比定社:(論)住吉神社(加西市北条町)
式内社コード:318-040
神名帳社名 :坂合神社、サカヒノ
社 格:小
所 在 地 :675-2312 兵庫県加西市北条町北条1318
Plus Code :WRPH+4C 加西市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
「すみよしじんじゃ」と読む、地名の加西市北条町北条は「かさいしほうじょうちょうほうじょう」と読む。
兵庫県道23号三木宍粟線と兵庫県道218号西田原姫路線が交わる交差点が「笠屋」交差点。
「笠屋」交差点の加西北条郵便局を左に見ながら旧市街を進むと左手に神明神社がありすぐ横に川が流れている。
この川を渡ってすぐに左へ進み道なりに行くと正面に鳥居が見える。
駐車場は東隣の酒見寺(さがみじ)前にある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通1】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
住吉大神の宮九箇処の一つ、国指定重要文化財の本殿3棟。
隣接する酒見寺(さがみじ)との関係。
国指定重要文化財(建造物)
住吉神社 東本殿
時代:江戸末期
年代:嘉永2
西暦:1849
構造及び形式等:桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
文化庁解説:
加西市北条町に位置する。養老元年(717)の鎮座と伝える式内社で、本殿は東本殿、中本殿、西本殿の3棟からなり、嘉永2(1849)から5年にかけて建立された。いずれも切妻造妻入の大型本殿で、その形態は住吉大社の住吉造との関連を彷彿させる。正面に装飾豊かな彫刻をつける等、幕末らしい意匠をみせる。本殿の前に長大な拝殿が建ち、文化5年(1808)の建立で、中央部の奥行を大きく造り、屋根を切り上げる独特な形式を持つ。大型の住吉造の本殿が3棟並立する構成は秀逸で、幕末の社殿として良質な境内環境を保つ。
国指定重要文化財(建造物)
住吉神社 中本殿
時代:江戸末期
年代:嘉永4
西暦:1851
構造及び形式等:桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
国指定重要文化財(建造物)
住吉神社 西本殿
時代:江戸末期
年代:嘉永5
西暦:1852
構造及び形式等:桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
国指定重要文化財(建造物)
住吉神社 拝殿
時代:江戸後期
年代:文化5
西暦:1808
構造及び形式等:中央部 桁行三間、梁間四間、切妻造、本瓦葺、正面向拝一間向唐破風造、銅板葺
両側部 各桁行四間、梁間三間、両端部入母屋造、本瓦葺
国指定重要文化財(建造物)
酒見寺多宝塔
時代:江戸中期
年代:寛文2
西暦:1662
構造及び形式等:三間多宝塔、一重本瓦葺、二重檜皮葺
文化庁解説:
酒見寺は行基菩薩の開創と伝える真言宗の寺院で、天正年間兵火にあって焼亡し、そのあと再興されたのが現在の伽藍であるという。 多宝塔は相輪伏鉢の刻銘などから寛文二年の建立と思われる。 この塔は大型で安定した外観をもち、構造手法が正統的で古風なところが見られ、この時代の多宝塔としては重要な遺構である。
写真
感想
神社謹製の説明書きによると
養老元年(西暦七一七年)に山酒人という方が中心
になり、当時の人々と相談の上祖神と住吉四社をおま
つりしたのが当社のはじまりである。
本社(三殿)御祭神
酒見神(当地住民の祖先神)
住吉四神(底筒男神、中筒男神、表筒男神、神功皇后)
大歳神(明治四十二年七月黒駒大歳神社を合祀)
八幡神(同年九月西上野八幡神社を合祀)
年中の主な祭
一.節句祭(例祭) 四月第一土曜日・日曜日
神事鶏合わせ 本宮
保安三年(一一二二年)に始まる
神事竜王舞 本宮
始まりは鶏合わせと余り時代に差がないと思われる
神輿二基・化粧屋台十四基が出る 両日共
二.夏 祭 七月二十九日・三十日
大祓(茅の輪くぐり) 七月二十九日・三十日・三十一日
三.厄除祭 (厄払い)八幡神 二月十九日
四.節分祭 (厄払い)酒見神・住吉神 二月初め節分の日
五.祈年祭 (生産事業繁栄祈願祭) 二月二十三日
六.七五三 (幼児三才・五才・七才の生長を感謝し無事を祈る) 十一月十五日
七.新嘗祭 (生産事業の実りを感謝する祭) 十一月二十三日
八.月次祭 毎月一日 午前七時より
とある。
加西市教育委員会謹製の「北条節句祭」によると
北条節句祭(ほうじょうせっくまつり)
開催日 毎年4月第1土・日曜日
場 所 北条町住吉神社
北条節句祭は、播磨三宮(さんのみや)である住吉神社(すみよし)とこの町並みを舞台に
800年以上の歴史を誇る播州三大祭りのひとつに数えられています。
当日は東郷・西郷の神輿(みこし)と、氏子町(うじこ)から繰り出す屋台14台が
町内を巡行(じゅんこう)し、勇壮(ゆうそう)な宮入を行います。
境内並びに御旅所では『鶏合せ(とりあわせ)』(県指定民俗文化財)が奉納(ほうのう)さ
れます。
『竜王舞』は、中世の姿をとどめた、鼻高面(はなたかめん)を付け、紙製の鳥
兜(とりかぶと)を筒袖の上衣に紋を染め赤袴(あかばかま)をしめた舞子が鉾(ほこ)を持ち、笛
・太鼓にあわせ舞います。
所作は東郷(ひがしごう)・西郷(にしごう)で特徴があり、東郷が雄の舞で荒々しく、
西郷は雌の舞で優雅に舞います。
また『鶏合せ』は、古式ゆかしい豊作祈願(ほうさくきがん)の行事で、保安(ほうあん)3
(1122)年から始められたといわれます。
東郷・西郷の執行人がそれぞれの雄鶏を高く差し上げて近寄
せると、鶏は蹴りあいをしようとしてにらみ合います。そのま
まの態勢を崩さない方を勝ちとします。
2011年3月
加西市教育委員会
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命・神功皇后・酒見神・(合祀)大歳神・八幡神。
景行天皇の御宇に創建。
養老年間(717~724年)に現社地に移転し住吉神を配祀。
奈良、平安時代は頭盛大を極めた。
鎌倉(1185~1333年)末期以降数兵火で荒廃衰微。
南北朝時代(1337~1392年)に酒見寺の手で社殿を復興。
天正年間(1573~1592年)姫路城主池田輝政三十石寄進。
慶安元年(1648年)神宮寺酒見寺に六十石の朱印。
嘉永3年(1850年)本殿改築。
明治に住吉神社と改称。
明治7年(1874年)2月郷社。
明治14年(1881年)12月県社。
当初の鎮座地は北條町黒駒と呼ばれている向山、養老年間に現社地に移転。
江戸時代までは「酒見神社」と呼ばれていた。
元正朝の養老年間に佐保明神を従えて上鴨西條の鎌倉峰に天降り、山の酒人が神託により創祀し酒見の神と称えたという。
当初の鎮座地は北條町黒駒と呼ばれている向山で、今もこの向山の麓の和泉谷に社殿の阯があるという。
大阪の住吉大社に伝わる「住吉大社神代記」〔天平3年(731年)〕に記された住吉大神の宮九箇処の一社である。
境内中央には勅使塚が遺っており、現在は「鶏合わせ」や「龍王舞」など神事の場として使われている。
当社の前の坂合家の裏庭には坂合神社という小祠があつて、土地の人はこの社が当社より古い神社であるという口碑を今に伝えている。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:底筒男命(ソコツツノオノミコト)
配祀神:中筒男命(ナカツツノオノミコト)・表筒男命(ウワツツノオノミコト)・神功皇后(ジングウコウゴウ)・大歳神(オホトシノカミ)・応神天皇(オウジンテンノウ)・仲哀天皇(チュウアイテンノウ)・四王子命(シオウジノミコト)・五王子命(ゴオウジノミコト)
由 緒:
養老元年(717)、山の酒人なるもの、摂津国の住吉大神の神託をかがふり、本社を創設する。神功皇后摂津住吉社領とし、附近寄進。平安朝、一条天皇の御宇正一位を寄せられ、当国三宮として、浅野家の崇敬あり。
鎌倉末期、北条別宮とし、摂津住吉神社の所管となる。建永2年(1207)、社殿焼失。後再建す。
数度の兵乱にて社殿荒廃するも、天正年間(1573~1591)、姫路城主池田輝政、これを嘆き、年々米三十石寄進。後、藩主本多美濃守は年々米六十石を寄進。
慶安元年(1648)徳川家光より累代の将軍より崇敬あり。
嘉永3年(1850)、社殿改築。
明治7年(1874)、郷社に列せられる。
明治14年(1881)、県社に列せられる。
明治42年(1909)、大歳神社・八幡神社を合祀。
大正5年(1916)、本殿弊殿を改築。
とある。
延喜式神名帳の播磨国・賀茂郡「坂合神社」の論社のうちの一つ。
(論)住吉神社(加西市北条町)のある当地は、まさに加西市の中心部分にある。
かつては(論)住吉神社(加西市北条町)と隣接する酒見寺(さがみじ)が町の中心だったことがよく分かる。
東は龍野・社があり南北に加古川が流れている、西は福崎で南北に市川が流れており、この2つの要衝の中間地点となっている。
古くより開けた場所らしく下記の遺跡がある。
小谷遺跡・ダガメ塚・高室薬師谷遺跡・南山2~4号墳・寺山1~9号墳・保木山1~5号墳・石黒山1~2号墳・石山1~3号墳・円山1~9号墳・一本松古墳・奥谷山古墳・坊主山古墳・塩田池遺跡・小谷城跡・女鹿山15~17、21号墳・長本遺跡・東長本遺跡・東長本1~3号墳・木ノ下遺跡・石堂遺跡・小山古墳・高室採石場・大道遺跡・横尾遺跡・城ノ内遺跡・ジヤマ古墳・黒福1~5号墳・古坂古池散布地・芝中1~2号墳・栗田1~2号墳・古坂1~2号墳・駒塚・荒神山古墳・小谷城関連遺跡・原谷居館跡・黒駒町遺物散布地・西高室遺物散布地・東高室遺物散布地・鴻谷1~2号墳・丸山ノ下1~2号墳・丸山ノ下遺跡・西高室1~2号墳・北条の五百羅漢(兵庫県考古博物館資料による)。
(論)住吉神社(加西市北条町)から北へ1.2kmほどの場所には小谷赤松氏の居城であった小谷城跡があり、赤松氏との関係も深い。
赤松氏は、現在の北条地区に「古市場」を開き「田舎なれども北条は都、月に六斎(回)市が立つ」と謳われた。
(論)住吉神社(加西市北条町)のご祭神は、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命・神功皇后・酒見神・(合祀)大歳神・八幡神。
景行天皇時代に酒見神を祀り創建、養老年間(717~724年)に現社地に移転し住吉神を配祀したという成り立ちのようだ。
(論)住吉神社(加西市北条町)は、大阪の住吉大社の「住吉大社神代記」(天平3年(731年))に記された住吉大神の宮九箇処の一社でもある。
ちなみに住吉大神の宮九箇処は次のようになっている。
摂津国 :住吉大社
摂津国西成郡:坐摩社、041-010_坐摩神社のこと
摂津国菟原郡:社、神戸市東灘区の本住吉神社のこと
播磨国賀茂郡:住吉酒見社、当社のこと
長門国豊浦郡:住吉忌宮、下関市の354-010_住吉神社のこと
筑前国那珂郡:住吉社、福岡市博多区の394-020_住吉神社
紀伊国伊都郡:丹生川上天手力男意気続々流住吉大神、和歌山県伊都郡
大唐国一処 :住吉大神社、任那日本府の地
新羅国一処 :住吉荒魂、新羅国
(論)住吉神社(加西市北条町)へのアプローチは、それほど難しくはない。
兵庫県道23号三木宍粟線と兵庫県道218号西田原姫路線が交わる交差点が「笠屋」交差点。
この「笠屋」交差点の加西北条郵便局を左に見ながら旧市街を進むと左手に神明神社がありすぐ横に川が流れている。
この川を渡ってすぐに左へ進み道なりに行くと正面に鳥居が見える。
ありがたいことに駐車場は東隣の酒見寺(さがみじ)前にある。
(論)住吉神社(加西市北条町)は東隣の酒見寺(さがみじ)をも含めると現在でも広大な神域となっている。
(論)住吉神社(加西市北条町)は東隣の酒見寺(さがみじ)の関係は不明だが一体の関係であったのだろうと想像できる。
鳥居をくぐると拝殿前の広場になる、広場の中央にはこんもりした勅使塚(ちょくしづか)があり神事に使われているということだ。
その勅使塚の向こうには拝殿、右手には境目がなく酒見寺、左手には手水舎や神庫がある。
拝殿は非常に立派で大きい、正面から見ると中央部が三間、左右は各々四間となっている。
この拝殿は文化5年(1808年)建築の国指定重要文化財。
拝殿後方には幣殿、その後方に住吉作りの本殿が3棟並んでおり、いずれも嘉永2(1849年)から5年にかけて建築され国指定重要文化財となっている。
拝殿には本殿に合わせて3つの鈴があり、それぞれ別に参拝することができるようになっている。
住吉大社は各々の本殿に直接参拝することができるので少し異なる参拝方法ではある。
本殿は石と木の垣により2重に囲まれており近づけないのが残念だ。
面白いのは本殿とその後方を結ぶ橋が右奥にあり、神社会館から本殿へと渡っていけるようになっていると思われる。
ちなみにこの橋は鉄骨製なので最近のものなのだろう。
橋の下をくぐって本殿後方に回り込むことができる、後ろ側からになるが本殿3棟を間近に見ることができる。
本殿屋根には北条節句祭の説明書きにあるように東郷(ひがしごう)の「丸に二つ引き」、西郷(にしごう)の「左三巴」のご神紋が付くのが興味深い。
いずれにしても古くより地域と深いつながりを保ち続けている神社であることが見て取れる。
建物等の保存と同時に無形である北条節句祭のような行事についても長く続くことを願わずにはいられない。
地域に根ざし地域とともにあることを実感する神社。
注意点
駐車場が少ないので注意。
訪問ノート
訪問日 :2019/6/29
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。