272-010_粟鹿神社

比定社:粟鹿神社

式内社コード:272-010
神名帳社名:粟鹿神社、アハカノ
社格:名神大、但馬国一宮
所在地:669-5125 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152
plus code:8W23+7X 朝来市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

あわがじんじゃと読む。
粟鹿集落の西の山裾に鎮座。
北近畿豊岡自動車道の山東ICのすぐ南側なので見つけやすい場所にある。
氷上から遠野坂峠を越え但馬へ入ってすぐの場所で古代からの街道筋にあたり重要な場所だ(粟鹿駅家があった)。
当社の南3.2kmには粟鹿山がある。
周辺は田畑・人家・山林となっておりのどかな田園地帯。
駐車場完備(北と南の2箇所)。

ハイライト

古事記よりも古い「粟鹿大明神元記(-もとつふみ)」の写本が残る古社(現物は宮内庁所蔵)。
非常に渋い社域。

写真

粟鹿神社を正面より望む。こちらの鳥居は北側の鳥居になる。南側にも鳥居がある。駐車場は真っ直ぐ行った先と、この右側にもあり2箇所ある。
粟鹿神社を正面より望む。こちらの鳥居は北側の鳥居になる。南側にも鳥居がある。駐車場は真っ直ぐ行った先と、この右側にもあり2箇所ある。
右側(北)を望む。神社前の道は兵庫県道275号粟鹿早田線。先の方に見える高架は北近畿豊岡自動車道。周囲は田畑でのどかな風景が広がる。
右側(北)を望む。神社前の道は兵庫県道275号粟鹿早田線。先の方に見える高架は北近畿豊岡自動車道。周囲は田畑でのどかな風景が広がる。
左側(南)を望む。神社前の道は兵庫県道275号粟鹿早田線。道の先に見える頂上に電波塔があるのが粟鹿山。
左側(南)を望む。神社前の道は兵庫県道275号粟鹿早田線。道の先に見える頂上に電波塔があるのが粟鹿山。
北の鳥居の右側にはご神木の杉の木がある。
北の鳥居の右側にはご神木の杉の木がある。
北の鳥居より少し歩くとご神木の杉の巨木がある。
北の鳥居より少し歩くとご神木の杉の巨木がある。
北側鳥居を望む。右側にかなり年季の入った社標、式内社とか一の宮の表示は無い。
北側鳥居を望む。右側にかなり年季の入った社標、式内社とか一の宮の表示は無い。
北側鳥居をくぐると勅使門が見えてくる。
北側鳥居をくぐると勅使門が見えてくる。
閉まっている勅使門と並んで随神門が見える。
閉まっている勅使門と並んで随神門が見える。
勅使門を望む。
勅使門を望む。
朝来市教育委員会謹製の勅使門の説明書き。記録では4回の勅使が来たとある。朝来市指定文化財となっている。
朝来市教育委員会謹製の勅使門の説明書き。記録では4回の勅使が来たとある。朝来市指定文化財となっている。
そのまま進むと左手に社務所がある。その向こうが南側の駐車場。
そのまま進むと左手に社務所がある。その向こうが南側の駐車場。
社殿へと続く随神門を望む。社殿のある場所は築地塀で区切られている。
社殿へと続く随神門を望む。社殿のある場所は築地塀で区切られている。
随神門には木造著色随身倚像が一対あり朝来市指定文化財となっている。
随神門には木造著色随身倚像が一対あり朝来市指定文化財となっている。
随神門の木造著色随身倚像、朝来市指定文化財。
随神門の木造著色随身倚像、朝来市指定文化財。
随神門の木造著色随身倚像の裏側には木造の狛犬、朝来市指定文化財。
随神門の木造著色随身倚像の裏側には木造の狛犬、朝来市指定文化財。
木造の狛犬の説明書、朝来市指定文化財。
木造の狛犬の説明書、朝来市指定文化財。
随神門をくぐると広場があり奥の右側に社殿がある。
随神門をくぐると広場があり奥の右側に社殿がある。
随神門の右脇にある手水舎。
随神門の右脇にある手水舎。
一番奥に濃い社叢に囲まれた拝殿と本殿。
一番奥に濃い社叢に囲まれた拝殿と本殿。
社殿前には土俵がある。
社殿前には土俵がある。
拝殿を正面より望む。
拝殿を正面より望む。
神社謹製の由緒書。本殿後方の円墳は王埋処の史跡なり、とある。
神社謹製の由緒書。本殿後方の円墳は王埋処の史跡なり、とある。
拝殿を正面より望む。
拝殿を正面より望む。
拝殿と本殿を右側より望む。右のお社は猿田彦神社。
拝殿と本殿を右側より望む。右のお社は猿田彦神社。
拝殿と本殿を左側より望む。本殿の後ろが円墳になっている。
拝殿と本殿を左側より望む。本殿の後ろが円墳になっている。
拝殿の左側より随神門を望む。この広場には厳島神社・茗荷神社・猿田彦神社・床浦神社・稲荷社がある。
拝殿の左側より随神門を望む。この広場には厳島神社・茗荷神社・猿田彦神社・床浦神社・稲荷社がある。
茗荷神社の説明書きには、ご神紋は茗荷神社があるから「抱き茗荷」だとある。
茗荷神社の説明書きには、ご神紋は茗荷神社があるから「抱き茗荷」だとある。
社務所はなにやら様々な古い額がかかっている。左の方に休憩所がある。
社務所はなにやら様々な古い額がかかっている。左の方に休憩所がある。
休憩所に掲示されている北側参道の発掘調査の様子。石敷きの参道が延びていたことが発掘で判明したとある。
休憩所に掲示されている北側参道の発掘調査の様子。石敷きの参道が延びていたことが発掘で判明したとある。
国土地理院の電子国土Webで確認してみると1970年代の航空写真には赤丸で示した地点間が真っ直ぐ現れており、かつての参道だったと思われる。現在では北近畿豊岡自動車道の下に埋もれてしまった。
国土地理院の電子国土Webで確認してみると1970年代の航空写真には赤丸で示した地点間が真っ直ぐ現れており、かつての参道だったと思われる。現在では北近畿豊岡自動車道の下に埋もれてしまった。
勅使門の前より北側鳥居を望む。街道筋までかつての参道が延びていたようだ。
勅使門の前より北側鳥居を望む。街道筋までかつての参道が延びていたようだ。

感想

神社謹製の由緒書によると

粟鹿大社由来
人皇第十代崇神天皇の御宇 皇威未だ及ばざる地方に皇族四道将軍を派遣し大八洲を平定して大和朝廷の基礎を確立したもう。
 即ち人皇第九代開化天皇第三皇子日子坐王その四道将軍として崇神天皇の勅を受け山陰北陸の要衝丹波道主に任ぜられ玖賀耳三笠等の豪族を討伐し丹波道一円を征定治績を挙げ大いに皇威を振作して天皇の綸旨に答う。
 粟鹿山麓の粟鹿の郷は王の薨去終焉の地にして 粟鹿神社裏二重湟現存の本殿後方の円墳は王埋処の史跡なりとす。
維時 昭和四十四年六月吉日

とある

また兵庫神社庁によると

ご祭神は、日子坐王(ヒコイマスノミコト)
和銅元年(708)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)
 当社は但馬国最古の社として国土開発の神と称す。国内はもちろん、付近の数国にわたって住民の崇敬が集まる大社であり、神徳高く延喜の制では名神大社に列せられた。
 人皇第10代崇神天皇の時、第9代開化天皇の第三皇子日子坐王が、四道将軍の一人として山陰・北陸道の要衝丹波道主に任ぜられ、丹波一円を征定して大いに皇威を振るい、天皇の綸旨にこたえた。
 粟鹿山麓粟鹿郷は、王薨去終焉の地で、粟鹿神社裏二重湟堀、現存する本殿後方の円墳は王埋処の史跡である。旧県社。

とある

地名の粟鹿(あわが)は、粟鹿山から現れた粟を三束くわえた鹿が人々に農耕を教えたことに由来する。
和銅元年の「粟鹿大明神元記(-もとつふみ)」では粟鹿神社の祭主は、古代に神部氏が務め、その後に日下部宿禰が務めるようになったとある。
社伝によれば祭神は三社九神と言われ上中下の三社に分かれていて、上社に彦火々出見命ほか二神、中社に竜神(女体神也)ほか二神、下社に豊玉姫神ほか二神を祀るともいわれる。

「粟鹿大明神元記」「粟鹿大神元記」は古事記(712年)成立よりも古く、和銅元年(708年)の成立とされる。
内容は、粟鹿神社の祭主が朝廷に上申したとされるご祭神粟鹿大明神の系図。
鎌倉時代の写しで竪系図(たてけいず)と呼ばれる原初的な形式で書かれている。
古事記よりも成立が古いなんて、なかなかに興味深い。

粟鹿の地は、丹波と但馬の国境である遠野坂峠を西に越え但馬国に入ってすぐの場所、古代からの交通の要衝にあたる。
ご祭神は諸説あるようで、彦火々出見命と日子坐王が有力なようだが、阿和加比売命(伊和大神の妹)という説もあるようだ。
また、本殿裏には円墳があり被葬者は不明だが、由緒書には当地が日子坐王の終焉の地とある。
元々は、粟鹿山の麓に鎮座とも言われるが定かではない。

創建は不明だが、「粟鹿大明神元記」が和銅元年(708年)の成立とされていることから、それ以前だと思われる。
その後は次の記録が残っている。
応仁年間(1467~1469年)に兵火により焼失。
文明年間(1469~1487年)仮殿造営。
天保十年(1839年)社殿再建。
慶応二年(1866年)焼失。
明治十二年(1879年)再建。

粟鹿神社は、創建された年代、元々の鎮座地、ご祭神、どれもハッキリしない神社である。
歴史が古すぎて記録や伝承に決定的なものが無いというのが実情なのではないだろうか。

社務所に掲示してある資料によると、北側鳥居前に参道が北東方向へ延びており平成13年に発掘調査されたとある。
かつては参道が北東の方向の街道筋(山東ICのあたり)まで延びていたと思われる。

社域はかなり広く、古木が多く豊かな社叢が印象的だ。
北側鳥居の右側(西)にご神木の杉の巨木がある。
鳥居をくぐると、東側に向いて勅使門や随神門があり、中に入ると南を向いた社殿がある。

社殿は、ほぼ南かなり正確に粟鹿山の方向を向いているように思う、粟鹿山と関係が深いのは間違いない。
明治十二年(1879年)再建の社殿は拝殿・本殿ともかなり大きいが装飾は無くシンプルな作り。

一般的に一の宮はキラキラした雰囲気の神社が多いものだが、粟鹿神社は非常に渋く古社の雰囲気がよく出ている。
素朴な雰囲気を保ち後世へ伝えていきたい神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2017/8/28、2018/7/15、2021/6/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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