266-080_河牟奈備神社

比定社:河牟奈備神社

式内社コード:266-080
神名帳社名 :珂牟奈備神社、カムナヒノ
社    格:小
所 在 地 :629-1242 京都府綾部市十倉名畑町古気良谷10-4
Plus Code  :89R8+W2 綾部市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「かむなびじんじゃ」と読む、地名の十倉名畑は「とくらなばたけ」・古気良は「こけら」と読む。
十倉名畑町の集落の東の端の山裾に鎮座。
福井県道・京都府道1号小浜綾部線沿いに立派な両部鳥居があるのですぐに分かる。
神社西側に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

立派な両部鳥居、本殿の組物と彫り物が豪華。

写真

河牟奈備神社を正面から望む、前の道路は福井県道・京都府道1号小浜綾部線。
河牟奈備神社を正面から望む、前の道路は福井県道・京都府道1号小浜綾部線。
右側(東)を望む、この方向は小浜へ通じる街道となっている。
右側(東)を望む、この方向は小浜へ通じる街道となっている。
正面(南)を望む、河牟奈備神社の正面にも山がありその向こう側の佃町方面への道。
正面(南)を望む、河牟奈備神社の正面にも山がありその向こう側の佃町方面への道。
左側(西)を望む、すぐ西側に駐車スペースがある。この先は綾部方面。
左側(西)を望む、すぐ西側に駐車スペースがある。この先は綾部方面。
一の鳥居は立派な両部鳥居、すごく目立つので目印になる。
一の鳥居は立派な両部鳥居、すごく目立つので目印になる。
綾部市観光協会・綾部の文化財を守る会謹製の由緒書、古墳があり背後の山が神南備山だったろうとある。
綾部市観光協会・綾部の文化財を守る会謹製の由緒書、古墳があり背後の山が神南備山だったろうとある。
これまた立派な社標には郷社式内とある。
これまた立派な社標には郷社式内とある。
両部鳥居をくぐると参道があり、参集殿のような集会所のような建物が続く。
両部鳥居をくぐると参道があり、参集殿のような集会所のような建物が続く。
シンプルな手水舎。
シンプルな手水舎。
別の場所に以前使われていたのだろうか?手水鉢が置いてあり寛保年間と見て取れる。
別の場所に以前使われていたのだろうか?手水鉢が置いてあり寛保年間と見て取れる。
参道左には蔵もあるが少々朽ち気味、かつてはかなりの規模だったのかもしれない。
参道左には蔵もあるが少々朽ち気味、かつてはかなりの規模だったのかもしれない。
階段を登ると新しい二の鳥居と本殿がある。
階段を登ると新しい二の鳥居と本殿がある。
二の鳥居は真新しい、社殿は覆屋と本殿のみのシンプルな構成。
二の鳥居は真新しい、社殿は覆屋と本殿のみのシンプルな構成。
本殿を右側から望む、立派な作り。
本殿を右側から望む、立派な作り。
本殿を左側から望む、なにやら4本の柱で区切られた小さなスペースがある、何に使うのか不明。
本殿を左側から望む、なにやら4本の柱で区切られた小さなスペースがある、何に使うのか不明。
覆屋に入った本殿はかなり大きい、彫り物と組物が立派。
覆屋に入った本殿はかなり大きい、彫り物と組物が立派。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
何に使うのか分からないスペース、4本の柱の中に何かが祀られていたのだろうか?
何に使うのか分からないスペース、4本の柱の中に何かが祀られていたのだろうか?
拝殿本殿より二の鳥居と一の鳥居を望む。
拝殿本殿より二の鳥居と一の鳥居を望む。

感想

綾部市観光協会・綾部の文化財を守る会謹製の由緒書によると

式内社 河牟奈備神社(かむなび)
祭神 天下春神
 この地を今も大宮というのはかって崇敬篤い近郷近在の大社であった故であろう。境内に数基の古墳がある。元亀天正の頃、兵火に罹り宝物記事等を焼失した。
 後朱雀天皇の長元九年(一〇三六)大嘗会(だいじょうえ)主基方(すきがた)神遊の歌に丹波国神奈備山を
  常磐(ときわ)なる神奈備(かんなび)山の榊葉
   さしてぞ祈る万代のため(千載集、せんざいしゅう)
と詠まれているが神奈備山はこの大宮の背後の山と云われている。尚境内の阿上(あがみ)社には永久二年(一一一四)銘の御神体の石碑がある。現在、綾部市最古の金石文である。
綾部市観光協会
綾部の文化財を守る会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、天下春命、他の説として以下のものがある。
 『神名帳考証』神魂命
和銅年間(708~715年)創立。
長元9年(1036年)大嘗会主基方神遊の歌(千載集)。
永久2年(1114年)銘の石碑がある。
元亀(1570~1573年)、天正年間(1573~1592年)兵火で焼失。
宝暦3年(1753年)造営。
江戸時代までは「大宮一宮大明神」と呼ばれていた。
鎮座地の背後の河牟奈備山は、平安時代には神が宿る山として有名であり、「千載集」にも登載されている。
神社建立の時に下山して現在地に祭祀されたものと考えられる。
鎮座地に古墳二基(円墳)、道路の向側(南)に古墳一基(円墳)がある。
古墳の上、周囲に神社を建立して祖先神を祭る例が多く、ここもその典型的な式内社の形である。

とある。

綾部市史によると以下の内容が残る。

河牟奈備神社
祭神=天下春命 「渡会氏神名帳考証」では神魂命となっている。
由緒=社伝によれば和銅二年に創立され、賀美拝師の氏神であったとしている。元亀・天正のころ兵火にかかり、旧記宝物すべてを焼失したという。
昔から大宮一休大明神ととなえ、背後の山を「かなみ山」と呼んでいるのは、神奈備山からきたものであろう。

とある。

当地は、前に街道が走り古墳があるので古くから開けたと考えられる。
地名の古気良谷(こけら)とは何をさしているのだろう、気になる…。
古気良谷は、当社の北側の小さな谷のことを指していると思われる。
それに大宮という地名が残っているとあるが、確かにそれは確認できるが住所が大宮でないのはなぜだろう。
河牟奈備山とは、どの山だったのか?、を特定する必要もあるように思う。

社域は奥に長くて広いが、巨木・古木の類は見かけない、比較的若い木々が多いと感じた。
やはりここでも天正年間の頃の影響が出ているのだろうか、記録もこの頃に焼失したとある。

社殿は、覆屋に入った本殿で構成される、覆屋が拝殿を兼ねるような感じだ。
本殿はかなり立派な作りで、こけら葺きで彫り物組物が施されており宝暦3年(1753年)造営とある。

かつて「大宮一宮大明神」「大宮一休大明神」と呼ばれていたことを見ると規模が大きかったことが想像できる。
この頃のことが分かれば面白いと思う。

また摂社末社の阿上(あがみ)社には永久2年(1114年)銘の石碑があるとのこと(綾部市最古)。
確かに祠の下に石があるのは確認できたが、もう少しなんとかならないものだろうか。

いろいろ分からないことは多いが、非常に良く手入れされていて気持ちよく参拝できる神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/18
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから