317-010_荒田神社(多可郡多可町)

比定社:荒田神社(多可郡多可町)

式内社コード:317-010
神名帳社名 :荒田神社、アラタノ
社    格:小
所 在 地 :679-1214 兵庫県多可郡多可町加美区的場145-1
Plus Code  :3VMP+GG 多可町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「あらたじんじゃ」と読む、地名の多可町加美区的場は「たかちょうかみくまとば」と読む。
国道427号線より西へ入りまっすぐ200メートル進めば到着する。
多可町立交流会館を目指していけば間違うことはないだろう。
神社前に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

天目一箇命とその妻の道主日女命を祀るところ。

写真

荒田神社を正面より望む。立派な両部鳥居と山門が印象的。
荒田神社を正面より望む。立派な両部鳥居と山門が印象的。
右側(北)を望む。周囲は山林と田畑。
右側(北)を望む。周囲は山林と田畑。
正面(東)を望む。真っ直ぐな道が国道427号線まで200メートル続く。
正面(東)を望む。真っ直ぐな道が国道427号線まで200メートル続く。
左側(南)を望む。周囲は山林だがほぼ平地、神社前に駐車スペースがある。
左側(南)を望む。周囲は山林だがほぼ平地、神社前に駐車スペースがある。
両部鳥居の扁額には「二宮正一位荒田大明神」とある。
両部鳥居の扁額には「二宮正一位荒田大明神」とある。
神社謹製の説明書き。
両部鳥居をくぐると一段高いところに立派な山門がある。
両部鳥居をくぐると一段高いところに立派な山門がある。
さらに一段登ると社殿前の広場に出る。社殿の建っている広場はかなり広くて整備が行き届いている印象。
さらに一段登ると社殿前の広場に出る。社殿の建っている広場はかなり広くて整備が行き届いている印象。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
社殿は拝殿、幣殿、本殿の構成。かなり大きく立派な建物であることが分かる。残念ながら幣殿と本殿は垣で囲まれて近づくことができない。
社殿は拝殿、幣殿、本殿の構成。かなり大きく立派な建物であることが分かる。残念ながら幣殿と本殿は垣で囲まれて近づくことができない。
拝殿内部を望む。
拝殿内部を望む。
本殿の屋根部分。鰹木は5本、千木は外削ぎ。屋根部分に菊、丸木に木瓜のご神紋、破風部分に丸の内に二つ引きの紋がついている。
本殿の屋根部分。鰹木は5本、千木は外削ぎ。屋根部分に菊、丸木に木瓜のご神紋、破風部分に丸の内に二つ引きの紋がついている。
本殿を左側より望む。幣殿もかなり立派な作り。
本殿を左側より望む。幣殿もかなり立派な作り。
左側後方より拝殿を望む。社殿の建っている場所がかなり広いことが分かる。無効に見えるのは手水舎。
左側後方より拝殿を望む。社殿の建っている場所がかなり広いことが分かる。無効に見えるのは手水舎。
拝殿と幣殿、本殿を左側より望む。
拝殿と幣殿、本殿を左側より望む。
山門より両部鳥居を望む。
山門より両部鳥居を望む。
両部鳥居より正面を望む。少し方角はずれているが国道427号線まで真っ直ぐな道が続いている。
両部鳥居より正面を望む。少し方角はずれているが国道427号線まで真っ直ぐな道が続いている。

感想


神社謹製の説明書きには

荒田神社由緒

松井庄村福原的場に鎮座す(現多可郡加美町的場)
祭神 少名彦命(すくなひこなのみこと) 素盞鳴命(すさのおのみこと) 木花咲爺姫命(このはなさくやひめのみこと)なり
社傅にいう人皇第四十六代孝謙天皇の御代天平
勝宝元年五月七日當所に天神の降臨あり。其夜大雨
降りしきり為めに田畑悉く流失さる 里民大いに恐れて
相集まりて神助を乞い字野尻に一祠を建立して
荒田神社と唱う 今もその地を神立という後桓武天皇の御代
田村将軍の當所を管領するや其神徳のいやちこなるを
聞き社殿を改造し社殿を寄進し祭儀を旺んにす 時に
勅使大納言道広卿参向ありて播州二宮正一位荒田大明神
と宣下ありきという 爾後社運隆々たりしも元亀天正世
はかりごもと乱れ又かえるみるものなかりしば是非なき次第なりき
徳川氏の御代となりて漸く維新の方法を講じ再び社運
開きて千崇敬人年をおいて増しぬ殊に明石城主松平
兵庫頭殊の外崇敬ありて屡々金員を献納せり
維新後明治七年二月郷社に大正三年十二月縣社に加列
昇格さる
祭礼日は旧来九月九日なりしも近年は十月十七日
現今は十月十日に斎行せらる
 左記境内末社を鎮す
 八幡神社 大和気命(やまとたけるのみこと)を祭る
 春日神社 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)を祭る
 秋葉神社 迦具土神(かぐつちのかみ) 幸魂(さきみたま) 奇魂(くしみたま)を祭る
 愛宕神社 迦具突智神(かぐつちのかみ)を祭る
 天満神社 菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)を祭る
 蛭子神社 蛭子命(ひるこのみこと)を祭る
 大神神社 豊受大神(とようけのおおかみ)を祭る

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、少彦名命・木花開耶姫命・素盞嗚命。

天平勝宝元年(749年)5月7日女体唐人束帯赤衣で天降來臨。
天平神護元年(765年)封戸四戸。
延暦13年(794年)勅使大原道広参向。
鎌倉末期播磨国二の宮と称す。
元亀(1570~1573年)天正(1573~1592年)の頃は衰頽。
慶長14年(1609年)姫路城主池田輝政境内を除地。
寛文2年(1662年)社殿新築。
寛文8年(1668年)9月現在の地に遷座(追加)。
弘化元年(1844年)4月に御鎮座千年祭を執行。
明治7年(1872年)2月郷社。
大正3年(1914年)12月県社。
大正5年(1916年)4月11日神饌幣帛料供進神社指定。

慶長年代(1600年頃)、安楽田の東端道路北方に在った、寛文8年(1668年)9月現在の地に遷座。

奈良時代初期には道主日女命を祭神とする社が成立していたと思われる。その夫とされる天目一命は鍛冶神であり、この地には鍛冶工が集団居住してこの神を祭り神婚した奉仕巫女の神格化したものが道主日女命であろう。
慶長年代(1600年頃)、安楽田の東端道路北方に在ったが、寛文8年(1668年)9月、荒田町大火の際、神社を始め別当大乗寺諸共灰燼と化し、往古の貝野村氏神大歳神社の境内を拡張して、この地に合祀したと伝えられている。
延宝5年(1677年)の荒田町検地には大歳神社境内社と掲げられている。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)
配祀神:道主比売命(ミチヌシヒメノミコト)・少彦名命(スクナヒコナノミコト)・木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)・素盞嗚命(スサノオノミコト)

由 緒:
 天平勝宝元年(749)、少彦名命が村内の福原字神立に天からお降りになり、その夜、村内に大雨が降った。村人は雨があがるのを祈ったところ願いがかない、これに感激して村内字野尻に小社を建て、荒田神社と称したと伝えられている。
 あるいは、「播磨国風土記」にみえる天目一箇命、道主日女命を祀った社が当社であるともいわれている。
 また、平安時代には坂上田村麿の崇敬を受けたと伝えられているのをはじめ、播磨国二宮として、多くの崇敬を集めてきた。 建物は、檜皮葺流造の本殿と檜皮葺入母屋造の拝殿があり、宝物として剣、古刀、宝鏡などがある。それと、県指定の天然記念物「勅使の杉」があったが、昭和40年(1965)の台風23号の襲来によって倒伏した。

とある。


荒田神社のある当地は、杉原川沿いの谷筋が山間から平地に出た場所の西岸の平地に鎮座する。
意外と言っては失礼だが、東は多可町中心部を経て黒田庄や西脇中心部、南は北条町や加西市、西は播磨と但馬をつなぐ街道筋の神河町、北は1000m級の山々、生野銀山までは直線距離にして11kmほど、谷筋を遡ると青垣に達する。
兵庫県中央部においては東西南北をつなぐ交通の要衝であったのかもしれない。
周囲には以下の遺跡等がある。
的場東山地区散布地・的場オサマ遺跡・的場クゴ地区散布地・的場西田遺跡・的場東山散布地・荒田神社北地区散布地・荒田神社裏遺跡・荒田神社周辺散布地・的場山ノ畑遺跡・的場・寺内条里・丸山古墳・荒田神社古墳・金蔵山金蔵寺遺跡等がある(兵庫県考古博物館資料による)。
かつて荒田神社は2kmほど東の杉原川東岸、安楽田にあったようだが寛文8年(1668年)9月現在の地に遷座したとある。
このあたりの記録は残っておらずハッキリしない。

荒田神社のご祭神は、少彦名命・木花開耶姫命・素盞嗚命。
「『播磨国風土記』にみえる天目一箇命、道主日女命を祀った社が当社であるともいわれている。」とあり、かつて奈良時代初期には道主日女命を祭神とする社が成立していたとされている。
その天目一箇命(あめのまひとつのみこと)を祀る「317-060_天目一神社」までは直線距離にして南へ9.3kmほど。
当地域は鉄の匂いがプンプンする、杉原川谷筋より産出された鉱物資源がこのあたりに集積されていたのではないだろうか(個人的見解です)。
現在のご祭神では配祀として道主日女命のお名前が見えるが、かつては天目一箇命、道主日女命をお祀りしていたと想像する。また神社謹製の由緒書には、田村将軍(坂上田村麻呂)・大納言道広卿(宮代将監(気比)道弘?、この頃に播州二宮となる?)・明石城主松平兵庫頭(不明)と様々な人物が登場する。

荒田神社へのアプローチは分かりやすい。
国道427号線より西へ入りまっすぐ200メートル進めば到着する。
多可町立交流会館を目指していけば間違うことはないだろう。
ありがたいことに神社前に駐車スペースがある。

東を向いて立派な両部鳥居が建っている。
両部鳥居前から振り返ると国道427号線までは一直線となっている。
その両部鳥居の扁額には「二宮正一位荒田大明神」とある。
両部鳥居をくぐると一段上がって立派な山門、さらに一段上がると社殿前の広場に出る。
見える限りの社域はかなり広く社殿もかなり立派なものとなっている。
拝殿後方には幣殿が設けられ、幣殿および本殿は垣に囲まれ残念ながら近づくことができない。
本殿屋根には菊、丸木に木瓜のご神紋、本殿の破風部分にも丸の内に二つ引きの紋が付いている。
社殿は全般的に状態は良く新しいものに思われる。
社域は非常に手入れが行き届き地域に大事にされている様子がよく分かる。

天目一箇命とその妻の道主日女命を祀ったかもしれない神社。

注意点

特に無し。

訪問ノート

訪問日 :2019/2/17
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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式内社一覧表はこちらから

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