267-050_髙田神社(舞鶴市上安)

比定社:髙田神社(舞鶴市上安)

式内社コード:267-050
神名帳社名 :高田神社、タカタノ
社    格:小
所 在 地 :624-0912 京都府舞鶴市上安899
Plus Code  :F82X+VQ 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「たかだじんじゃ」と読む、地名の上安は「うえやす」と読む。
上安集落の南東の外れのJR舞鶴線の線路脇の平地に鎮座。
場所は分かっているのになかなか行き着けなかった神社、4回目くらいでやっと到達。
国道27号線の上安交差点のひとつ西側交差点(信号なし)を南へ入り踏切を渡る。
踏切を渡るとすぐに線路沿いに東へ入る農道があるのでこれを進むとある。
農道には駐車スペースが無いため徒歩でのアプローチ。
踏切の近所に駐車して徒歩でアプローチ。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

非常にきれいに保たれた渋い雰囲気の社域。

写真

国道27号線沿いの下上安というJR舞鶴線の踏切を南へ渡ってすぐに高田神社へのアプローチがある。アプローチが狭いのでクルマは広い場所に駐車するのが無難。
国道27号線沿いの下上安というJR舞鶴線の踏切を南へ渡ってすぐに高田神社へのアプローチがある。アプローチが狭いのでクルマは広い場所に駐車するのが無難。
アプローチはJR舞鶴線沿いに東へ入っていく。この道は狭く、駐車場所もこの先に無いので徒歩でのアプローチが良い。
アプローチはJR舞鶴線沿いに東へ入っていく。この道は狭く、駐車場所もこの先に無いので徒歩でのアプローチが良い。
アプローチの農道を進むと田畑の中に神社が見えてくる。正面は右へ回り込んだ南側となる。
アプローチの農道を進むと田畑の中に神社が見えてくる。正面は右へ回り込んだ南側となる。
高田神社を正面より望む。階段の上に一の鳥居、その向こうに二の鳥居(両部鳥居)、その向こうに拝殿となる。
高田神社を正面より望む。階段の上に一の鳥居、その向こうに二の鳥居(両部鳥居)、その向こうに拝殿となる。
右側(東)を望む。周辺は田畑に囲まれている。
右側(東)を望む。周辺は田畑に囲まれている。
正面(南)を望む。このあたりは谷筋にあたるようだ。
正面(南)を望む。このあたりは谷筋にあたるようだ。
アプローチしてきた方向(西)を望む。道は狭い、クルマは無理だと思う。
アプローチしてきた方向(西)を望む。道は狭い、クルマは無理だと思う。
階段を上がってすぐ左手に手水舎。手水鉢の左が赤茶けている。
階段を上がってすぐ左手に手水舎。手水鉢の左が赤茶けている。
一の鳥居をくぐるとすぐに二の鳥居(両部鳥居)がある。拝殿前の広場は非常にきれいに保たれている。
一の鳥居をくぐるとすぐに二の鳥居(両部鳥居)がある。拝殿前の広場は非常にきれいに保たれている。
二の鳥居(両部鳥居)をくぐり拝殿を望む。左右に振り分けの階段があるフルオープンタイプ、延享年間のものとある。
二の鳥居(両部鳥居)をくぐり拝殿を望む。左右に振り分けの階段があるフルオープンタイプ、延享年間のものとある。
拝殿越しに覆屋に入った本殿を望む。拝殿というよりも舞殿のような形式。
拝殿越しに覆屋に入った本殿を望む。拝殿というよりも舞殿のような形式。
拝殿に掲げられた神社謹製の由緒書。ご祭神は建田背神とある。
拝殿に掲げられた神社謹製の由緒書。ご祭神は建田背神とある。
拝殿より本殿を望む。渡り廊下のような回廊で繋がっている。
拝殿より本殿を望む。渡り廊下のような回廊で繋がっている。
拝殿と本殿を左側から望む。鳥居、拝殿、本殿と一直線のレイアウト。
拝殿と本殿を左側から望む。鳥居、拝殿、本殿と一直線のレイアウト。
本殿を右側から望む。覆屋に入っており内部は残念ながら見ることができない。
本殿を右側から望む。覆屋に入っており内部は残念ながら見ることができない。
本殿を右側から望む。本殿はきれいに保たれている。
本殿を右側から望む。本殿はきれいに保たれている。
本殿前には古い小さな狛犬が正面を向いている。かなり古いようで針金で固定されている。
本殿前には古い小さな狛犬が正面を向いている。かなり古いようで針金で固定されている。
本殿から配電越しに鳥居を望む。
本殿から配電越しに鳥居を望む。
鳥居から南を望む。正面にはこんもりとした丘がある。
鳥居から南を望む。正面にはこんもりとした丘がある。

感想

神社謹製の由緒書によると

髙田神社
社格 正三位 指定村社 延喜式内社
祭神 建田背神(たけだせのみこと) 天鈿女神(あまのうずめのみこと)
由緒
當社は 元大内郷に鎮座ましまし丹波國造の祭り給ひし御社なり
安康天皇(あんこうてんのう)の御宇 億計王(おけおう) 引計王(をけおう) 此の國に忍び給ひし御時 御崇敬あらせしと傳う
 降りて慶長の代 田辺城主京極高知公 伊佐津川の瀬替をなし 現状の如くなせし為 其後堂社流出の災に遭ひ給う
 此時 上安の某 大洪水を豫知して 御神体を負ひ奉り「みせんが谷」に遷し奉りしより 永く上安に御鎮座の事となりぬ
木内郷御本社の跡は 字宮知里として慶応の頃まで大木老松ありしが 仝二年八月暴風洪水の為跡を止めず
現社殿は寛保三年十月二萱葺 神明造として再建事始し 翌延享元年三月完工せしものなり
皇紀二千六百年記念 田中要之助宮司 謹書

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、建田皆神・天鈿女神。
安康天皇御宇(453~456年、諸説あり)億計王・弘計王潜住の時に崇敬。
延宝年間(1673~1681年)伊佐津川の氾濫で堂社流出、みせんが谷へ遷座、鈴木神社と同座(修正)。
延享元年(1744年)老朽化のため現在地へ遷座、再建開始、武揚権現を招遷(修正)。
明治37年(1904年)線路附設のため現在地移転。
昭和41年(1966年)社殿修理。
当初鎮座の地は旧上安区域杭ケ坪のあたり
 延宝年間(1673~1681年)伊佐津川の氾濫で堂社流出
 上安村、みせんが谷に遷座
 その後、現在の地に遷座
 明治37年(1904年)6月線路附設のため現在地に移転
大内郷時代の本社殿は「宮知里」と呼ばれる大木、老松のあつた所で、現在の倉谷地区と上安地区が境を接する旧上安区域杭ケ坪の辺であると云われている。
次いで、徳川時代延宝年間(1673~1681年)、伊佐津川の氾濫により堂社流出後、上安村、みせんが谷に移り、以前よりこの地で祀られていた鈴木神社と同座奉齊される。
更に社殿老朽のため現在地に新殿を設け、この際高迫山頂に鎭座する武揚権現を招遷し、高田大明神を主神として三体同座奉齊せられることとなる。

とある。

由緒によると、丹波国造(たにわのくにのみやつこ)が創建しただけに、ご祭神の建田背神(たけだせのみこと)は、神服連(かんはとりのむらじ)・海部直(あまべのあたい)・丹波国造・但馬国造(たじまのくにのみやつこ)などの祖とされる神さま。
いずれにしても古代の京都北部の国作りに深く関係した神さまだ。

当社の遷座は少々ややこしい、順にたどると次のようになると思う。
・当初は大内郷の上安・上安久・倉谷の3村が接する「宮知里」に鎮座していた
・延宝年間(1673~1681年)、伊佐津川の洪水のため流出し上安の「みせんが谷」に遷座、この時鈴木神社と同座しご祭神に天細女命が加わる
・延享元年(1744年)老朽化のため現在地へ遷座、再建開始、武揚権現を招遷。
・明治37年(1904年)鉄道線路のため現在地で移転
ということのようだ。

現在地へのアプローチは非常に難しい。
道路からも見えているのだが、なかなか行く方法が分からなかった、3回くらい近所まで行ったが分からなかった。
分かってしまえば簡単なのだが、踏切脇の線路沿いに東へ入る道を行けば良い。
ただしこの道は農道なので狭く駐車もできないので徒歩でのアプローチをする。

徒歩で線路脇を進む、すると意外と言ってはなんだがかなり手入れの行き届いた社域が現れる。
西側から南へ回り込むと神社正面となる。

社殿は拝殿と覆屋に入った本殿のみのシンプルな構成だが非常に雰囲気が良い。
本殿は延享元年(1744年)に建築されたものを移設されたものと思われる。
覆屋の中の本殿は見ることができないのが残念だ。
ところどころに非常に古い狛犬とか燈籠がある。
よく手入れされており気持ちよく参拝できる、紅葉の季節はきれいかもしれない。

洪水と老朽化により2回遷座した神社。

注意点

アプローチ道路は狭いので駐車は少し離れた場所にすること。

訪問ノート

訪問日 :2021/4/10
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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