269-020_咋岡神社(京丹後市峰山町)

比定社:咋岡神社(京丹後市峰山町)

式内社コード:269-020
神名帳社名 :咋岡神社、クヒヲカノ
社    格:小
所 在 地 :627-0006 京都府京丹後市峰山町赤坂529
Plus Code  :J3Q3+XX 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「くいおかじんじゃ」と読む、地名の赤坂は「あかさか」と読む。
赤坂集落の東の山裾に鎮座。
京都府道17号網野峰山線より東へ入り、京都丹後鉄道宮豊線の踏切を渡るとすぐに北へ入る、民家の横からアプローチする。
神社前の民家横に駐車することになるので邪魔にならないように注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

小さいが良く手入れされた社域。

写真

咋岡神社を正面より望む。
咋岡神社を正面より望む。
右側(東)を望む。神社前には小さな川が流れておりすぐ民家がある。
右側(東)を望む。神社前には小さな川が流れておりすぐ民家がある。
神社の正面(南)を望む。神社のすぐ前までクルマで入ってこれるが民家のすぐ脇なので邪魔にならないように注意が必要。すぐ前に京都丹後鉄道宮豊線、其の向こうに京都府道17号網野峰山線が走る。
神社の正面(南)を望む。神社のすぐ前までクルマで入ってこれるが民家のすぐ脇なので邪魔にならないように注意が必要。すぐ前に京都丹後鉄道宮豊線、其の向こうに京都府道17号網野峰山線が走る。
左側(西)を望む。周囲は田畑・山林・人家となっている。
左側(西)を望む。周囲は田畑・山林・人家となっている。
一の鳥居脇には社標。式内とある。
一の鳥居脇には社標。式内とある。
一の鳥居の左脇には手水鉢。
一の鳥居の左脇には手水鉢。
一の鳥居をくぐるとすぐに二の鳥居。30段くらいの階段があり小高い場所に拝殿がある。
一の鳥居をくぐるとすぐに二の鳥居。30段くらいの階段があり小高い場所に拝殿がある。
階段を登ると拝殿が見えてくる。
階段を登ると拝殿が見えてくる。
拝殿を本殿を右側より望む。
拝殿を本殿を右側より望む。
拝殿を望む。扁額には咋岡神社とある。拝殿と本殿は昭和2年の北丹後地震で被害を受けたので昭和7年に再建されたもの。
拝殿を望む。扁額には咋岡神社とある。拝殿と本殿は昭和2年の北丹後地震で被害を受けたので昭和7年に再建されたもの。
拝殿内部を望む。非常に綺麗に保たれている。
拝殿内部を望む。非常に綺麗に保たれている。
拝殿の後ろの本殿を望む。蔵のような覆屋に入っており残念ながら見ることはできない。
拝殿の後ろの本殿を望む。蔵のような覆屋に入っており残念ながら見ることはできない。
本殿を右後ろより望む。後ろは山が迫っていてここが削られて作られたことが分かる。
本殿を右後ろより望む。後ろは山が迫っていてここが削られて作られたことが分かる。
本殿を左側より見上げたところ。多い脂は彫り物が施してある。その前はスズメバチの巣だろうか。
本殿を左側より見上げたところ。多い脂は彫り物が施してある。その前はスズメバチの巣だろうか。
拝殿前より鳥居を望む。この地は3度めの遷座地となるが、前を網野へ抜ける街道が走っていて交通の要衝。
拝殿前より鳥居を望む。この地は3度めの遷座地となるが、前を網野へ抜ける街道が走っていて交通の要衝。

感想

由緒書はないので詳細は不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、保食神。

由緒不詳
応仁年間(1467~1469年)吉原城鎭護の神として馬場前に遷座。
元和8年(1622年)赤坂村(現在地)に遷座。
明治元年(1868年)咋岡神社と改称。
明治6年(1873年)村社。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進指定。
昭和2年(1927年)北丹後地震で神殿倒壊。
昭和7年(1932年)再建。

もとは久次咋石嶽の頂上(一説に麓)にあった。
応仁年間(1467~1469年)吉原城鎭護の神として馬場前に遷座。
元和8年(1622年)10月赤坂村(現在地)に遷座。

久次咋石嶽の頂上(一説に麓)にあったものだといわれている。
咋石嶽は現在久次岳と呼ばれているが、真名井嶽ともいい、宇気持神(保食神)の天降地で山頂に2間四方の岩を神として祀っていたと言われている。
久次の咋石嶽の山中にあったと傳へられる。
応仁期に吉原(現在の峯山)城主一色義遠の家臣飯田越前が、久次の咋石嶽から勸請して、吉原城鎭護の神として大手口の馬場前に祭り、一色氏についで丹後を領有した細川氏も産土神として祭つた。
京極氏の入國により社と付近の家が、元和8年(1622)10月赤坂村に移されたが、領主、藩士の氏神として信奉されたと記されてゐる。『式内社調査報告』

とある。

ご祭神は保食神である。

咋岡神社は調べてみると大変興味深い歴史を持った神社であることが分かった。
もともと咋岡神社は、久次の咋石嶽(真名井嶽)に鎮座していたといわれ、真名井嶽は宇気持神(保食神)の天降地と言われている。
その真名井嶽には真名井大明神があったとされ、雄略天皇は豊受大神の神霊をこの地から伊勢の度会にお迎えして外宮として祀られた。
久次村に神所段という地があり、ここが咋岡神社が元々の鎮座地ではないかという説がある。
咋岡神社は、元伊勢の候補としては考えられていない(諸説あります)。
咋岡神社と真名井大明神の関係は現在ではハッキリしたことは分からないが複雑に関係しているようでもある。

応仁期(1467~1469)に吉原(現在の峯山)城主一色義遠の家臣飯田越前が、久次の咋石嶽から勸請して吉原城鎭護の神として大手口の馬場前に祀った。
いずれにしても時の為政者により応仁年間に真名井嶽より馬場前に遷座している。
一色氏に次いで丹後を領有した細川氏も産土神として祀った。

その後、京極氏の入国により社と付近の家が元和8年(1622年)に現在地の赤坂村に移されたと伝わっている。
江戸時代までは「篠箸大明神」と呼ばれ、明治元年(1868年)に咋岡神社と改められた。

2番目の鎮座地である馬場前は網野方面へ続く街道筋となっており、ここに吉原城が築城された理由もよく分かる。
3番目の現在の鎮座地である赤坂の現在の社域は広くはない。

咋岡神社へのアプローチは、京都府道17号網野峰山線より東へ入り、京都丹後鉄道宮豊線の踏切を渡るとすぐに北(左)へ入る、民家の横からアプローチする。
民家に隠れて見えないので見つけにくいかもしれない。
神社前の民家横に駐車することになるので邪魔にならないように注意が必要だ。
かつては京都丹後鉄道宮豊線の向こうまで参道が続いていたと思われる。

神社の入り口は住宅脇にあり周囲は田畑と畦道でどこか牧歌的。
社域はカチッとしていて小さいながらも凛とした印象を受ける。

鳥居前には小川が流れていて小さな橋を渡る。
鳥居をくぐると短い石段があり登り切ると社殿前の広場がある。

社殿は昭和2年(1927年)の北丹後地震で被害を受けた後、昭和7年(1932年)に再建されたもの。
拝殿と本殿で構成され、覆屋に入った本殿は残念ながら見ることができない。
社域は広くはないが、よく手入れされていて気持ち良く参拝できる。
地域に非常に大切にされているのがよく分かる。

ひょっとしたら元伊勢(外宮)なのかもしれない神社。

注意点

神社前の民家横に駐車することになるので邪魔にならないように注意。

訪問ノート

訪問日 :2020/11/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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