318-010_(論)高峯神社

比定社:(論)高峯神社

式内社コード:318-010
神名帳社名 :崇健神社、タカタケノ
社    格:小
所 在 地 :675-2365 兵庫県加西市畑町1062
Plus Code  :XR55+9Q 加西市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「たかみねじんじゃ」と読む、地名の加西市畑町は「かさいしはたちょう」と読む。
兵庫県道23号三木宍粟線の畑交差点を北へ入り、あとは1本道で突き当りに鳥居と獣除けフェンスがある。
獣除けフェンスは開けたら必ず閉めること、クルマは鳥居を過ぎたあたりに駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

高峯山曼荼羅寺との関係。

写真

(論)高峯神社を正面より望む。獣除けフェンスを開けると鳥居があり参道が続く、向こうの方に拝殿がチラッと見える。参道の途中に駐車可能。
(論)高峯神社を正面より望む。獣除けフェンスを開けると鳥居があり参道が続く、向こうの方に拝殿がチラッと見える。参道の途中に駐車可能。
周辺の山の案内図。現在地の高峯神社の左上に河上神社がある。さらにその左上の方角の山頂部にかつての高峯神社は神宮寺である曼荼羅寺と共に鎮座していたと思われる。
周辺の山の案内図。現在地の高峯神社の左上に河上神社がある。さらにその左上の方角の山頂部にかつての高峯神社は神宮寺である曼荼羅寺と共に鎮座していたと思われる。
参道を進むと拝殿前の広場に到着。ブルーシートは興ざめだがたぶん土俵があるものと思われる。拝殿は大きく立派。
参道を進むと拝殿前の広場に到着。ブルーシートは興ざめだがたぶん土俵があるものと思われる。拝殿は大きく立派。
拝殿を左側より望む。
拝殿前の広場の右側には手水舎等がある。左奥は谷筋となっていて治水治山工事がなされている。
拝殿前の広場の右側には手水舎等がある。左奥は谷筋となっていて治水治山工事がなされている。
拝殿は低い腰板が付いたオープンな形式。
拝殿は低い腰板が付いたオープンな形式。
拝殿を左側より望む。石灯籠には寛政七年とある。
拝殿を左側より望む。石灯籠には寛政七年とある。
拝殿の扁額には高峯神社とある。
拝殿の扁額には高峯神社とある。
拝殿後方には幣殿・本殿と続く、いずれも立派なで大きい。本殿には丸に二つ引きのご神紋がある。大正8年(1919)に再建の記録が残っている。
こちらの石灯籠には文化二年とある。
こちらの石灯籠には文化二年とある。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿前より鳥居方向を望む。
拝殿前より鳥居方向を望む。

感想


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、国常立尊・伊弉那岐尊・伊邪那美尊・天照大神・月夜見神・稚産靈神。

由緒不詳
戦国時代尼子氏の兵火で焼失。
天文11年(1542年)現在の地に遷座。
貞享2年(1685年)再建(追加)。
明治7年(1874)村社に列せられる(追加)。
大正8年(1919)再建(追加)。

当初神頭(かもじ)山頂上にあつた。
天文11年(1542年)現在の地に遷座。
当社は高峯山曼荼羅寺が神宮寺であり当初神頭(かもじ)山頂上にあつた。
社名は崇健-高岳(嶽)-高廻-高嶺-高峯と変化したと思われる。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:国常立神(クニノトコタチノカミ)
配祀神:伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)・天照大神(アマテラスオオカミ)・月讀神(ツキヨミノカミ)・稚産靈神(ワクムスビノカミ)

由 緒:
 往古、五社大明神と称し、神社後方の山頂にありて、直後の境内神社たる天満神社を遙拝所とした。
 天文11年(1542)、今の地に遷座。
 貞享2年(1685)、再建。
 明治7年(1874)、村社に列せられる。
 大正8年(1919)、再建。

とある。


崇健神社の論社のひとつ。

(論)高峯神社のある当地は、加西市から西へ福崎町へ通じる街道筋の北側の山麓に鎮座
かつては神社後方の山頂に鎮座しており、高峯山曼荼羅寺が神宮寺(現在は廃寺)だったとある。
そして天文11年(1542年)に現在地へ遷座したと伝わっている。
山奥や山頂にあった神社が里へ降りてきたという経緯は他でも多く残っている。
村人の参拝や維持管理がし易いようにという理由が多いようだ。
神宮寺を伴っていたということは規模がそれなりに大きいものだったのだろう。
当初の山頂に鎮座していた理由はなんだろう、ご祭神に所以があるのか、鉱物等が採取できたのか今となっては不明だ。
社域は山裾と田畑の境目に当たり、現在は谷筋の一番奥になっている。
この谷はまだ置くまで続いており、さらに奥に河上神社があるようだ(未訪問)。
かつての鎮座場所である神宮寺の高峯山曼荼羅寺跡はさらに奥の深山の山頂付近にある。
周囲には、鳥居元遺跡・内垣内遺跡・大崎遺跡・倉狭間遺跡・八幡ヶ谷古墳(伝承地)・上山遺跡・今善寺遺跡・曼荼羅寺跡・高峰山城跡・畑町遺物散布地(兵庫県考古博物館資料による)がある。

(論)高峯神社のご祭神は、国常立尊。
崇健神社の論社のひとつで記録が少ない神社、場所的な由来やご祭神との関係についても不明だ。

(論)高峯神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
兵庫県道23号三木宍粟線の畑交差点を北へ入り、あとは1本道で突き当りに鳥居と獣除けフェンスがある。
獣除けフェンスは開けたら必ず閉めること、クルマは鳥居を過ぎたあたりに駐車可能。

田畑の中のアプローチを進むと少し小高い場所となり獣除けのフェンスがある。
獣除けのフェンスは自由に開閉できるが開けたら必ず閉めること。
獣除けフェンスを過ぎると鳥居がある、鳥居の向こう側にクルマを駐車できるスペースがある。
鳥居を過ぎると参道が続き途中には池の中に祠があるが詳細は不明だ。
祠を過ぎると拝殿前の広場に到着する。
拝殿は立派な作りとなっており低い腰板の付いたオープンな形式のもの。
拝殿の後方には幣殿その奥に本殿と続く。
本殿の屋根には丸に二つ引きのご神紋があるがこれまた詳細は不明だ。
大正8年(1919)に再建の記録が残る建物は規模が大きく立派で状態も良いようだ。
社域には寛政年間や文化年間の石灯籠が残る。

記録が残っておらず詳細は不明だが、このあたり一帯の山を含む場所が大きな信仰の地だったのかもしれない。
神と仏の両方を大切にしたのではなかろうか。

かつて曼荼羅寺を神宮寺として栄えた神社。

注意点

獣除けフェンスを開けたら必ず閉めること。

訪問ノート

訪問日 :2019/2/17
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから