267-060_大川神社(舞鶴市大川)

比定社:大川神社(舞鶴市大川)

式内社コード:267-060
神名帳社名 :大川神社、オホカハノ
社    格:名神大
所 在 地 :624-0101 京都府舞鶴市大川589
Plus Code  :C7X5+5F 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

大川集落の西の山裾に鎮座。
由良川西岸の国道175号線沿いに大きな神社の案内看板が出ているので見つけやすい。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

古木・巨木多く非常に渋い雰囲気の社域。
かなり大きく立派な本殿、彫り物も必見。

写真

由良川西岸の国道175号線沿いに大川神社の案内と社標が立っているので分かりやすい。
由良川西岸の国道175号線沿いに大川神社の案内と社標が立っているので分かりやすい。
大川神社を正面から望む。背後の山(徹光山)を見ると谷筋にあるのが分かる。
大川神社を正面から望む。背後の山(徹光山)を見ると谷筋にあるのが分かる。
右側(北)を望む。小さな橋があるのでかつては川があったのだろう。その右に見えるのが大きな駐車場。
右側(北)を望む。小さな橋があるのでかつては川があったのだろう。その右に見えるのが大きな駐車場。
右側(南)を望む。確かに小さな川があるが少しずれている。周辺は田畑と人家、それに山林。
右側(南)を望む。確かに小さな川があるが少しずれている。周辺は田畑と人家、それに山林。
一の鳥居を望む。入り口に大きな燈籠がある。門前町のような感じ。
一の鳥居を望む。入り口に大きな燈籠がある。門前町のような感じ。
一の鳥居をくぐると左手にかつての社務所のような建物は藁葺(荒木家住宅・京都府指定文化財)、右手に現在の社務所がある。
一の鳥居をくぐると左手にかつての社務所のような建物は藁葺(荒木家住宅・京都府指定文化財)、右手に現在の社務所がある。
一の鳥居をくぐると二の鳥居(両部鳥居)がある。色が朱色ではなく赤色だ。
一の鳥居をくぐると二の鳥居(両部鳥居)がある。色が朱色ではなく赤色だ。
二の鳥居をくぐると階段の上に山門がある。京都府指定文化財。
二の鳥居をくぐると階段の上に山門がある。京都府指定文化財。
山門は両部鳥居のような作りをしている。
山門は両部鳥居のような作りをしている。
山門をくぐると巨木がありさらに一段高くなって社殿がある。なかなか渋い雰囲気だ。
山門をくぐると巨木がありさらに一段高くなって社殿がある。なかなか渋い雰囲気だ。
巨木の奥にある手水舎。
巨木の奥にある手水舎。
まだ新しい由緒書。創建は創建は五世紀末第二十三代顕宗天皇己丑年(四八五)三月二十三日とある。
まだ新しい由緒書。創建は創建は五世紀末第二十三代顕宗天皇己丑年(四八五)三月二十三日とある。
階段を登りきると本殿前に出る。舞殿のような拝殿と本殿のみのシンプルな構成。双方とも京都府指定文化財だ。
階段を登りきると本殿前に出る。舞殿のような拝殿と本殿のみのシンプルな構成。双方とも京都府指定文化財だ。
本殿を望む。大きく、彫り物が非常に豪華。狛犬の表情が楽しい。
本殿を望む。大きく、彫り物が非常に豪華。狛犬の表情が楽しい。
本殿を右側から望む。全体的に彫り物が施されており豪華な印象。
本殿を右側から望む。全体的に彫り物が施されており豪華な印象。
本殿を左側から望む。よく手入れされているが渋い感じ、元治元年(1864年)の建築とある。こちらの狛犬も少し珍しい表情。
本殿を左側から望む。よく手入れされているが渋い感じ、元治元年(1864年)の建築とある。こちらの狛犬も少し珍しい表情。
本殿の裏側を望む。裏側にも少ないが彫り物がある、お寺のような作りをしている。
本殿の裏側を望む。裏側にも少ないが彫り物がある、お寺のような作りをしている。
本殿より舞殿のような拝殿を望む。
本殿より舞殿のような拝殿を望む。
本殿の反対側にある参集殿のような建物。この建物は新しい。
本殿の反対側にある参集殿のような建物。この建物は新しい。
安政三年、出羽本荘藩と刻まれた灯籠。どういういきさつで出羽国の本荘藩が燈籠を建てたのだろうか、北前船とかで交流があったのだろうか。
安政三年、出羽本荘藩と刻まれた灯籠。どういういきさつで出羽国の本荘藩が燈籠を建てたのだろうか、北前船とかで交流があったのだろうか。
舞殿のような拝殿のある広場から山門を望む。
舞殿のような拝殿のある広場から山門を望む。
二の鳥居越しに一の鳥居を望む。参道の両側に建物がたくさんあり門前町のような感じ。
二の鳥居越しに一の鳥居を望む。参道の両側に建物がたくさんあり門前町のような感じ。
一の鳥居より南を望む。向こうの高くなっているのは由良川の堤防と大川神社の御旅所・野々宮神社。左手に大きな駐車場。
一の鳥居より南を望む。向こうの高くなっているのは由良川の堤防と大川神社の御旅所・野々宮神社。左手に大きな駐車場。

感想

神社謹製の由緒書によると

延喜式内名神大社 大川神社
御祭神
 主神 保食神(生命主宰神)
 相殿 五元神(天地宇宙創造統一支配神)
     句々廼馳神(木神)
     軻遇突智神(火神)
     埴山姫神(土神)
     金山彦神(金神)
     罔象女神(水神)
御祭日
 春季例祭 四月二十九日(昭和の日)<旧祭日、四月二十三日>
 秋季大祭 十一月三日(文化の日) <旧祭日、十月二十八日>
御由緒
 創建は五世紀末第二十三代顕宗天皇己丑年(四八五)三月二十三日に宮柱を立て鎮祭したところから始まったとされる。同年九月二十八日祭祀云々と社伝にもあり、古来、天一位大川大明神と称え奉った。
第五十六代清和天皇貞観元年(八五九)神位従五位より上に進み、同十三年十一月、更に正五位下に昇進、「延喜式」の制なるや「名神大」二百八十五座の中に加えられ、また孝徳・天武・持統天皇記中、奉幣祈雨との記述があり、「六国史」所載の神社である。
近世に至って田辺藩主による武具寄進があり、明治十四年一月十五日、久邇宮朝彦王殿下より「大川神社」の親筆が寄せられている。明治五年、郷社に列し、大正八年六月七日、府社に列せられた。
平成二十四年四月吉日

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、保食神、(配祀)句句廼馳神・軻遇突智神・埴山姫神・金山彦神・罔象女神
顕宗天皇元年(485年)4月23日鎮祭。
天武天皇元年(672年)勅使奉幤(修正)。
持統天皇7年(693年)7月「祈雨の政」。
貞観元年(859年)従五位上。
貞観13年(871年)正五位下。
元治元年(1864年)造営。
明治5年(1872年)郷社。
明治14年(1881年)久邇宮朝彦王殿下より「大川神社」の親筆(追加)。
大正8年(1919年)府社。
江戸時代までは「大河大明神」「正一位五社大明神」「大川五社大明神」と呼ばれていた。
顕宗天皇の元年(485年)3月に、由良川域の漁師野々四郎が漁を営んでいたところに、『金色の鮭に乗り、右手に五穀の種、左手に蚕を携えた神』が川下から現れて、野々四郎に「当地に鎮座したいので社殿を造営せよ」と託宣したのが大川神社の起こりと伝わっている。

とある。

丹後国・加佐郡では唯一の名神大社。
鮭に乗った神さまがやって来た、という由緒を持つ神社は但馬国に多い、丹後国ではここだけではなかろうか。
・267-060_倭文神社(朝来市生野町)
・273-080_(論)楯縫神社(斎神社摂社:養父市長野)
・277-070_椋橋神社

ご祭神は、保食神(諸説あり)、丹後国加佐郡では唯一の名神大社となる。
鮭に乗った神さまがやって来た時にお持ちになったのが、五穀の種と蚕だった。
このことから農業と蚕の神さまと言われている。
大川神社は名神大社であるがゆえに、影響範囲も広いようで由良川筋の村々の総鎮守となっている。

鮭に乗った神さまがやって来た時に対応したのが、漁師の野々四郎という人。
漁師の野々四郎の対応や神さまが鮭に乗ってきたので、漁師さんからの崇敬も厚い。
その野々四郎が祀られていると言われる大川神社の御旅所・野々宮神社は、大川神社のすぐ前の国道175号線の向う側にある。
かつては現在の鎮座地よりもさらに由良川側の河川敷にあったそうだ。
舞鶴市の由良川の堤防建設のため2015年に現在地へと遷座している。

国道175号線から西へ曲がり神社へ向かうと手前に駐車場があり、かつては川が流れていたのか小さな橋がある。
周囲は人家・田畑・山林で、社殿は背後の山(徹光山)の谷筋を利用して階段状に建てられている。

一の鳥居をくぐると右側に社務所がありご祈祷の受付やお守りの授与をおこなっている。
左側には昔の社務所だろうと思われる藁葺きの建物(荒木家住宅)がある(京都府指定文化財)。
二の鳥居は両部鳥居で朱色というよりも赤で塗られているのが珍しい。

社殿の構成はシンプル、山門を抜けると拝殿そして本殿となる。
この3つの建物は京都府指定文化財となっている。

本殿前の一段下がった場所に舞殿のような拝殿がある。
本殿は非常に立派で大きい、彫り物も豪華で見応えがある、一見の価値がある。

社域には名神大社らしく摂社末社が非常に多い。
古木・巨木も多く古くよりここに鎮座していることが分かる。
全体的に古びた様子が非常に渋い雰囲気を出している。

鮭に乗った神さまがやって来た丹後国・加佐郡では唯一の名神大社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/10/28
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから