311-020_阿宗神社

比定社:阿宗神社

式内社コード:311-020
神名帳社名 :阿宗神社、アソノ
社    格:小
所 在 地 :679-4134 兵庫県たつの市誉田町広山492
Plus Code  :RHW8+W2 たつの市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「あそうじんじゃ」と読む、地名の誉田町広山は「ほんだちょうひろやま」と読む。
誉田町広山集落の中央の林田川西岸すぐの平地に鎮座。
林田川を渡る国道179号線の永久橋西詰交差点を南へ入り100メートルほどで西へ入ると50メートルほどで到着する。
鳥居をくぐって100メートルほど南側に神社の駐車場が完備されている。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

阿蘇親王との関係。

写真

阿宗神社を正面より臨む。道路を挟んで山門がある。
阿宗神社を正面より臨む。道路を挟んで山門がある。
鳥居をくぐり山門を正面より臨む。お寺のような作り。
鳥居をくぐり山門を正面より臨む。お寺のような作り。
山門前より右側(東)を臨む。向こうは林田川、かつてはこの道が街道筋だったと思われる。
山門前より右側(東)を臨む。向こうは林田川、かつてはこの道が街道筋だったと思われる。
山門前より正面(南)を臨む。鳥居の向こう100メートルほどに駐車場がある。かつては参道が続いていたのだろうか。
山門前より正面(南)を臨む。鳥居の向こう100メートルほどに駐車場がある。かつては参道が続いていたのだろうか。
山門前より左側(西)を臨む。前の道は右へ曲がり国道179号線に合流する。
山門前より左側(西)を臨む。前の道は右へ曲がり国道179号線に合流する。
山門をくぐると拝殿前の広場。
山門をくぐると拝殿前の広場。
神社謹製の由緒書。宇佐八幡宮を岡ノ峯(現立岡山)に勧請したとある。
神社謹製の由緒書。宇佐八幡宮を岡ノ峯(現立岡山)に勧請したとある。
広場の右手には少し床の高い舞殿のような建物。
広場の右手には少し床の高い舞殿のような建物。
広場の左手には手水舎。
広場の左手には手水舎。
手水舎。
手水舎。
拝殿を正面より臨む。
拝殿を正面より臨む。
拝殿を右側より臨む。割拝殿のようになっており土間打ち。
拝殿を右側より臨む。割拝殿のようになっており土間打ち。
割拝殿越しに拝殿を臨む。内部には奉納された額などが多数飾られている。
割拝殿越しに拝殿を臨む。内部には奉納された額などが多数飾られている。
割拝殿と拝殿の間から参拝する。雨に濡れなくて済むので良い感じ。
割拝殿と拝殿の間から参拝する。雨に濡れなくて済むので良い感じ。
拝殿内部の様子。
拝殿内部の様子。
割拝殿後方の拝殿・幣殿を右側より臨む。
割拝殿後方の拝殿・幣殿を右側より臨む。
幣殿後方の本殿を右側より臨む。
幣殿後方の本殿を右側より臨む。
本殿は大きくて立派なもの状態も良い。建築年は不明。
本殿は大きくて立派なもの状態も良い。建築年は不明。
本殿左奥より拝殿を臨む。
本殿左奥より拝殿を臨む。
拝殿前より山門を臨む。
拝殿前より山門を臨む。

感想


神社謹製の由緒書によると

式内 阿宗神社由緒書

一.御祭神
 神功皇后
 応神天皇     一.元宮御祭神 阿蘇親王
 玉依姫命
一.境内社
 摂社一社 末社七社
一.縁起
 欽明天皇の御代に当国司大伴狭手彦勅を奉じ
 筑紫国宇佐八幡宮を岡ノ峯(現立岡山)に勧請す
 後、文治五年内山城主塩津新左衛門尉義経、広山村
 に遷す。延喜式神名帳揖保郡七座の一つなり
  (当社々記より)

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、神功皇后・応神天皇・玉依姫命、(配祀)息長日子王。

欽明天皇(539~571年)5月24日の時宇佐八幡宮を立岡の岡の峯に勧講。
文治5年(1189年)正月現在の地に遷座。
嘉慶2年(1388年)3月国司前越後守顯則田地を寄進。
天文10年(1541年)12月2日兵火で焼失。
天文18年(1549年)地頭代官周東宗次鳥居を再興す(追加)。
元亀3年(1572年)10月25日兵火焼失。
天正2年(1574年)9月再興。
寛政5年(1793年)本殿の屋根替を行ひ龍野城主生駒侯御供田三反(追加)。
天保3年(1832年)龍野藩主脇坂淡路守雨請祈願。
明治7年(1874年)2月郷社。
明治14年(1881年)6月県社。
大正5年(1916年)4月神饌幣帛料供進神社指定。

江戸時代までは「弘山八幡宮」と呼ばれていた。

欽明天皇の御世、国司大伴狭手彦が勅を奉じて、筑紫国宇佐八幡宮の分霊を立岡の岡の峯に勧講した。
鎌倉期に岡ノ峯八幡を現在地に遷座した。旧地には小宮がその後も存在していたが、時代を経るに従い、旧阿宗神社は次第に寂れ、明治中期に氏子内の小社を境内地内に遷した時、この旧阿宗神社も現阿宗神社の社地に遷された。
式内社の阿宗神社は、立岡山から直接現在地へ遷ったのではなく、その途中に里宮(遙拝所)の時代があったのではないかと考えられている。
明治初年迄、天台宗別当持ちの神社で、神職を置かなかつた。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:神功皇后(ジングウコウゴウ)
配祀神:応神天皇(オウジンテンノウ)・玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)・息長日子王(阿宗親王)(オキナガヒコノキミ(アソウシンノウ))

由 緒:
 伝えいふ欽明天皇の御代大伴狹手彦勅を奉じて宇佐八幡宮の分霊を当村立岡の岡ノ峯に勧請したるに初まり、文治5年(1189)内山城主鹽津義綱当社を廣山村の今の地に遷座す。
 之より先延喜式の制小社に列し嘉慶2年(1338)3月国司越後守顯則田地を寄進すと伝へ天文10年(1541)12月2日兵燹の為め社殿及び末社焼失し同18年(1549)地頭代官周東宗次鳥居を再興す。
 元亀3年(1572)10月25日又社殿炎上し其後久しく再興を見るに至らず。
 天正2年(1574)9月漸く再建し寛政5年(1793)本殿の屋根替を行ひ龍野城主生駒侯御供田三反を捧げ、天保3年(1832)龍野藩主脇坂淡路守雨請祈願をなし明治7年(1874)2月(明治4年4月とも)郷社に列し同14年(1881)6月縣社に昇格す。

とある。


阿宗神社のある当地は、揖保川の東岸の林田川と挟まれた場所で林田川のすぐ西岸に当たる場所。
林田川は5kmほど下流に行くと揖保川と合流する。
また古代山陽道の大市(おおち)駅家(姫路市太市中あたり?)と布勢(ふせ)駅家(たつの市揖西町小犬丸、発掘確認済)の間に当たる場所。
創建時の鎮座地の岡ノ峯(現立岡山)は南東に2.2kmほどにある標高100メートルほどの小高い丘となっている。
創建時の鎮座地、現在の鎮座地ともに水運と街道筋に隣接し交通の要衝であったと思われる。
それだけに早くから開けた場所なようで周囲には次のような古墳や遺跡がある。
内山1号墳~54号墳・内山笹山1号墳~6号墳・明神山1号墳~12号墳・福田山古墳
内山遺跡・笹山円勝寺跡・上福田遺跡・笹山遺跡・福田八軒屋遺跡・福田天神遺跡・福田片岡遺跡・小宅遺跡・片吹遺跡・福田小川原遺跡
兵庫県考古博物館資料による。

阿宗神社のご祭神は、神功皇后・応神天皇・玉依姫命、(配祀)息長日子王。
由緒書に見える元宮御祭神 阿蘇親王は息長日子王(おきながひこのみこ)のこと、神功皇后の弟にあたる神。
応神天皇は神功皇后の御子神なので、神功皇后と弟の息長日子王、そして御子の応神天皇を兄妹親子を祀っている。
宇佐八幡宮を勧請したという意味では神功皇后・応神天皇については自然な感じだと思う。
しかし由緒書にある「元宮御祭神 阿蘇親王」とはどういうことなのだろうか。
ここまでのお話では本宮とは岡ノ峯(現立岡山)ということになるが、それなら八幡神と相容れないと思う。
さらに神社名の阿宗(あそう)は阿蘇親王(息長日子王)から来ているのだろうと想像できる。
思うに岡ノ峯(現立岡山)の八幡神とは別に阿蘇親王(息長日子王)を祀る神社がいつしか合体したような印象を受ける(個人的見解です)。

阿宗神社へのアプローチは分かりやすい。
林田川を渡る国道179号線の永久橋西詰交差点を南へ入り100メートルほどで西へ入ると50メートルほどで到着する。
神社前に鳥居があるのでこれをくぐり南へ100メートルほどの場所にありがたいことに神社の駐車場が完備されている。
かつては神社前の道路がそのまま林田川を渡る街道だったようで街道筋に面していたと思われる。

駐車場にクルマを駐車させていただき鳥居を目指す。
鳥居をくぐるとかつての街道筋その向こうに山門がある、参道を街道筋が横切る形になっているのだろう。
山門をくぐると拝殿前の広場、右側には床の高い舞殿のような建物、左側には手水舎がある。
拝殿は割拝殿となっていて土間になっている、その奥に幣殿があり内部でご祈祷などが行われる。
幣殿の後方の本殿は渋くて立派なもの、見た限り状態もよく新しいように見える。
本殿のさらに後方には摂社末社がありきれいに整備されている。
全体的に地域との結びつきが強くて尊崇厚い様子が感じられる。

神功皇后の弟と子を祀る神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2023/8/11
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7S3 + FE16-35mm F2.8 GM、α7M3 + 35-150mm F2-2.8 Di III VXD

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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