宮 吉備大臣之神(きびのおおみのかみ、吉備真備公、きびのまきびこう、学問の守
護神)を祀る。十月十五日、例祭斎行
(きびだいじんぐう)
(以上)
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、豊宇気姫命、多遅麻毛理命。
創祀の由緒不詳。
天正年間(1573~1592年)兵火で焼失。
明治15年(1882年)三宅神社と改称。
明治24年(1891年)現在地に遷座。
昭和11年(1936年)村社。
江戸時代は「荒神」「北吸神社」と称していた。
かっては旧北吸村にあつて「荒神」さんとよばれた。
明治22年(1889年)舞鶴鎮守府設置の勅令により、旧社域(現市営三宅団地)一帯は軍港用地として買収され、同24年(1891年)に現在地に遷座した。
明治24年(1891年)、元の北吸は軍用地(射撃場)になって立ち退かされた、全戸が糸谷(現在の北吸谷)や浜地区に移住した。
とある。
延喜式神名帳・丹後国・加佐郡「三宅神社」の論社3社のひとつ。
当地は、舞鶴の政治・経済・軍事の中心地帯となっていて舞鶴市役所や海上自衛隊の施設等々が集中する重要拠点だ。
かつての北吸は北汐(きたしお)・北宿(きたしゅく)と呼ばれており、余部里庄に含まれていたようだ。
余部という地名は現在でも余部上(あまるべかみ)・余部下(あまるべしも)という地名となって残っている。
三宅神社は、当初北吸ではなく西側の三宅谷という場所にあったようだ(現在の三宅公園のあたりか)。
明治22年(1899年)に旧日本海軍により住宅もろとも買上げになり住宅が移転した。
三宅神社についても、明治24年(1891年)現在地に遷座したという経緯になっている。
個人的には、北吸(きたすい)という地名が気になる。
もとは、北汐(きたしお)・北宿(きたしゅく)が転訛したものだと思われるが、北汐ってどういう意味なのだろうか。
ご祭神は、豊宇気姫命であるが、当初は三宝荒神だったらしく、ひょっとしたら明治期にご祭神が再設定されたのかもしれない(個人的見解です)。
配祀である、多遅麻毛理についても丹後では珍しい。
三宅神社の場所は、分かってしまえば簡単だ。
国道27号線の北吸の交差点の西に石段がある、クルマで周囲を探索しても見つけにくいので徒歩が良い。
舞鶴市役所の駐車場に停めて徒歩でアプローチするのが良いだろう。
舞鶴市役所から国道27号線を西へ渡り、少し南へ行くと東門公園があり、その西側に三宅神社の石段がある。
周囲は歩道が広く整備されており歩きやすい。
石段は正面で突き当りになり左に折れて山を右へ巻くように続いている。
しばらく行くと社務所があり、右へ折れてさらに石段を登る。
石段を登りきると鳥居があり、さらに石段を登り社殿のある場所に出る。
社殿はフルオープンの拝殿と本殿で構成される。
明治24年(1891年)現在地に遷座の際に建築されたと思われる社殿はカッチリした印象のもの。
本殿は覆屋には入ってない、左右に雪よけの幕が張ってあるが新しいだけに状態は非常に良い。
新しいがピカピカという訳ではなく適度に渋い感じだ。
非常にきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。
旧日本海軍により遷座させられた神社。
注意点
駐車場はないので舞鶴市役所駐車場に駐車して歩くのが良い。
訪問ノート
訪問日 :2020/5/30
交通手段:クルマで訪問
カメラ :EOS80D + TAMRON 10-24mm F/3.5-4.5 Di II VC HLD B023
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。